第二十話
「じゃあ、本当にエーファさんは見逃してくれたんですね」
翌朝、目が覚めたリンデはレギンから事の詳細を聞かされた。
レギンが人を襲わない、と言う条件で見逃すと約束したことを。
「首輪を付けられたがな」
チャリ、と首に付けたロザリオに触れながらレギンは呟く。
ドラゴンであるレギンの肉体は魔力で構成されている為、魔力を抑えるロザリオは付けているだけで息苦しさのような物を感じるのだ。
まあ、それでも耐えられない程ではない。
その内、慣れるだろう。
「それで、これからどうするのですか?」
「そうさなぁ…」
エーファと戦う前から考えていたことだが、リンデの用件が済んだことでレギンの記憶の手掛かりも無くなってしまった。
「王都に行ってみるか、と考えていた」
「それは、どうして?」
「王都と言うからにはこの国で最も栄えているのだろう? 人の歴史は戦いの歴史だ。そこで文献でも読み漁れば古くから存在する竜についても分かるだろう」
エーファの話が真実なら、レギンの正体は『六天竜』の一体らしい。
ならば、少なくとも五百年以上は生きていることになる。
それだけ長く生き続けてきたなら、人間にも何度か干渉してきた筈。
その痕跡が、王都に残っている可能性は高い。
「でも、王都にはエーファさん以外のドラゴンスレイヤーもいますよ?」
「その為のロザリオだ。トラブルを起こさない限り、俺の正体はバレないだろう」
レギンはわざと楽観的な言葉を口にした。
エーファとの戦いを経て、レギンはドラゴンスレイヤーを強く警戒している。
心のどこかで下に見ていた人間が、ドラゴンであるレギンを容易く追い詰めた。
完敗だった。
あの戦いでレギンはエーファに傷一つ与えていないのだ。
エーファだけがドラゴンスレイヤーで飛び抜けて強いと考える程、レギンは愚かではない。
他のドラゴンスレイヤーもエーファと同等以上の実力を持つと考えて良いだろう。
そのドラゴンスレイヤーが本拠地としている王都へ行くのは自殺行為。
だが、そのリスクを考慮してもレギンには王都へ向かう必要があった。
全てはレギンの失った記憶を取り戻す為。
(…記憶、か)
レギンは自分の手の平を眺める。
かつての自分は、本当に六天竜だったのだろうか。
何百、何千もの人間を殺し、命を喰らい続けてきたのだろうか。
「………」
何故、自分はその記憶を失った。
人間を喰らうことに抵抗を感じるのは、どうしてだ。
本当に、レギンが悪竜だと言うのなら、何故…
「レギン? どうしました?」
「…いや、何でも無い」
レギンは苦い表情を浮かべてそう言った。
「王都に行くんだったら、私もついていきますよ」
「お前も?」
「ええ。だって、どのみち私は王都に戻らないといけませんし」
元々リンデはエーファに戦い方を教わっている途中なのだ。
親と喧嘩別れしたことを知ったエーファに一度里帰りするように言われ、色々あってレギンと共に故郷へ戻ることになった。
フルスの足は治ったので、もうこれ以上故郷に留まる理由はない。
「エーファさんも私を連れて戻るつもりで、ここで待っていてくれたんだと思います」
(…その割には置いていかれたがな)
エーファは昨夜の内に、さっさと王都へ帰ってしまった。
まあ、レギンが原因で怪我させそうになったことが気まずかったのかも知れないが。
それとも、見逃したとは言え、ドラゴンであるレギンとこれ以上共に居るのに耐えられなかったのか。
「それに、レギンの記憶を取り戻すお手伝いをすると約束しましたね!」
「そうか…」
グッ、と小さな握り拳を作るリンデにレギンは苦笑を浮かべる。
「なら俺も、お前の『父親』を探す手伝いをしてやろうか?」
「え?…お爺さんから聞いたんですか?」
「ああ、お前の爺さんは酔うと口が軽くなるようだな」
呆れるような笑みを浮かべて、レギンは人差し指を立てる。
「こう見えても俺は鼻が利く。お前に似た匂いを探せば、お前の肉親なぞすぐに見つかる」
魔力を喰らう生物だからか、竜は魔力に敏感だ。
森に居た頃は知らなかったが、血縁者は似た魔力の匂いをしている。
もし、リンデの父親が王都に居れば見つけ出すのは簡単なことだ。
「お前も忘れちまった記憶を知りたいんだろう? その気持ちは分かる」
リンデがレギンに対してシンパシーを感じたように、レギンもリンデの過去にシンパシーを感じたのだ。
エーファから庇って貰った恩もある。
借りを作りっぱなしは、気分が悪い。
「共に、失った過去を取り戻そうじゃないか」
大袈裟に手を広げてレギンは不敵な笑みを浮かべた。
王都。
とある建物の長い廊下を、エーファは早足で歩いていた。
「………」
無言で進むエーファを見て、擦れ違う騎士達が道を空ける。
この国では、王都を護る騎士よりも国王直属のドラゴンスレイヤーの方が地位が上である。
何しろ、騎士達は王都の治安を守る為に犯罪者と戦うが、ドラゴンスレイヤーが相手にするのは人間を遥かに超えたドラゴン。
騎士の中にはドラゴンスレイヤーに憧れて弟子入りする者も居る程だ。
「随分早えな、エーファ」
エーファの歩みを遮るように、一人の男が道を塞いだ。
年齢は二十三歳程度でエーファよりも一つ、二つ年上に見える男だ。
騎士風の赤い鎧に身を包んでいるが、周囲の騎士と比べて外見を重視しているのか派手に見える。
地面に引き摺る程に長い赤のマントを羽織っているが、最大の特徴はその得物だ。
左右の腰に二本ずつ剣を差し、背中にも一本の剣を背負っている。
計五本もの剣を携えながらも動きは軽快で、重さを感じない。
「帰還命令をかけたのは昨日だぜ? 流石、最速のドラゴンスレイヤーと謳われる健脚だな」
「………」
皮肉気に笑う男の顔を、エーファは無言でじっと睨むように見つめる。
「おいおい、数か月足らずとは言え、俺は先輩だぜ? 無視するなよ」
「…いや」
エーファは考え込むように口元に手を当て、もう一度男の顔を見た。
どこか不安そうに恐る恐る口を開く。
「あの、どちら様だったかしら?」
「………………」
ピキッ、と男のこめかみで嫌な音が聞こえた。
「本ッ当に! お前はつくづく癇に障る女だなァ!」
余裕そうに振る舞っていた表情を崩し、男は叫ぶ。
「フライハイトだ! お前と同じドラゴンスレイヤーの! お前がドラゴンスレイヤーとなるまでは! 俺が歴代最年少のドラゴンスレイヤーだったんだぞ!?」
怒りのあまり余計なことまで口走ってしまうフライハイト。
そう、フライハイトは二十歳と言う歴代最年少でドラゴンスレイヤーとなった天才。
しかし、その数か月後にはエーファが十八歳と言う若さでドラゴンスレイヤーとなり記録を更新した。
その一件から、フライハイトはエーファを一方的にライバル視して、敵視していたのだ。
「…まあいい。それよりもワーカホリックのお前が休暇を取るなんて珍しいじゃねえか。王都を離れてどこに行っていたんだ?」
「少し、弟子の様子を見に行っていただけよ」
「弟子? そういや、お前が田舎から出てきた餓鬼を気に入って弟子に加えた、とか何とか噂で聞いたがマジだったのか?」
フライハイトは心底意外そうに呟いた。
このエーファと言う女は、ドラゴンへの復讐心だけで生きている。
それ以外のことに何の興味も無く、冷たくは無いが優しくも無い、無機質な人間として有名だった。
ドラゴンスレイヤーの義務として何人か弟子を育成しているが、やることは必要最低限で基本的に自分の竜殺しの任務を優先するような人間だ。
その為、噂を聞いた時にも美人なのに男の影が全くないエーファに対する作り話かと思っていた。
「年下の坊主を育てる悦びにでもハマったか?」
「…一応言っておくけど、リンデは女の子よ?」
「何だ、つまらん」
ハッと鼻を鳴らして、フライハイトは両手を上げる。
「と言うか非力な女にドラゴンスレイヤーが務まるのか? ははは」
馬鹿にしたような態度に、エーファは少し顔を歪めた。
その言葉は、女でドラゴンスレイヤーとなったエーファのことも侮辱している。
「…私に構う暇があれば、あなたも任務に向かったらどう?」
「何?」
「ドラゴンスレイヤーはドラゴンから人々を守る為に存在する。女も男も関係ないわ。あなたもドラゴンスレイヤーなら、同胞ばかりに牙を向けるのではなく、本分を果たしなさい」
そう言ってエーファは背を向けた。
その背から伝わる冷ややかな空気に、フライハイトは思わず口を閉じる。
「では、さようなら。ラインハイトさん」
「………」
無言で立ち去るエーファを眺めているフライハイト。
「お、俺は…」
言われた言葉を噛み締め、ぶるぶるとその体が怒りに震える。
「俺はフライハイトだァー!? ああ!? あのクソ女、どこまでも人を馬鹿にしやがってー!?」
最後まで名前を覚えられなかったフライハイトは一人地団太を踏んだ。