第十五話
「エーファさんがお爺さんの足を治してくれたんですね」
「ええ。前に貰った薬が残ってて良かったわ」
リンデの言葉にエーファは朗らかに微笑む。
元々は中々戻って来ないリンデを心配してこの村へ来たエーファだったが、そこで代わりにリンデの祖父と出会った。
その症状を見て、手持ちの薬でどうにか出来ると気付き、治療を施したのだ。
「あの毒をすぐに治してしまうなんて凄い薬ですね…」
「王都の知人に貰ってね。竜血を希釈して作られた薬らしいけど」
そこまで言ってから思い出したように、エーファは少し険しい表情を浮かべた。
「そうだ。竜血で思い出したけど、あなた竜血をそのまま使おうとしてたんでしょう?」
「…駄目だったのですか? 竜血は万能薬って聞いたのですが」
「それも間違いじゃないけど、竜血は劇薬よ。素養ある人間ならともかく、魔力の容量が少ない人間が大量に浴びたらそのままショック死しても不思議では無いのよ」
「え゛」
ちらり、と思わずリンデはレギンの方を向いた。
リンデは既に二度も竜血を浴びせられているのだ。
今まで異常は無かった為、きっと大丈夫なのだろうが、もしかしたら死んでいたかも知れなかったのだ。
状況的に仕方ないと言えば仕方なかったのだが、頬に冷や汗が浮かんだ。
「………」
(ドラゴンスレイヤー…)
レギンはリンデと会話するその女を眺めながら考え込む。
黒を基調とした修道服に身を包んだ女。
手足は細く、力が強いようには見えない。
正直な所、竜殺しと言う程なのでもっと屈強な戦士をイメージしていた。
(………)
だが、レギンは彼女を侮ってはいなかった。
エーファの全身から放たれる魔力。
リンデの時にも感じたが、人間では有り得ない魔力量だ。
ドラゴンに匹敵する魔力が小さな人間の体に宿っている。
この女は、強い。
「ところで、気になっていたのだけど」
そう言ってエーファはちらりとレギンへ目を向けた。
「彼は?」
「あ、えーと、レギンはですね…」
びくり、と分かり易くリンデの肩が跳ねる。
エーファとの再会を喜んでいたが、今更になって状況に気付いたのだ。
レギンはドラゴンであり、エーファはドラゴンスレイヤーである。
当然ながら素直に答えれば、血を見ることになるだろう。
「護衛だ」
言葉に詰まったリンデの代わりにレギンはそう答えた。
「この餓鬼がどうにも危なっかしくてな。仕方ないから、ここまで送ってやったんだ」
ポン、とリンデの頭に手を乗せてレギンは言う。
面倒見の良い旅人を演じ、普段からは考えられないほど優しい笑みを浮かべている。
リンデは有り得ない物を見たかのように顔が強張っていた。
「それはそれは、孫が世話になったようじゃの」
話を聞いていたリンデの祖父が、深々とレギンに頭を下げた。
「自己紹介がまだだったな。儂はフルス。この子の祖父じゃ」
「俺はレギンと言う。しがない旅人のようなものだ」
適当に嘘をつきながら、レギンはひらひらと手を振った。
「エーファよ。リンデのこと、私からも礼を言うわね」
「ただの気まぐれだ。気にするな」
あまり深く突っ込まれてボロが出ても困るので、レギンはさっさと会話を終えようとする。
しかし、その態度が謙虚に見えたのかフルスは感心したように頷いた。
「今時珍しい好青年のようじゃな。どれ、もうすぐ夕食時じゃ。君も儂の家に来なさい」
「いや、俺は…」
人間の食事など御免被る、とレギンは断ろうとする。
「はっはっは! 遠慮などするな!」
ぐいぐいとレギンの腕を引っ張りながら歩いていくフルス。
抵抗するのは簡単だが、エーファの眼を気にしてレギンはされるがままだ。
「…何かウチのお爺さん、前よりも元気になってませんか?」
「薬が変な所にまで効いているのかも知れないわね…」
「やめて下さいよ!? 怖いこと言うの!」
フルスに連れて来られたリンデの実家は、その村で最も大きな建物だった。
流石に先日の屋敷ほどでは無いが、三人暮らしの家にしてはかなり立派な物だろう。
「レギン君、酒はいける口かな?」
家に居たフルスの妻、リンデ、エーファの女性陣が夕食の準備をしている中、フルスは一本の酒瓶を持ってレギンの下へやって来た。
「ああ、まあ、それなりに?」
(飲んだ記憶ないが…)
曖昧に返事をしながらレギンはフルスからコップを受け取る。
ドラゴンであるレギンにとって酒などただの水に過ぎないが、取り敢えず一気に飲み干した。
それに驚き、感心したように笑いながらフルスはまたコップに酒を注ぐ。
「…レギン君、あの子はドラゴンと戦ったのかい?」
「戦っていたな。無論、負けたが」
と言うより、負かしたのはレギン本人なのだが。
「あの子が騎士になると言った時には猛反対したが、まさか儂の為に竜退治に向かうとはな」
フルスは白髪の混ざった髪を撫でた。
リンデに対する心配と嬉しさが合わさった複雑な表情だ。
「あの子は優しい子だ。だが、優し過ぎる。誰か悪い人間に騙されないか、と不安なのだよ」
「確かにな…」
コップを口につけながら、レギンは頷く。
リンデは人を信じすぎている。
アレは純粋であると言うよりは、無垢なのだ。
無知と言っても良い程に『人』を知らない。
「…リンデは儂らの本当の孫では無い」
酒の入ったコップを傾けながらフルスは呟く。
「五年前、ある男から託されたのだ」
「ある男?」
「…名前は分からん。顔も隠していた」
「胡散臭い話だな。それで良くリンデを引き取る気になったな」
ある日、唐突に現れた謎の男。
見ず知らずの怪人物に見知らぬ娘を託されて、素直に受け入れる者がいるだろうか。
「儂も最初は拒否した…『どんな事情があろうと、家族は共に在るべきだ』と。だが」
「だが?」
「………」
その時の光景を思い出すように、フルスは目を細めた。
「『私には、この子に触れる資格すらない』…と告げるあの男の眼が、な」
それは厄介者を他人に押し付けようとする親の目では無かった。
本気で娘のことを想い、その上で手放す決意をした者の眼だった。
事情は分からない。
しかし、リンデがあの男の下に居ると必ず不幸になる。
そんな確信と、それだけは何としても避けなければならない、と言う強い決意があの男にはあった。
「あの子の為に使ってくれ、と大量の金貨も置いて行った。もしかしたら、どこかの貴族だったのかも知れないな」
「そのことをリンデは知っているのか?」
「知っている。だからきっと、あの子は思ってしまったのだろう」
自分は実の父に捨てられた。
五年経っても、父が自分の下に現れないのは自分に何か理由があるのだ、と。
だからこそ、リンデは騎士になることを望んでいる。
立派に成長し、有名になることでどこかに居る父に気付いて貰いたいと思っているのだ。
「んん? と言うか、アイツって十五歳くらいだろう?」
「そうじゃな」
「だったら、五年前にはもう十歳だったのだから、父親の顔くらい覚えているんじゃないのか?」
ふとレギンは気になったことを指摘した。
父親に会いたいなら、騎士として名を上げるよりも直接探した方がずっと簡単だ。
まさか、娘の前でもずっと顔を隠していた訳ではあるまい。
「…それがのう。あの子を誤解して欲しくはないんじゃが」
フルスは少々言い辛そうに口を開く。
「儂らが引き取ったばかりのあの子は、自分の名前すら満足に話せんような状態だったんじゃ」
「何?」
レギンは不審そうに眉を動かした。
十歳で言葉もろくに話せないのは異常だ。
何かの病気かとも思うが、現在のリンデを見る限り異常は見えない。
「儂らと暮らす内に普通に喋れるようになったのだが、この村に連れて来られるまでのことは何も覚えていないのじゃ」
「………」
レギンは口元に手を当てて、考え込む。
以前、リンデはレギンが記憶喪失であると知った時、やけに親身になっていた。
アレはきっと、共感を抱いたからなのだろう。
リンデ自身も五年より前の記憶が無い。
本当の両親、本当の故郷のことを何も覚えていないのだ。
この村での生活は幸福だったのだろうが、同時に失った記憶を想っていたのだろう。
「記憶喪失の人間と記憶喪失のドラゴン、か」
全く、皮肉が効いている、とレギンは自嘲気味に笑った。