第三十二話
翌日、レギンはエーファと共にルストを調査していた。
リンデは泊まっているホテルで留守番だ。
本人は自分も参加することを望んでいたが、エーファに却下された。
もし六天竜と遭遇したら真っ先に狙われるのはリンデだからだ。
この町に六天竜が存在しないことを確かめてからでないと迂闊に外を歩かせる訳にもいかない。
「つくづく過保護だよなァ。お前も」
「ドラゴンスレイヤーが市民を守るのは当然の義務よ」
「市民を守る、ねえ」
エーファには似合わない言葉にレギンは鼻を鳴らす。
「その志はご立派だが、お前がドラゴンスレイヤーになった理由はそんな物じゃないだろう?」
「………」
顔も知らない人々の為にドラゴンスレイヤーになるほどエーファは博愛主義じゃない。
エーファがドラゴンスレイヤーになったのはもっと個人的な理由。
姉の仇を討つと言う完全な私怨だ。
極端な話、仇敵を滅ぼす為なら無関係の人間を何人でも見殺しに出来るだろう。
「そのお前が、随分とアイツに入れ込んでいるじゃないか。何だ? 復讐の為に利用でもする気か?」
「………ふん」
レギンの問いにエーファは失笑した。
「少しは人の言葉が話せると思ったけど、やっぱりあなたもドラゴンね」
「ああ? 俺を馬鹿にしているのか?」
「呆れているのよ」
そう言ってエーファはレギンの鼻先に人差し指を突き付けた。
「確かにあなたの言う通り、私は復讐の為だけにドラゴンスレイヤーになり、百を超えるドラゴンを討伐し続けたわ」
ただドラゴンが憎くて、姉を殺した怪物を残らず殺し尽くす為だけに武器を振るった。
復讐鬼と言えば、その通りだろう。
「人間は、一つの感情だけで生き続けることは出来ない。ドラゴンみたいに単純な思考回路はしていないの」
ドラゴンへの憎悪に燃える一方で、他の人間へ向ける感情も確かにあった。
ドラゴンに苦しめられる人々を見て、それを助けたいと思う心があった。
リンデに声を掛けたのもそうだ。
何の打算も無く、ただ彼女がドラゴンに殺されるのが嫌だった。
例え、姉の仇を探すと言う目的から外れているとしても、手を差し伸べずにはいられなかった。
「己のたった一つの欲望を満たす為だけに生きるドラゴンには、分からないかしら」
ある意味、矛盾した精神構造。
情に縛られて合理的な行動を取れない思考回路。
それこそが、人の『心』と言う物だ。
「…私が思うに、あなたも本質的には他のドラゴンと同じなのよ」
「どういう意味だ?」
「あなたが他のドラゴンのように無差別に人を襲わないのは、あなたの欲望が『自分を取り戻す』と言う一点のみだから」
その手掛かりであるリンデは殺さない。
目的の為に必要ではないので、人間を喰って魔力を補充することも無い。
欲望に忠実なのはレギンも変わらない。
ただその欲望が、比較的人間に無害だっただけだ。
(…まあ、それだけでは無さそうだけど)
ちらり、とエーファはレギンの顔を見つめた。
エーファとレギンが交戦したあの夜、レギンは自ら死を選んだ。
記憶を取り戻すことなく、死ぬことを受け入れた。
それは、彼が自身の『欲望』を諦めたと言うことだ。
ドラゴンは本来、自身の欲望を抑えられない。
それが善意であれ、悪意であれ、己の本能を止められない。
だからこそ、エーファはあの時に衝撃を受けたのだ。
自身の欲望を抑える、諦める、と言うことは、ドラゴンではなく人間の性分なのだから。
(多分、本人は自覚していないだろうけど、この男は変わりつつある)
あの時、エーファと戦っていた時のレギンは他のドラゴンと変わらなかった。
多少変わった所はあったが、自分の欲望の為だけに生きる、と言う本質は一緒だった。
それが変化したのは、リンデがレギンの盾になった時。
記憶の無い自身を善人と信じるリンデを見て、レギンの何かが変化した。
聞いた話では、レギンは交戦したフライハイトに止めを刺さなかったらしい。
リンデに言われたのがきっかけだろうが、前のレギンなら容赦なく殺していただろう。
どう考えてもその状況でフライハイトを見逃すのは、レギンの目的の邪魔にしかならないからだ。
(ドラゴンの心変わり?………全てのドラゴンがそうなら、誰も困ることは無いのだけどね)
エーファは複雑な表情でレギンを観察する。
未だ警戒を怠るつもりは無いが、少しは信用してもいいかもしれない。
「ッ…ごめんなさい」
その時、思考に耽っていたエーファの肩が前から歩いてきた男とぶつかった。
反射的に謝罪を口に出すと、その男は立ち止まった。
「おいおい、それだけかよ。人にぶつかっておいてよぉ」
難癖を付ける男は口調とは裏腹に好色な笑みを浮かべている。
じろじろと無遠慮にエーファの全身を見つめていた。
(また、この手の輩か。本当にこの町は…!)
恐らくぶつかってきたのもわざとだろう。
目立つ容姿をしているエーファも最初から狙ってきたのだ。
それに気付き、エーファは服に仕込んだスティレットの位置を確認する。
「エロい格好のシスターだなぁ。そんな恰好でこの町に来たら怪我を…」
「怪我を、何だ?」
「いででででで!?」
エーファへと伸ばされた男の腕を、横に居たレギンが掴む。
掴まれた腕から骨が軋むような音が響き、男は苦悶の声を上げた。
必死にレギンの手を離そうとするが、力の差がありすぎてびくともしない。
「目障りだ。失せろ」
ぐいっとレギンが男の腕を引く。
それだけで男の体が持ち上がり、宙を舞った。
「ぎゃあ!?」
背中から地面に叩きつけられ、男は気を失った。
それを見向きもせず、レギンは止まっていた足を動かし始める。
「…私を、助けてくれたの?」
「ああ? 話が中断されたのが気に食わなかっただけだ」
恐らくそれは本心からの言葉だろう。
レギンにとっては、邪魔な石ころを退けた程度の感覚だ。
しかし、エーファにとってはまた驚きだった。
エーファに対して配慮を見せたこともそうだが、絡んできた男にも必要以上に攻撃を加えなかったことも。
やはり、この男は信用してもいいかもしれない。
「大体、お前がエロい恰好しているのが原因なんだから気を付けろ」
と思ったが、エーファはすぐさまその考えを捨てた。
「だ、誰がエロい格好よ! 私のどこがエロいと言うの!」
「自覚なしか。これは王都の連中も苦労しているだろうなァ」
「何ですって…!」
「つーか、さっきお前スティレット抜こうとしていただろう。真昼の街中で武器を抜くのはどうかと思うぞ。人として」
「ど、ドラゴンに人として説かれた…!?」
わなわなと怒りに震えるエーファ。
やはり、この男は認めない。
そう心に改めて誓った。