第十二話
私達は一人で生まれてきて、一人で死ぬ。
親なんていない。友なんていない。
誰も守ってはくれない。
弱ければ、ただ死ぬだけだ。
私は、死にたくない。
『………』
人間はドラゴンとは違う。
家族がいる。友達がいる。
弱くても、役に立てなくても、誰かに守ってもらえる。
生きることが赦される。
ああ、どうして私は…
「ゴホッ…ゲホッ…!」
『………』
地面に倒れるリンデへと、ドラゴンは近付いてくる。
その大口を開け、リンデを一飲みで呑み込まんとする。
『怖がることは無いわ。私に喰われても、あなたは死なない。あなたの代わりに私がリンデとして生きるから誰もあなたの死に気付かない』
イーリスと言う少女からリーリエに姿を変えた時と同じ。
行方不明となるのは前の皮の方であり、リンデはこれからも生き続ける。
ただ姿形を奪うだけではない。
その身を喰らい、記憶を奪い、身も心も完全なリンデとなる。
「どう、して…私を…」
『あなたの連れが強いからよ』
人の皮を被るドラゴンは、シンプルに答えた。
『人間の大人は子を護るものなんでしょう? だから私は子に化けて、護ってもらうのよ。他のドラゴン達から! ドラゴンスレイヤーから! あらゆる危険から!』
誰かに護られたい、と言う思いだけで生きるこのドラゴンにとって、人間とはそう言う物だ。
ただ自分の安全を保障するだけの存在。
『あの男は、今まで見てきた人間の中で一番強い! だからこそ、私は彼が欲しいのよ!』
ドラゴンは自身の欲望を叫ぶ。
人間に化けた所で、本質はドラゴンのままだ。
人間を見下し、自身の都合の良いように解釈している。
「へえ。そこまで熱烈に求められているとは思わなかったな」
『!』
ドラゴンが欲望のままリンデに襲い掛かろうとした時、声が聞こえた。
コツコツ、とわざとらしく足音を立てて現れたのは、たった今ドラゴンが口にしていたレギンだった。
「レ、ギン…」
「何、勝手に死にかけてんだよ。リンデ」
ボロボロのリンデを見下ろし、レギンは深いため息をついた。
それからゆっくりとドラゴンへ視線を戻す。
「リーリエ、だったか?」
『…その名はもう要らないわ。私は、シュピーゲルよ』
ドラゴン、シュピーゲルはぎょろぎょろとした目でレギンを睨んだ。
『イライラするわ。予定が狂っちゃったじゃない』
よりによって一番見られてはマズイ相手に姿を見られた。
これではリンデに化けた所で意味はない。
『…仕方ない。あなたもリンデも、ついでにこの村の人間も、全部食べて別の相手を探すとするわ!』
カッとシュピーゲルの口からブレスが放たれる。
レギンは地面を蹴り、危なげなくそれを躱した。
『よく動くわね。でも、熊を殺せる程度の実力で、ドラゴンに勝てると思うな…!』
シュピーゲルが翼を広げて、勢いよくレギンへと迫る。
何か考え込むような顔をしているレギンの頭上から、その拳を振り下ろした。
竜の力を以てすれば、人体など枯れ木のように容易く砕ける。
『…何?』
しかし、その拳はレギンの振り上げた片腕によって止められた。
シュピーゲルが腕にどれだけ力を込めても、それはびくともしない。
「…なあ、お前さ」
レギンは怒りも笑みも無く、淡々と口を開いた。
「弱い、だろ」
ギギギ、とシュピーゲルの拳から嫌な音が響く。
レギンに握られている部分の骨が軋み、鱗に亀裂が走る。
『ぐッ…! 私は、百年を生きたドラゴンよ! それのどこが弱いと言うの!』
「ドラゴンにとって自身の肉体を変化させるのは基本中の基本だ。鱗を黄金に変えたり、傷ついた肉体を再生させたり、な」
『それが何…』
「なのにどうして、お前は人に化けるのに人を喰う必要があるんだ?」
『ッ!』
肉体を維持する為の魔力補給ならともかく、人型になるのに人間を喰らう必要はない。
事実、レギンは自身の肉体を再構成する形で人型に変身している。
シュピーゲルが人間に混ざりたいのなら、わざわざ誰かの皮を被る必要は無いのだ。
「お前は人型になれない。誰か人間を喰って、それをモデルにする形でしか姿を変化できない」
レギンは口元に嘲笑を浮かべた。
「百年の間、戦うことを恐れて延々と逃げ回って生きてきたのだろう。だから、魔力の使い方が他より劣っているんだ」
『…言わせておけば!』
顔を歪めたシュピーゲルは腕を振り払い、翼を広げて飛翔した。
人では辿り着けない空。
地上のレギンを憤怒の眼で睨み、その口内に魔力を溜める。
「戦いに慣れていれば、一目で気付けただろうに」
レギンは手の平を地面へと向ける。
その手から黄金の槍が伸び、握り締めて空を見上げた。
「俺が何者なのか、なァ!」
ブレスを放とうとしていたシュピーゲルへ黄金の槍が投擲される。
『こんな物が、当たるとでも…!』
翼を動かし、シュピーゲルは空中で槍を躱す。
空を自在に飛び回るドラゴンにとって、直線的にしか動かない槍を躱すことなど容易い。
「裂けろ」
瞬間、黄金の槍が破裂した。
バラバラに散った黄金の欠片は、無数の鏃となってシュピーゲルに降り注ぐ。
『ぐ、あああああああああ!』
傷は修復するとは言え、痛みが無い訳では無い。
全身を貫かれる痛みに絶叫し、シュピーゲルの体が墜落する。
「まだ終わりじゃないだろォ!」
追い打ちとばかりにレギンは新たに二本の槍を投擲した。
レギンの肉体を離れても、この黄金がレギンの一部であることは変わらない。
投擲された槍も空中に溶け、夥しい数の針の山となって墜ちてくるシュピーゲルを滅多刺しにする。
『あ、あああ…!』
体中に空いた穴から血を流しながら、シュピーゲルはよろよろと身を起こす。
再生は始まっているようだが、リンデと戦った時と比べて治りが遅い。
『…この魔力の感触、あなたは、ドラゴン…?』
「クハハハ! 今更気付いたのか?」
笑うレギンの皮膚の一部が黄金の鱗となり、顔に赤い紋様が浮かんでいた。
興奮のあまり、人化が解けかけているようだ。
『そ、その、紋様は…!』
シュピーゲルはレギンに浮かぶ紋様を見て、血相を変えた。
ガタガタ、と身を震わせてその眼に恐怖が浮かぶ。
「何だ? お前、コレについて何か…」
『う、あ…ああああああ!』
錯乱したように叫び、シュピーゲルは翼を動かした。
(逃げ、逃げない、と…! アレは、アレは…!)
穴だらけの翼では飛ぶことが出来ない。
再生するには魔力が必要だ。
(魔力、餌…!)
ぎょろぎょろと動く眼球が倒れているリンデを見つけた。
その身に纏う人間離れした魔力に気付く。
「ッ! おい、やめろ!」
『ああああああああ!』
叫びながらシュピーゲルは動けないリンデの下へ向かっていく。
その肉を喰らって翼を治し、恐怖から逃れる為に。
(あと少し…あと…!)
もう手が届く、と言う所でシュピーゲルは衝撃を感じた。
背中から一本の槍が貫通し、シュピーゲルの胸を貫いている。
「チッ!」
レギンの舌打ちが聞こえた。
心臓。
ドラゴンの魔力の源であり、その肉体を維持している部分。
『…か…あ』
唯一の急所を貫かれたシュピーゲルは、ゆっくりと崩れ落ちる。
そして、二度と動くことは無かった。