第百七話
「カ、ハ…」
ぐらり、とオルムの身体が揺れる。
拳を受けた顔の部分が歪んでいた。
「………」
その傷を見て、ファウストは険しい表情を浮かべる。
オルムの鱗を打ち破ったが、想定よりダメージが少ない。
本来ならその拳はオルムの頭部を貫通させる筈だった。
「七星拳…」
油断なく、ファウストは追撃を仕掛ける。
狙いは、竜の弱点である心臓部。
「『連星』」
連続して放たれる拳の嵐。
打ち込む度に段々と威力を増す拳は、やがてオルムの鱗を完全に砕いた。
(コレで、五撃目…!)
そして無防備となった左胸に止めの一撃が放たれる。
「カ、ハハ、カハハハハハハッ!」
「ッ!」
しかし、五撃目の拳を放つ寸前、ファウストはオルムの笑みに嫌な予感を覚えた。
攻撃を中断し、咄嗟に身を退くファウスト。
直後、先程までファウストの頭部があった空間をオルムの足が通過する。
「良い判断だ! そのまま拳を放っていたら、頭蓋骨が砕けていたぞ!」
カウンターを躱されたことに喜び、オルムは笑みを浮かべた。
「お前は優秀な戦士のようだ! 久しぶりだぞ、人間に傷を付けられたのは!」
顔に刻み込まれた傷を撫でながら、オルムは笑う。
「…傷を再生しないのか?」
訝し気な顔を浮かべてファウストは呟く。
ファウストが与えた傷など、ドラゴンであれば数秒で再生できる程度の傷でしかない。
それなのに、オルムは傷を撫でるばかりで再生する気配がない。
「再生だと? そんなことをする筈が無いだろう?」
何を言っている、とオルムは逆に不思議そうな顔をした。
「この身に刻まれた傷跡は、全て戦士達の命の輝きである! 私と戦い! その魂を燃やし尽くした者達の生きた証である!」
恍惚とした表情でオルムは叫ぶ。
癒すことなく、刻まれた全身の傷跡。
オルムはその全てを記憶している。
自身に傷を負わせた何人もの戦士達。
その命が尽きる瞬間まで戦い続けた全ての人間の顔を。
「彼らは永遠に生き続ける! この私と共に!」
それは狂気だった。
悪意では無い。
闘争を求める熱。
あまりにも強過ぎる熱意。
「お前のことも記憶しておこう。お前の力と命の輝き、その全てを私に見せてくれ!」
ドン、とオルムは地面を砕く程に踏み込んだ。
拳を握り締め、武道の構えを取る。
(あの構えは…!)
その構えを見て、ファウストは目を見開く。
有り得ない。
ドラゴンがそれを使うことだけは…
「七星拳『星風』」
一呼吸の間に、一気に距離を詰めるオルム。
放たれるのは抉るような肘打ち。
ファウストと同じ、七星拳。
「くっ…『凶星』」
合わせるようにファウストも拳を振るう。
拮抗は一瞬。
筋力で劣るファウストの身体が大きく吹き飛ばされる。
「…何故だ。何故、お前が七星拳を!」
「言った筈だ! 私は多くの戦士と戦ってきたと! この身に受けた技の全てを私は記憶している!」
レギンが魔竜剣を記憶していたように。
オルムもまた、今まで戦ってきた者達の技を記憶している。
それが例え人が竜を倒す為に生み出した技術であろうとも、完全に模倣できる。
「七星拳…」
「!」
オルムの構えを見て、ファウストも同じ構えを取った。
「「『連星』」」
ほぼ同時に放たれる拳の嵐。
技量によって一度に放てる数が変化するこの技で、ファウストが同時に打てるのは五撃。
対して、
「カハハッ!」
オルムが放った拳は、倍の十撃。
それは筋力だけでは無く、技量でもファウストを上回っていると言うことを意味していた。
「ぐ、あ…!」
捌き切れなかった拳がファウストを打つ。
拳を受けた部分から骨が砕ける音が響き、ファウストは膝をついた。
「そんな物か! そんな物か、ファウスト!」
「…ぐッ」
「私が以前戦った七星拳の戦士は、もっと強かったぞ! その程度で終わりでは無いだろう!」
失望を露わにしてオルムは叫ぶ。
期待外れ、とでも言うように膝をつくファウストを見下ろしている。
「…待て」
ファウストはその言葉に思わず顔を上げた。
以前戦った、とオルムは言った。
当然だろう。その相手からオルムは七星拳を盗み取ったのだ。
では、
「お前が戦った七星拳の戦士とは、誰のことだ…?」
「…ダンクラート、と言う男だ」
あっさりとオルムは答えた。
その名は、その男は、
「師範…!」
かつてファウストが師事した男だった。
「お前、だったのか…!」
師範は、ただのドラゴンに殺されたのでは無かった。
任務の途中、不幸にもオルムに遭遇し、その命を奪われたのだ。
「なるほど。お前はあの男の弟子だったのか。言われてみれば、動きが似ている」
オルムは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「あの男のことは忘れない。奴は素晴らしい戦士だった! 最後には私に敗れたが、結果などどうでも良いことだ! その命の輝きは少しも色褪せない!」
オルムはかつて戦った相手を思い出し、心からの称賛を口にする。
あまりにも傲慢に満ちた言葉だった。
戦士としての力は評価していながら、その心には一切理解を示さない。
命を奪ったことすら、何一つ気に留めない。
「さあ、続きを始めよう!」
獰猛な表情を浮かべ、化物は嗤った。




