第二十八話
自分の人生が不幸だと感じたことは無かった。
王都の大貴族の四男として生まれ、何不自由なく生きてきた。
父親は望む物は何でも与えてくれた。
一人で住む屋敷も、贅沢な食事も、母親代わりの使用人も、絶対に逆らわない友人さえも、
ただ一つ、愛情以外は。
『………』
幼い頃の俺は与えられた物が全て自分の力だと思い込み、傲慢だった。
父親の権力を振り翳し、好き勝手に暮らしていた。
『そこのお前。待てよ』
十年前のある夜、俺は一人の男に声を掛けた。
目を付けた理由はあまり覚えていない。
そいつが着ていた赤いマントが自分より目立って気に食わなかったとか、そんな理由だった筈だ。
適当な理由で誰かに絡み、権力で脅して、怯える様を嗤う。
いつものことだった。
どんな相手だって自分の名を聞けば、父親の権力を恐れて従順となった。
下種な人間には下種な仲間が集まってくるもので、俺の取り巻き達もそんな『遊び』を愉しんでいた。
だが、
『…おい。おい! 聞こえてんだろうが!』
その赤マントの男はいつもの奴らとは違った。
俺の言葉を無視して、背を向けたまま歩いていく。
『テメエ! フライハイト様の言うことが聞けねえのか!』
『この人が誰なのか知らねえのかよ!』
取り巻き達が点数稼ぎに男へ襲い掛かる。
『邪魔だ』
『ぎゃッ!』
背後から殴りかかった取り巻き達を、赤マントの男は一瞬で殴り飛ばした。
呆然としながら地面に座り込む取り巻き達の首に、一本の剣が突き付けられる。
『消えろ』
『ひ、ひいいいいいい!』
『あ、おい! お前ら!』
ガタガタと震えながら取り巻き達は一斉に逃げ出した。
主である俺のことを置き去りにして。
『…ふん』
関心を失ったかのように赤マントの男は俺に背を向けた。
『ま、待てよ! 俺が誰だか知っているのか! 俺は…!』
『興味ない』
『な…!』
『お前みたいなクソガキの名前なんぞ、知りたくも無えよ』
冷めた声で男は吐き捨てた。
俺は自分の全てを否定された気分になり、顔を怒りで歪めた。
『お、俺の親父は…!』
『今、お前の父親が何の関係がある?』
赤マントの男は淡々と言う。
『自分一人じゃ喧嘩も出来ねえクソガキなんざ俺は相手しねえよ』
眼中に無い。
その背中がそう告げていた。
『もし、お前がその手に武器を握り、自分一人で俺の前に立つことが出来れば、その時は仕方ねえから相手してやるよ。ガキ』
赤マントの男はそう言い残し、去っていった。
一度もこちらを振り返ることもせず。
『あ、あの野郎…!』
屈辱だった。
ここまで怒りを覚えたのは生まれて初めてだったかもしれない。
権力を振るうことで誰かの恨みを買ったことはあったが、ここまで侮辱されたことは無い。
すぐにあの男を見つけ出し、この手で復讐すると心に誓った。
『………』
それから、俺は何度も赤マントの男に戦いを挑んだ。
父親に泣きつくことは俺のプライドが許さなかった。
あの男を本気で殺すつもりで、武器を手に入れ、技術を磨き、時には武器に毒すら塗った。
『ははは。また俺の勝ちだな、坊主』
しかし、どれだけ手を尽くしても男を殺すことは出来なかった。
それどころか、掠り傷一つ負わせたことが無い。
赤マントの男は強かった。
彼が王都でドラゴンスレイヤーと呼ばれていると知ったのは、そのすぐ後だった。
『だが、最後の一撃は良かったぞ。精進しろよ、坊主』
『坊主って呼ぶんじゃねえ! 俺はフライハイトだ!』
『はっはっは、俺に土を付けることが出来たら名前で呼んでやるよ』
『言ったな。この野郎…!』
癇に障る男だった。
俺がどれだけ殺意と敵意を向けても、余裕の表情を崩さない。
完全に子供扱いだ。敵とすら思われていない。
その男への怒りを原動力に、俺は剣の技術を磨き続けた。
『お前さ。俺の弟子にならねえか?』
ある日、赤マントの男は意味の分からないことを言い出した。
『どこの世界に復讐相手の弟子になる奴がいるんだよ』
『だけど、坊主。滅竜術を学ばない限り、俺にはずっと勝てねえぞ?』
『滅竜術?』
『そうそう。坊主、お前には才能がある。魔力の使い方を覚えれば、今より遥かに強くなるぞ』
その提案は、魅力的だった。
独学で力を付けるのも、そろそろ限界を感じていた所だったのだ。
この男に何かを学ぶのは屈辱だが、それを呑み込んで逆に利用すると思えば…
『…良いぜ。せいぜい利用してやるよ』
そうして、俺はドラゴンスレイヤーの弟子となった。
認めたくないが、あの男は師として優秀だった。
あの男の指導の下、俺はすぐに滅竜術を習得した。
『坊主。金や権力で結ばれた繋がりなんざ、本当の絆じゃねえ』
『………』
『あの時のアイツらだってお前のことが本当に好きなら命を懸けてもお前を助けようとした筈だぜ?』
『まあ、そうだな』
『人間の価値は、困った時に助けてくれる人間の数だ。坊主。誰からも好かれる人間になりな』
赤マントの男はへらへらとした笑みを浮かべた。
『そうすりゃ、きっと俺みたいになれるさ』
修行の日々は、楽しかった。
誰かに褒められることが、誰かに認められることが、こんなに嬉しいことだとは思わなかった。
『………』
俺は物心ついた頃から使用人だけに囲まれて生活していた。
父親にも、兄弟にも、もう何年も会っていない。
いつか政略結婚で婿入りさせる道具。
それが、父親から見た俺の価値だった。
だから、まるで父親や兄のように振る舞うこの男の言葉はいつも新鮮だった。
『坊主。次の任務はお前一人で行け』
そして、その日はやってきた。
今から三年前、あの男は俺に最後の試練を与えた。
ドラゴンスレイヤーとなる方法は二つ。
自らドラゴンスレイヤーになることを訴え、現役のドラゴンスレイヤーにそれを認められること。
言うなら『自薦』だが、余程大きな実績が無ければ認められない為、この方法でドラゴンスレイヤーになるものは滅多にいない。
もう一つは現役のドラゴンスレイヤーの弟子となり、その者から推薦を受けること。
言うなら『他薦』であり、師からの評価も加味される為に他のドラゴンスレイヤーに認められ易い。
つまり、コレは推薦を得る為の最後の任務。
ドラゴンを一人で討伐すると言う通過儀礼。
『いけるか、坊主?』
『当然だろう! この日を待っていたんだよ!』
自信は十分にあった。
師と共に何度もドラゴンと戦った経験もあった。
『二十を超える前にドラゴンスレイヤーとなった者は前例が無いが…』
『何を弱気なことを言ってやがる。らしくもない』
俺は呆れたように笑う。
いつもは自信満々に無茶ぶりをするくせに、何を心配しているのか。
『前例がねえなら、俺が最初だ。史上最年少のドラゴンスレイヤー。つまりは、アンタより先にドラゴンスレイヤーとなった男。良いね、初めてアンタに勝った気分だ』
ニヤリと笑って俺は師に告げる。
『だが、それで終わりじゃねえぞ。俺が帰ったら、もう一度勝負だ。お前をこの手で倒してこそ、俺はアンタに勝てるんだ!』
ドラゴンスレイヤーとなるのは手段であって目的ではない。
俺の目的は初めからこの男を超えること。
むしろ、ドラゴンスレイヤーとなることが始まりだ。
『…ああ、楽しみにしているよ』
そう言って師は、少しだけ寂し気に笑った。
その意味に気付かず、俺は最後の任務へと向かった。
それが、師との最後の会話になると知りもせずに。
『………』
任務は終わった。
名も知らぬドラゴンを討伐し、俺はドラゴンスレイヤーとなった。
しかし、意気揚々と王都へ凱旋した俺を待っていたのは、
師が死亡したと言う最悪のニュースだった。
『…ッ』
師は病気だった。
もう何年も前から不治の病に冒されていたが、それを誰にも告げず、隠し続けていた。
俺と初めて出会った時には、既に自分の余命を悟っていたらしい。
師は、ドラゴンスレイヤーだ。
ドラゴンの脅威から多くの人間を守り続けた英雄だった。
だから、彼は自分の死期を悟ると、後継者を探した。
自身の死後、その代わりとなって人々を支える英雄を求めた。
俺もその内の一人だったのだ。
『…結局、最期まで俺の名を呼ぶことは無かったな』
俺は、あの人に勝ちたかった。
憎んでいたからではない。
恨んでいたからではない。
俺はただ、あの人に認められたかった。
名前で呼んで貰いたかった。
あの人のように、成りたかった。
『…チクショウ』
あの人の真似をして、赤いマントを付けた俺は鏡に映った自分を嫌悪する。
足りない。
格好を真似するだけでは足りない。
力も技術も、何もかもがあの人に劣っている。
『俺は英雄になる。世界中の誰もが認める英雄になる』
その時にはきっとあの人を超えられる。
あの人が認めてくれる。
それだけが俺の望みだ。
何故なら彼こそが、
俺の『理想』なのだから。
「…ッ」
「あ、気が付きましたか? フライハイトさん」
目を覚ましたフライハイトは、覗き込んでくる弟子を見て訝し気な顔をした。
「俺は…一体…?」
「こっちが聞きたいですよ。一体ここで何があったんですか?」
他の弟子達が周囲を見渡して言う。
場所は町の外、レギンと戦っていた場所のままだった。
あの二人の姿は無いが、周囲は戦いの余波で荒れている。
「何か凄い音がしたからやってきたら、フライハイトさんが倒れていてびっくりしましたよ」
「幸い、怪我は無くて良かったですけど」
「怪我が無かった…?」
言われてフライハイトは自身の体を確認する。
フライハイトの最後の記憶では、レギンに斬られた筈だった。
服にも斬られたような痕跡が残っているが、フライハイトの体には傷一つ無かった。
(怪我を、治されたのか?)
レギンの竜血を使った再生だろうか。
放っておけば死んでいたフライハイトを、わざわざ助けたのか。
あのドラゴンが。
「フライハイトさん。本当に何があったんですか?」
「………」
フライハイトは苦虫を嚙み潰したような顔で、黙り込んだ。
心底悔し気に顔を歪めて、口を開く。
「…何も無かった」
「へ?」
「何も無かったと言っているんだ! ただ町の人間と喧嘩しただけだ!」
「い、いやいや、町の人間にフライハイトさんが倒されてたまりますか!」
「油断していたんだ! そうに決まっているだろうが! これ以上聞くなら魔剣の錆にするぞ!」
そう言ってフライハイトは強引に会話を止めた。
レギンを庇ったつもりは無い。
ただ勝負に負けて、命まで見逃されておいて、告げ口だけするなどフライハイトのプライドが許さない。
自分以外の力に頼るのは、もうやめたのだ。
あのドラゴンは自分の手で殺し、その上で王都に首を届けてやる。
「あ、魔剣と言えば………折れてますね、コレ」
「………」
言われてフライハイトはレギンに魔剣を折られたことを思い出す。
希少な鉱石を使って作られる魔剣は掛かる費用もそれなりだが、仕方ないだろう。
フライハイトの戦闘スタイル的にこう言うことは何度もある。
他の四本は残っているので、しばらくは四本のみで…
「まさか、五本とも折られるなんて」
「………………は?」
フライハイトは耳を疑った。
「ちょ、ちょっと貸してみろ! 早く!」
「え? あ、はい」
首を傾げながら手渡す弟子。
渡された四本の魔剣を確認すると、サッとフライハイトの顔が青褪めた。
折れている。
ご丁寧に、柄から先が全て無くなっている。
よく見ると、僅かに刀身の部分に『歯型』のような物が残っていた。
ドラゴンは人間に限らず、魔力を多く含む物は何でも好んで食べると言うが…
「あ、あ、あの野郎ぉぉぉぉぉぉ!? 今度会ったら、絶対に殺してやるからなぁ!?」
「やっぱり魔剣を食べちゃったのは、まずかったんじゃないですか?」
町の中に戻ったリンデは、レギンにそう呟く。
戦いの決着が付いた後、気絶したフライハイトを余所にバリボリとレギンが魔剣を食べ始めた時は何事かと思った。
「アイツのせいで魔力不足だからな。勝者として当然の権利を行使したまでだ」
魔力を含む魔剣を四本も食べた為か、レギンは機嫌が良さそうだ。
「フライハイトさん、怒っているだろうな…」
「それよりも本当にアイツを始末しなくて良かったのか?」
レギンはフライハイトを倒した後のことを思い出し、顔を歪める。
口封じをするべきだ、と言うレギンに対し、リンデが退かなかったのだ。
「良いんです。あの人だって悪いことをした訳では無いんですから」
「ふん。どのみち、武器を全て失ったアイツはしばらく何も出来ないか」
レギンは息を吐き、ちらりとリンデの顔を見る。
「そう言えば、魔力流出、とか言ったか? あんな無茶をした割には元気そうだな」
「あはは、あの時は無我夢中で…」
恥じるように笑うリンデ。
その顔色は悪くない。
それどころか、リンデの魔力は戦う前から僅かも減少していなかった。
(コレは、どういうことだ?)
聞いても恐らく、リンデ自身にも分からないことだろう。
魔力が減少しない人間なんて聞いたことが無い。
リンデの父親の会えば、それも分かるのだろうか。
「………」
レギンは無言でリンデを眺めていた。