第二十二話
会話に夢中になる女達の笑い声と喧嘩する男達の怒声。
日が沈みかけていても、通りを歩く人は少しも減らない。
むしろ、これからが本番だと言わんばかりに人でごった返している。
豪快に焼いた肉の香りと、酒の甘ったるい匂い。
人の欲望の全てが揃った歓楽街『ルスト』
「はぁー…凄いですねえ」
町に辿り着いたリンデは、ぽかんと口を開けて呟いた。
あまりの光景に目が点になっている。
「…酷い臭いだな。鼻が上手く効かん」
レギンは鼻を抑えて顔を顰める。
空気にまで酒精が含まれているのではないかと思う程に町全体が酒臭い。
普通の人間ならそこまで気にならないのだろうが、感覚の鋭いドラゴンには辛い。
(こんな調子だと、リンデの父親捜しも上手くいきそうにないな)
「あ、レギン! アレ、美味しそうですよ!」
レギンの考えには気付かず、リンデは無邪気に屋台へと近付いていく。
そこで売られている串肉に熱い視線を向けていた。
「買い食いよりも宿が先だろう」
「う、ううう…そうですね」
レギンに言われて渋々リンデは屋台から離れた。
それに呆れながら、レギンはリンデの手を掴む。
「ほら、行くぞ。逸れるなよ」
まるで保護者のようにリンデの手を引き、レギンは先を歩く。
されるがままに引っ張られながらも、リンデはきょろきょろと興味深そうに視線を動かす。
腹が減っているのか、主に食い物の店ばかりだった。
(やれやれ、こう言う時はマジでただの餓鬼だな)
レギンは何だかリンデが見た目以上に幼く見えたのだった。
「た、高い…」
宿の料金表を見てリンデは呻いた。
歓楽街ルストには、国中から多くの人間が訪れる。
それ故に、宿泊施設の料金も通常よりも高い物となっていた。
リンデの所持金では手が出せない金額だ。
「何だ? 金が足りないのか?」
「え、ええ…すいません」
「………」
財布と睨めっこするリンデを見て、レギンは考え込む。
「…まあ、お前には実家に泊めて貰った借りがあるから、良いか」
一人納得したように頷くとレギンはリンデの手を引いて宿を出た。
「…レギン?」
「換金所を探すぞ。どっかにあるだろう」
「換金所?」
「ほれ」
首を傾げるリンデにレギンは懐から出した物を見せた。
店明かりを反射して輝く棒状の物体。
それは純金の延べ棒だった。
「こ、これ、一体どこで…?」
「…身銭を切る、ってこう言うことを言うのかねェ…」
フッと何だか自虐的に笑うレギン。
その言葉を聞いてリンデはハッとなる。
「も、もしかして、コレってレギンの一部じゃ…!?」
「まさかこの俺が自分の体を切り売りすることになるとはな」
思う所あるのか、レギンは微妙な表情を浮かべた。
意外とプライドが高い所があるレギンなので、この行為にはかなり抵抗があるのだろう。
「大丈夫、なんですか?」
「この程度の魔力が減った所で肉体的な問題はない。気分の問題だ」
気分的な問題はあるようだ。
ともあれ、コレだけの黄金があればかなりの金になるだろう。
宿代も問題ない筈だ。
「お、在ったな。俺はコレを換金してくるから、ここを動くなよ」
「は、はい。苦労をかけます…」
「気にすんな。持ちつ持たれつ、だ」
ひらひらと手を振ってレギンは換金所へ入っていった。
「………」
リンデは換金を待つ間、レギンのことを考えていた。
何だか最近、レギンが親切になったような気がする。
と言っても、出会ってからそれほど時間は経っていないが。
(何か良いことでもあったのかな?)
レギンの態度が少し軟化したのはリンデに庇ってもらったことに恩を感じているからなのだが、リンデ自身はそれに気付いていない。
謙遜では無く、リンデは当然のことをしたとしか思っていないのだから。
他人に好意的に接するのはリンデにとって当然であり、誰かを嫌ったことも無い。
それはお人好しと言うよりは、人を嫌うほど精神が成熟していないのだ。
「そこの君、ちょっと良いか?」
だから、人の悪意を見ても気付くことが出来ない。
「どうしても、君に手伝ってもらいたいことがあってさ」
見知らぬ若い男が三人。
胡散臭い笑みを浮かべてリンデに近付いてくる。
「えーと、はい。私に出来ることなら」
わざとらしく困った態度を取る男の嘘にリンデは気付かない。
本当に何か困っていると考え、快く頷いた。
「ありがとう! じゃあ、こっちに来て」
内心下種な笑みを浮かべ、男達はリンデを誘う。
この街には多くの欲望で溢れているが、何より多いのは『金』だ。
ギャンブルや商売、金を求めてルストを訪れる者も多い。
そして、若い女は金になる。
無知な田舎娘が行方不明になるニュースなど、よくあることだ。
「ところで君の名前は…」
「そこの三人。止まれ」
笑みを隠そうともしない男達を止める声が聞こえた。
水を差された男達の顔が険しい物に変わる。
「俺の前で誘拐とは良い度胸だぜ。この野郎」
それは赤いマントの騎士だった。
五本もの剣を携えた若い騎士の男だ。
「誰だ、お前は」
「…俺を知らないだと? たっく、それでも王国民か?」
ぎろり、と赤い騎士は誘拐犯達を睨む。
「俺は『真紅』のドラゴンスレイヤー! フライハイト様だ!」
(…ドラゴンスレイヤー?)
その言葉にリンデは騎士、フライハイトの顔を見る。
リンデは王都でエーファの弟子となっていたが、彼には会ったことが無い。
そもそもドラゴンスレイヤーは王都を拠点としているが、国中に派遣されてドラゴン狩りをしているので必ずしも王都に居るとは限らない。
何らかの任務でルストに派遣されたのだろう。
「フライハイト? ドラゴンスレイヤーの?」
「ドラゴンスレイヤーって言ったら、アレだろう? エーファって言ったか?」
「………」
ぴきり、とフライハイトのこめかみから音が聞こえた。
大袈裟な仕草でマントを翻し、男達を指差す。
「…お前達の罪は二つ。一つ目はそこの少女を誘拐しようとしたこと」
フライハイトはもう一本指を立てる。
「二つ目は俺の名を知らなかったこと、だ!」
明らかに最初より激怒しながらフライハイトは叫ぶ。
エーファより知名度で劣ったことが何より腹が立ったようだ。
「イカレているのか? コイツ」
「いいからもうやっちまおうぜ!」
そう言って男達はナイフを取り出した。
こんなことを何度も続けている以上、荒事には慣れている。
それを見て、フライハイトも表情を真剣な物に変えた。
「俺の『魔剣』で成敗したい所だが、流石に人間相手にはオーバーキルだな」
一人呟き、フライハイトは腰に携えた剣を撫でる。
「死ねぇ!」
ナイフを振り被って一人の男が襲い掛かった。
それを前にフライハイトは何かを握り締め、踏み込む。
「滅竜術『竜爪』」
パキン、と軽い音が聞こえた。
男が腰が抜けたように座り込む。
その手に握られたナイフが、真っ二つに斬られていた。
「な。どうやって…!」
「構えろ。ほら、行くぞ!」
トン、と一歩で男達の懐に入り込むフライハイト。
その右手が振るわれるが、あまりに速すぎて得物が何なのかすら分からない。
ただ込められた魔力が赤く光り、虚空に赤い軌跡を残す。
「う、あ…」
「命までは取らねえ。大人しく法の裁きを受けるんだな」
倒れる男達を見下ろし、フライハイトは告げた。
(アレは…!)
様子を見守っていたリンデはフライハイトは握っている物に気付き、絶句する。
それは剣でも、ナイフでも、そもそも武器ですら無かった。
ただの木の枝。
少女の腕力でも容易く折れそうな小枝を使って、フライハイトは武器を斬ったのだ。
確かに『竜爪』は物体を強化する術だが、ここまではエーファにも出来ない。
(コレが、エーファさんとは違うドラゴンスレイヤー)
リンデは呆然とフライハイトを見つめていた。