第十四話
「ライヒさん。本当に良い人でしたね…」
リンデは荷物を背負って歩きながら、遠くに見える屋敷を振り返る。
この荷物の中身はライヒが別れる時に渡してくれた食料だ。
リーリエの仇を打ってくれた礼だと、そう言っていた。
一人娘を失ったばかりだと言うのに、ライヒは笑顔でリンデ達を送り出してくれた。
「んん? まあ、そうかもな」
リンデの言葉にレギンは生返事を返す。
その視線はリンデではなく、また手元の本に向けられている。
人間の食料に興味が無いレギンは、代わりに本を幾つか貰ったようだ。
「………」
無言で道を歩きながら、リンデは荷物から林檎を取り出す。
「レギンも一つどうですか?」
「要らん。俺は人間の食い物は嫌いなんだ」
「………」
手にした林檎を見つめて、リンデは再び無言になる。
僅かに顔色が悪い。
不安を隠せない顔のまま、リンデはレギンへ顔を向けた。
「…レギンって普段何を食べているんですか?」
「クハッ」
リンデの問いにレギンは失笑した。
「今更何を言っているんだ? ドラゴンが喰う物なんて決まっているだろう?」
読んでいた本を閉じ、レギンは悪辣な笑みを浮かべた。
それに恐怖を感じてリンデは一歩後退る。
「ドラゴンってのは人間を好んで喰うものだぞ………普通はな」
「普通は?」
「食指が動かんのだよ。どうもこの俺は、人間を喰らうことをあまり好んでいなかったらしい」
自分のことなのに他人事なのは、レギンが記憶喪失だからだろう。
ドラゴンは人間を喰らう生き物だと理解はしているが、何故か体が受け付けない。
不思議に思いながらも、受け付けない物は仕方が無い。
「だから俺は人を喰ったことは無い。まあ、俺が記憶している限りの話だが」
「そう言えば…」
以前レギンに初めて出会った時、大勢の死体を見つけたが、その肉を喰らった形跡はなかった。
リンデと戦った時も倒したリンデを喰うことは考えていなかった。
「今は人間体で消耗も少ないから、たまに新鮮な肉でも喰えばそれで事足りる」
そう言うと、話は終わったとばかりにレギンは読みかけの本を開いた。
「…良かった」
ひそかにリンデは安堵の息を吐いた。
レギンはドラゴンであり、躊躇いなく人を殺すことは知っている。
だが、人を食べたことは無い、とレギンの口から聞けて安心した。
レギンはシュピーゲルのようなドラゴンとは違うのだ、と。
「あ、見えてきましたよ!」
それからしばらく歩き、段々と空が赤く染まってきた頃にリンデは叫んだ。
リンデの指さす先には、長閑な村が見える。
子供達が元気に走り回り、大人達が汗を流して働いている平和な風景。
葡萄畑から漂う香りに、リンデは目を細める。
故郷を出てから未だそれほど時間は経っていない筈だが、リンデは思わず懐かしさを感じた。
「っと、懐かしんでる場合じゃない。レギン、私の家に案内しますね」
「…ふむ」
「レギン? どうしました?」
村を眺めて首を捻るレギンに、リンデは不思議そうに尋ねた。
「いや、お前に既視感を感じたから、その故郷も見覚えがあるかも、と思ってな」
レギンはリンデの顔に既視感を感じたが、リンデの方はレギンを知らなかった。
だから、どこかで一方的に知る機会があったのでは、と考えていたのだ。
その可能性として高いのが、リンデの故郷だった。
「どうですか、何か思い出しました?」
「…全然だな。俺はここへは来たことが無いようだ」
当てが外れた、とレギンは顔を歪める。
「まあいい、約束は果たそう。お前の大切な人とやらの所で案内してくれ」
元々そう簡単に行くとは思っていなかったのかレギンは切り替え早く、そう告げた。
「はい、お願いします。大切な人と言うのは私の祖父でして…」
「…リンデか?」
「え?」
詳しい説明をしようとしていたリンデの言葉を遮り、村人が顔を出す。
初老の男であり、皺は少ない方だが、髪には白い物が混じっている。
歳の割にはがっしりとした体つきをしており、しっかりした足取りでリンデの下へ駆け寄る。
「…誰だ?」
「お、お、お…」
「お?」
限界まで目を見開いたリンデは、近寄ってくる老人へ叫んだ。
「お爺さん!? 何で、立って…? いや、走って!? ええッ、何で!?」
「おお、やはりリンデだったか。元気そうで良かった良かった」
驚愕するリンデを余所に、祖父は久しぶりに孫に会ったように笑みを浮かべる。
リンデは思わず祖父の足を凝視するが、足は健康そのものだった。
「わ、私、お爺さんの足を治す為に竜血を…」
「…ああ、やっぱり儂の為だったんじゃな。あの人の言った通りじゃ」
「あの人?」
話が読めずに首を傾げ続けるリンデに、祖父は指差す。
二人揃ってそちらへ目を向けると、村の中に一人目立つ容姿の人物がいた。
「………」
年齢は二十一、二ほどの女性だ。
頭には黒いベールを被り、黒い修道服に身を包んでいる。
敬虔な修道女らしい格好だが、太股には大きくスリットが入っていた。
露出した足には皮のベルトで黒塗りのスティレットが付けられている。
豊満なスタイルをしており、豊かな胸元にはシンプルなデザインのペンダントを付けていた。
露出度の高さが目を引くが、黒を基調とした地味な色合いであり、どちらかと言えば見栄えよりも機能性を重視してこのような格好になったような雰囲気だった。
「あ、あなたは…!」
「久しぶり、ね。リンデ」
女は聖女のように穏やかな笑みを浮かべた。
「エーファさんが、どうして、ここに…?」
「あなたが帰省してから全然戻って来ないから、心配して来たのよ」
エーファは咎めるようにリンデの顔を見つめる。
リンデは小さく呻き、視線を逸らした。
「…で、今度は誰なんだ?」
顔を背けた先で目が合ったレギンはそう尋ねる。
「ドラゴンスレイヤー」
「………何だと?」
「エーファさんは、王都で私に滅竜術を教えてくれた、ドラゴンスレイヤーです」