第百三十話
かつて、この地には今の人類とは異なる文明を持った者達が存在した。
後に古代人と呼ばれる人間達は高度な文明を誇った。
発達し過ぎた科学はあらゆる傷、病を克服し、やがて寿命まで超越した。
『命』は自由に作り出せる物となり、その価値は下落した。
溢れ出る欲望に従って古代人達は世界を踏破し続けた。
山の頂、海の底、ありとあらゆる神秘を解き明かした。
『―――』
そして遂に、それを見つけてしまった。
世界の果てに存在したそれは人類の発生以前、この世界の成り立ちから存在する『神』に等しい存在。
自我も無く、ただ一人きりの世界を味わっていたそれは、自分以外の存在を初めて認識したことで『自己』を会得した。
芽生えた感情は『憎悪』
何故この世界に己以外の者が存在するのかと言う嫌悪。
『―――ッ!』
それは咆哮を上げた。
憎悪のままにそれは形を変える。
黄金の鱗、黄金の翼を持った邪竜。
それは後に、ファフニールと呼ばれた。
『…ク』
ファフニールは空高く飛翔しながら、魔力剥離砲を見下ろした。
遥か昔、邪竜を起こしてしまった古代人がそれを屠る為に作り出した兵器。
神と同等の存在だったファフニールに傷を負わせ、不死を奪った存在。
ファフニールがこの世で唯一恐れる物があるとすれば、それはあの古代兵器である。
だが、
『ククク…クハハハハハハ!』
ファフニールはそれを理解しながら、嗤った。
あの古代兵器の恐ろしさ、性質は二十年前に思い知らされた。
(しかし、それはジークムントと言う例外が居たからだ)
本来ならあの兵器は起動する為に多くの命を消費する。
ジークムントが一人で起動したのは例外中の例外。
同じことを別の人間が出来る筈がない。
ならば、グンテルは代わりの命を用意したのか?
(それも現実的ではない。人間は自身の死を何より恐れるものだ)
総体として見れば、人類を滅ぼすファフニールを殺す為に数十、数百の命を消費することは採算が取れていることだ。
だが、人間はそのような決断は出来ない。
自分以外の何かの為に命を捨てられる者など、あのジークムントのような一握りの人間だけだ。
(であれば…)
ファフニールは視線を魔力剥離砲から王都の全体へ向ける。
そして、自身に向けられる別の兵器を見付けた。
全部で五か所。
王都のあちこちに設置された魔力剥離砲を小型にしたような兵器。
(そちらが本命か…!)
ファフニールの肉体が弾け、黄金の光が五発放たれる。
流動する黄金は巨大な柱となり、王都各地に置かれた全ての兵器を破壊した。
「な…!」
『クハハハ! この俺を欺けると思ったか!』
計画が失敗し、絶句するグンテルをファフニールは嘲笑した。
『その古代兵器はハッタリだ! 俺の注意がそれに向いている間に不意を突くつもりだったのだろう!』
己の無力を知恵で補おうとするグンテルらしい手だ。
ジークフリートのふりして長年付き合ってきただけあって、その思考は既に分かり切っている。
『愚かなり! 人間如きが、竜を撃ち落とせると驕ったか!』
この空は竜だけの物だ。
否、己以外の竜など必要ない。
人も竜も地に身を埋め、首を垂れていればいい。
この空は、この世界は、全てファフニールだけの物なのだから。
「…本当に、ハッタリだと思うか?」
一人呟くようにグンテルは言った。
ファフニールは人間を超えた聴力で、それを聞き取る。
「ハッタリかどうか…! その身で試してみるがいい!」
瞬間、魔力剥離砲は起動した。
その砲筒がファフニールへ向けられ、段々と光が収束していく。
『馬鹿な…! 何故、それを起動できる…!』
「…クローンだ」
グンテルは表情の無い顔で、短く告げた。
「クリームヒルトのクローン達は丁重に葬ったが、まだドラゴンのクローンが残っていたのでな」
かつてジークムントはファフニールの竜血を全身に浴びることで生命力を強化した。
自身の生命力を最大まで増幅させることで一人で数百人分の命の代わりとなった。
同じように、竜血によって生み出された無数のクローンをエネルギーとして用いることで魔力剥離砲を起動させたのだ。
『ッ…!』
「青褪めたな。だがもう遅い」
血のように赤黒い閃光が放たれる。
それは一つの流星のようにファフニールへ迫る。
(まだ、だ! まだ間に合う…! 回避を…!)
「『魔竜剣・捌式』」
咄嗟に回避行動を取ろうとしたファフニールの翼が天を突くような火柱に呑み込まれる。
ファフニールの翼が焼かれ、その動きが止まった。
「コレで良いんだろう? グンテル」
「ジーク、フリート…!」
ファフニールは怨嗟の声を叫ぶ。
しかし、もうどうにもならない。
赤黒い流星は既に目の前に迫っていた。
『ア、アアアアアアアアアア!』
黄金の竜が、撃ち落とされた。
「よし…!」
墜落するファフニールを見ながら、ジークフリートは拳を握り締める。
魔力剥離砲を受けたファフニールの魔力は分解され、段々とその身体は小さくなっていった。
『…上手くいったようだな』
通信機からグンテルの声が聞こえた。
「ははは! 見直したぜ、グンテル! 父さんと同じことをするなんてやるじゃねえか!」
『父さん、か。ジークフリート。久しぶりだな』
「ああ、久しぶりだ。色々と迷惑をかけて悪かったな」
『…まだ記憶が完全に戻っていないのか? 貴様は素直に謝罪するような奴では無かったと記憶しているが』
「いやぁ、過去を振り返って『お義兄さん』にはもっと優しくしようと思っただけだ」
『…相変わらず癇に障る奴だ』
やはり相性が悪いのか、早々に喧嘩を始める二人。
とは言え、両方とも本気で相手を憎んでいる訳では無いようだが。
『まあいい。それで、ファフニールの様子はどうだ?』
「心臓の破壊は確認していないが、多分致命傷だな」
『多分では困る。既に『弾』は使い果たした。もう魔力剥離砲は使えんのだぞ』
グンテルは真剣な声で告げる。
魔力剥離砲は起動させるだけで数百の命を消費する。
竜のクローンを使ったとは言え、一度撃てただけで限界だった。
次弾は無い。
だからこの一撃でファフニールを仕留めなければならないのだ。
「了解。じゃあ、念の為に俺が奴の心臓を…」
ドクン、と大きな鼓動が辺りに響いた。
魔力剥離砲を受け、形を失った黄金の塊。
それが脈打つように蠢いていた。
「チッ…しぶとい!」
まだ生きている。
そう判断したジークフリートは魔剣を手に走り出す。
『―――求めたのは、静寂』
蠢く黄金から声が響く。
『全ての命、全ての音が消えた永久の闇…』
黄金の塊から数多の剣と槍が射出され、ジークフリートを襲う。
『あらゆる生命の存在しない原初の世界なり』
その代わりに向かっていったフライハイトを黄金の大蛇が迎撃した。
『空よ! 大地よ! 我が血に染まれ!』
二人が足止めされている間に、言葉は紡がれる。
『赤き黄金よ! この世全てを喰らえ!』
それは憎悪と嫌悪の呪い。
己以外の一切を否定する呪詛の言葉。
『ラインゴルト』
残骸となった黄金が弾ける。
魔力剥離砲を浴びた部分を削ぎ落し、黄金の塊からファフニールが新生する。
『―――』
その姿は竜では無かった。
背格好はジークフリートに似ているが、皮膚が黄金の鱗に覆われている。
鱗の上には赤い竜紋がひび割れのように全身に広がっており、黄金の眼球にも同じ模様が刻まれていた。
背からは黄金の尾が生え、手足には強靭な爪を持つ。
不完全な人型。人と竜の中間のような姿だった。
『さあ、戦いを続けよう…! ジークフリート!』
ファフニールは壮絶な笑みを浮かべてそう告げた。




