第十三話
「………」
「起きたか。もう昼だぞ」
翌日。
太陽が完全に上った頃に目を覚ましたリンデに、レギンはそう声をかけた。
場所は屋敷の一室。
傷付いていた体は完全に癒えていた。
「…またレギンの血を?」
「おう。お前に死なれるとこっちも困るからな」
ライヒから借りたのか、何かの本に目を通しながらレギンは言う。
「にしても、アイツのことは無念だったな」
パタン、と本を閉じてレギンは悔しそうに呟く。
あのドラゴンが死んだことを心底惜しむように顔を歪める。
「折角まともに会話が出来る同族に会えたと言うのに。何か俺について知っていそうだったのによ」
「そっち、ですか」
「それ以外に何がある?」
レギンにとってシュピーゲルの価値などその程度だろう。
何も知らないのであれば、そもそも殺したことを惜しむことすらない。
「…もしかして、レギンは最初から気付いていたのですか?」
「あの女の正体か? 言っただろう、一目で分かると」
巧妙に隠されていたならともかく、シュピーゲルは魔力を殆ど抑えていなかった。
初対面の時から、レギンはリーリエと名乗った少女の正体に気付いていたのだ。
「どうして、黙っていたんですか…?」
「俺は別に人間の味方となったつもりは無いからなァ。襲ってきた奴は必ず殺すが、自分から仕掛ける気は無い。魔力の無駄だからな」
それがレギンのスタンスだ。
人間であれ、ドラゴンであれ、自分から狩ることは無い。
レギンは空腹を満たす為に人間を襲わないが、人間を喰らうドラゴンを止める気も無い。
誰の味方でも無いのだ。
「………」
レギンの言葉を聞き、リンデはがっくりと肩を落とした。
冷酷なレギンに失望した、と言う訳では無さそうだ。
リーリエの正体に気付けなかった己の無力感を噛み締めているのだ。
「…ライヒさんは、どうしていますか?」
「ある程度の事情は俺が説明した。多少は取り乱していたが、もう頭も冷えているだろう」
「ッ」
リーリエはライヒの一人娘だ。
それが既に死んでいて、今まで娘だと思っていた者は娘を殺したドラゴンだった。
その真実を知ったライヒの絶望は、どれ程の物だろうか。
「………」
娘の恩人だと迎えてくれたあの人の笑顔を思い出す。
あの笑顔を、また浮かべることが出来るのだろうか。
「…私が」
「ん?」
「私が、もっと早くこの村に来ていれば、リーリエは死ななかったんですかね」
ぽつり、とリンデはそう呟いた。
それにレギンは眉を動かす。
「お前が? あのドラゴンに殺されかけていたお前が居れば、リーリエを護れたと?」
「倒せなくても、リーリエ達を逃がす時間くらいは…」
「自惚れるな」
レギンは酷く冷めた目で見下ろし、そう告げた。
ビクッとリンデの肩が震える。
「お前に出来ることなんて何もない。俺ほどでは無いにしろ、奴もドラゴンだ。お前が居た所で、殺される人間が一人増えるだけだ」
事実、リンデはシュピーゲルに騙され、喰われる寸前だった。
ワームやワイバーンは倒せてもリンデの実力などその程度。
ドラゴンには絶対に勝てない。
「自覚しろ、お前は弱い。お前に救える人間など、ほんの僅かだけだ」
「ッ…!」
布団を握り締め、リンデは悔し気に俯く。
リンデは幼い。
普段の言動から年の割に大人びているように見えるが、内面は外見以上に幼く未熟だ。
生まれつき高い魔力を持っていたことで、強い『英雄願望』を持っている。
そこに祖父に対する罪悪感が合わさり、誰かの為に力を尽くしたいと言う願望に縛られている。
「わ、私では…」
「うん?」
「私ではみんなを救う英雄に、ドラゴンスレイヤーには成れないと、そう言っているのですか?」
カタカタと身を震わせながらリンデは涙声で言った。
現実を思い知った幼子のように打ちひしがれて、潤んだ目でレギンを見つめる。
「そうは言っていない」
「え?」
「俺が否定したのは今のお前であり、お前の未来までは否定していない」
手にした本を放り捨て、レギンは勘違いを正すように言葉を続ける。
「大体、あの時にこうすれば良かっただの。そんな妄想に意味はない。人間が目を向けるべき先は、もうどうしようもない『過去』ではなく『未来』だろう?」
過去を悔やむのは人間の性だが、どれだけ後悔した所で過去は変えられない。
人間に変えられるのは未来だけだ。
「お前が悩むべきことは、あの時どうすれば良かったではなく、これからどうすれば良いのか、だ」
「これから…どうすれば良いのか…」
「弱い自分が嫌なら成長しろと言うことだ。人間がドラゴンに勝る点があるとすれば、その『成長速度』なのだからな」
百年かけてようやく成体となるドラゴンに比べ、人間は二十年程度で成体となる。
努力と才能次第では二十数年で、百年以上生きたドラゴンに並ぶ実力を得るのだ。
人間を見下す傾向のあるドラゴンであっても、その成長速度だけは認めている。
「…ありがとうございます。少し、元気が出ました」
リンデは涙を拭って、小さく頭を下げた。
本当に英雄となりたいのなら、こんな所で立ち止まってはいられない。
今は自身の弱さを受け入れ、努力するだけだ。
「ハッ、お前は前向きなように見えて案外打たれ弱いな。夢や理想は立派だが、圧倒的に人生経験が足りな過ぎる」
「人生経験が足りないって、記憶喪失のレギンに言われたくないです」
「クッハッハッハ! 痛い所を突いてくれる。調子が出てきたか?」
愉快そうに笑い、レギンは立ち上がった。
「ではあの男に別れを告げて、先を急ごう。もう目的地は近いんだろう?」
「ええ。今から出発しても夜までには着く筈です」
そう言ってリンデもベッドから起き上がった。