第百十話
「………」
眼を覚ましたファウストは体の痛みに顔を顰めた。
記憶が曖昧だ。
何故、自分はこんな所で気絶していたのか。
「………ッ!」
段々と意識がハッキリして、ファウストは自身の状況を思い出した。
すぐに立ち上がろうと、足に力を込める。
「はい、ストップ。患者は絶対安静ですよー」
それを押し止めるように肩に手が置かれた。
「…ハーゼ、か?」
「そうですよー。取り敢えず、コレ飲んで下さいね」
ハーゼは事務的に薬の瓶を取り出し、ファウストに渡す。
「そんな顔しなくても、私だって来たくて来た訳じゃないですよ」
意外そうなファウストの視線に気付き、ハーゼは息を吐いた。
基本的に自分の為にしか行動しないハーゼにとって、この場に居ることは不本意なのだ。
「グンテル様に命令されまして。余所ならともかく、王都で負傷者が出たとあっては私が向かうしか無いんですよー」
心底嫌そうにハーゼは吐き捨てる。
立場上断ることが出来ないのが辛い所だ。
もうドラゴンスレイヤーでは無いので、ドラゴンとの戦闘は死んでも断るが。
「そう言う訳で、これ以上私の仕事を増やさないでくれます?」
「…だが、六天竜が!」
「ああ、あの化物ならこちらの化物が相手をしていますよ」
そう言ってハーゼはどうでも良さそうに指差す。
そこではオルムとレギンが交戦していた。
「六天竜の相手はアレに任せて、あなたは自分の傷を治して下さい。ボロボロなんですから」
膝をつくファウストを眺めながらハーゼは告げる。
軽く調べた程度だが、その身体は重傷だ。
手足の骨は折れ、内臓も幾つか潰れている。
「…むしろ、竜に何度も殴られてよくその程度で済みましたね」
心配など欠片もしていないが、ハーゼはファウストの命を救う為にここ来た。
無駄死にさせる訳にはいかない。
「…それでは、駄目だ」
ファウストは薬の入った瓶を口にしながら言った。
「俺は証明しなければならない…! 七星拳が竜に通じると言うことを! 我が師は決して間違っていなかったのだと!」
その為に、その為だけに今までファウストは戦ってきた。
遂に絶好の機会が巡ってきたのだ。
かつて師を殺したドラゴン。
それを師の遺した七星拳で打ち破れば、証明できる。
師の無念を晴らすことが出来る。
「…はぁ、これだから汗臭い武道家は嫌いなんです」
「何だと…」
「自分の名誉の為、とかならまだ分かりますけど、武術の為に死ぬとか…」
呆れたようにハーゼはため息をついた。
理解できないものを見るような目で、ファウストを眺めている。
「形はどうあれ、武術ってのは元々命を守る為に身に着けるものでしょう? それに殉じて死ぬなんて本末転倒ですよ」
「己の命など惜しくはない! 師の為なら…!」
「それ、本当にあなたのお師匠さんが望んだことなんですか?」
諭すつもりは無く、ハーゼは純粋な疑問を口にした。
「あなたの師がどんな人かなんて知りませんけど、その人はあなたに武の為に死ねと言って七星拳を授けたのですか?」
「………」
その通りだ、とファウストは言えなかった。
師は、あの人は何と言って七星拳を教えてくれたのだったか。
ドラゴンの脅威から人々を守る姿に憧れたファウストに、あの人は…
「………」
『人を護れ』と言ったのだ。
七星拳は人の為の技。
魔力を持たない凡人が、それでも人を護る為に身に着けた力。
「…そうだ」
それを人々が認めるかどうかなど、関係ない。
ただ目の前の人間が救えれば、それでいい。
栄光など、名誉など、あの人は初めから望んでいなかった。
「…俺は」
ファウストはゆっくりと、オルムと戦うレギンを見た。
「七星拳『凶星』」
「チッ…!」
レギンはオルムの拳を躱しながら、その姿を観察する。
オルムの左半身に浮かび上がる竜紋。
先程オルムは竜紋を起動させた。
だが、特に大きな変化は起きていない。
発動時、一瞬だけ身を焦がすような強い熱を感じたが、それだけだった。
レギンの体にも異常は無い。
「………」
しかし、何かが変わった。
六天竜の竜紋が不発に終わるなど有り得ない。
必ず何かが起きている。
「カハハッ…」
黄金の剣を構えて迫るレギンを見て、オルムは凶暴な笑みを浮かべた。
「滅竜術『竜脚』」
「な…あ…ッ!」
一瞬、レギンの思考に空白が生まれる。
滅竜術。
それは、人が竜を滅ぼす為の力。
魔力の違いから竜には決して使うことの出来ない筈の…
「爆ぜろ!『亢竜暴戻』」
「ッ…!」
動きの止まったレギンの前に魔力を纏ったオルムの蹴りが放たれる。
七星拳では無い魔力を用いた技。
赤々と燃え盛る脚は、レギンに触れた途端に赤黒い炎となる。
「…ッ…ぐ…!」
脚を受け止めたレギンの左腕が粉々に爆ぜる。
爆炎で左半身を大きく欠損し、レギンは地面に倒れた。
「カハハハハッ! 私の身に着けている技が、七星拳だけだと思ったか?」
「…滅竜術」
レギンは傷を再生させながら、オルムの顔を見る。
「今まで目にした滅竜術を会得することがお前の竜紋の能力、か」
「少し違うな。何も、滅竜術に限った話では無い」
オルムは己の身に溢れる力に笑みを浮かべた。
「我が竜紋の能力は『記録』だ」
技も滅竜術も、その顔や人格に至るまで何一つ忘れないことをオルムは望んだ。
「『この命の輝きを永遠に覚えていたい』…それこそが私が竜紋に込めた欲望」
他の六天竜のように世界に影響を与える力では無い。
影響を受けるのは内側。
ただオルムだけに作用する力だ。
「カハハハハハハ!」
「…くそッ!」
猛獣のように襲い掛かるオルムに、レギンは急いで体勢を整える。
滅竜術とは、人間が使用しても竜に迫る力を発揮する。
ならばそれを人間よりも魔力で勝る竜が使用すればどうなる。
況して、竜の中でも特に強力な六天竜が使えば…
「滅竜術『竜爪』」
オルムの膨大な魔力が全て両腕に集まる。
両手両足を地面につき、オルムは虎のような体勢を取った。
「滅びろ!『竜変狂悖』」
それは、暴風雨だった。
地面を転がりながら、オルムは周囲を無差別に切り刻み続ける。
通過する大地に爪痕を残し、レギンを呑み込まんと襲い掛かった。
「う、おおおおおおおお…!」
レギンは手にした剣に全魔力を込め、盾とする。
最大まで強化された黄金の剣はオルムの猛攻を食い止めるが、それは一時的に過ぎない。
「カハハッ! 我が最大の攻撃を! 受け止め切れるか!」
少しずつ、レギンは圧されていく。
黄金の剣に小さな亀裂が走っていく。
「終わりだ! お前は良く戦った! お前の技の全て、記憶しておこう!」
「く、そ…!」
レギンの顔に苦悶の色が浮かぶ。
黄金の剣が砕け、オルムの爪がレギンの体に届く。
「七星拳『客星』」
その直前、オルムは声を聞いた。
殴るのではなく、オルムの背に触れるように置かれた手。
それに気付き、笑みを浮かべるオルム。
「遂に、遂に使ったな! 七星拳の最後の技! 私の知らない技か!」
背後を取られながらも、オルムは歓喜した。
唯一己が知らなかった技が見れるのだ。
「さあ! 早く打て! 全て受け止めた上で! 私はそれを会得して見せよう!」
今まで戦っていたレギンのことさえ忘れて、オルムは叫ぶ。
どれだけ強力な技であっても、耐え切って見せる。
そしてそれを記憶した時、オルムの七星拳は完成するのだ。
「…いや、それはお前には無理だ」
「……………何?」
ファウストの言葉に訝し気な顔を浮かべ、オルムは振り返る。
否、振り返ろうとした。
「何、だ…? 体が、動かない…?」
首どころか、手足の指一本動かすことが出来ない。
まるで縫い付けられたように、体に力が入らない。
「客星は、魔力の流れに干渉する技だ」
ファウストは手の平をオルムの背に当てたまま、告げる。
客星は他の技とは異なる技だ。
自身の魔力を用いることは無いが、その手で触れた魔力に干渉する技。
「干渉できた所で他人の魔力。それを俺が使うことは出来ないが、こうして直接触れていればその流れを止めることくらいは出来る」
魔力の流れを止める。
口で言うほど簡単なことでは無いが、出来ない訳では無い。
元々、ドラゴンスレイヤーとは魔力の扱いに長けた者の集まりなのだ。
とは言え、人間相手なら魔力の流れを一時的に止めた所で大きな意味は無い。
だが、
「肉体が魔力で出来ているドラゴン相手なら、それは全身の主導権を奪ったも同然」
そう、手で触れている間だけとは言え、完全に無力化することが出来る。
例え相手がどれだけ強大なドラゴンでも同じことだ。
「そしてこの技は、使用中俺自身も動けなくなる諸刃の剣。故に…」
ファウストは視線を前に向けた。
黄金の剣を振り被るレギンの姿を見た。
「一人では成立しない。例えどれだけ強くなろうと、一人きりのお前には永遠に会得出来ない技だ!」
「『魔竜剣・参式』」
レギンの剣がオルムへと迫る。
オルムは動けない。
躱すことも、反撃することも出来ない。
「…見事」
その刃が、オルムの心臓を貫いた。
「…嗚呼! やはり人間は素晴らしい! その信頼! その絆! 我々では到底有り得ない強さの証!」
致命傷を受け、肉体から魔力が失われていくことを感じながらオルムは笑う。
「ははは、はははははははははは!」
自身を倒した戦士達へ心からの称賛を送る。
「ははははははははは!………ああ、私も、それが、欲しかった…」
最後に、隠していた羨望を呟き、オルムは絶命した。




