第百六話
「残る六天竜って、どんな奴なんだ?」
「?」
脈絡なく告げられたフライハイトの言葉に、ヴィーヴルは不思議そうに首を傾げた。
質問の意味が伝わっていないと理解し、フライハイトは苦笑を浮かべる。
「いや、既に三体の六天竜が倒され、残りの三体の内二体がお前とレギンだろう?」
リンドブルム、ティアマト、ザッハーク。
この三体は既にレギン達によって討伐されている。
そして、残った三体からヴィーヴルとレギンを抜けば、残るのは一体だけだ。
「その残りはどんな奴なんだ、って思ってよ」
思えば、最後の一体について名前が挙がったことが無い。
自分以外全てのドラゴンを敵視していたザッハークさえも、その名を口にすることは無かった。
「…忘れた」
「おい」
「前に会ったのは、何百年も昔だから、仕方ない」
自分は悪くない、とでも言いたげにヴィーヴルは視線を逸らす。
「それに…」
「それに?」
ぽつり、と呟いた言葉にフライハイトは先を促す。
「…地味な竜、だった」
少しずつ思い出すように、ヴィーヴルはそう言った。
忘れてしまったのはヴィーヴルの無関心さもそうだが、その相手が地味で目立たない竜だったから。
「ザッハークみたいに弱かったってことか?」
「違う。実力はむしろ、六天竜でも強い方だった…と思う」
「だったら…」
どうして地味な竜、などと言う評価を受けるのか。
それだけ強ければ脅威として警戒されていても不思議ではない。
「何と言うか…『生ける屍』だった」
「生ける屍?」
「うん」
こくり、とヴィーヴルは頷いた。
「非常に怠惰な性格、と言うか。殆ど動くこともせず、ただ生きているだけ………みたいな」
「それは、変わった奴だな」
破壊衝動の塊のようなドラゴンが多い中、随分と変わり者だ。
物臭なヴィーヴルが言うくらいだから、相当酷いのだろう。
生ける屍と言う言葉も妥当だ。
「名前は…確か…」
ヴィーヴルは自身の記憶を探りながら呟く。
「『オルム』………だったと、思う」
同じ頃。
一人の男が王都の街を歩いていた。
背丈は小柄で、顔立ちも未だ二十に満たない程。
しかし、若く未熟に見える容姿とは裏腹に、左目には大きな傷跡が刻まれ、全身にも大小様々な傷が残っている。
色素が抜けた白い髪を持ち、煮え滾るような狂熱を宿した眼が特徴的だった。
「…人が、多いな」
男の口から声が漏れる。
その声色は、若々しい外見不相応に低い男の物だ。
全体的にどこか、ちぐはぐな印象を受ける男は、ぼんやりと道行く人々を眺める。
探し人でも居るのか、その視線は忙しなくあちこちへ向けられていた。
「おい」
そんな男の背に、声が掛けられる。
視線を向けると、そこには厳めしい風貌の男が立っていた。
「…お前は?」
「ファウスト。ドラゴンスレイヤーだ」
「ドラゴンスレイヤー…」
男はファウストの言葉を繰り返し、僅かに笑みを浮かべる。
左目の傷が目立つが、その笑みは年相応に見える無邪気な物だった。
「丁度良かった。一つ質問をしても構わないかな?」
「何だ?」
「ジークフリート、と言う人間がどこに居るか知っているか?」
「………」
男の質問にファウストは眉を動かす。
「…ジークフリートは死んだ。六天竜との戦いでな」
「何だと…!」
ファウストの言葉に、男は驚いたように叫んだ。
思いもよらなかった、とでも言いたげに顔に手を当てる。
「…何と言うことだ。あのティアマトを倒す程の戦士が、死んでしまうとは…!」
やや大袈裟な程に、深く嘆き悲しむ男。
片方しかない眼には涙すら浮かべ、その死を惜しんでいる。
「…知り合いだったのか?」
「そうではない。だが、価値ある人間の死は! 誰であろうと嘆くべき悲劇だろう!」
知人かどうかは関係なく、その死は全ての者にとっての損失であると。
言っていることの意味は分かる。
しかし、ファウストは訝し気な顔を浮かべた。
「それは、竜であってもか?」
「………」
ファウストの指摘に、男は黙り込む。
そう、ファウストは初めから気付いていた。
目の前に立つこの男は、人間では無い。
人間に擬態こそしているが、纏う気配は竜の物。
何よりその身から放たれる魔力が、男が人外の存在であることを表していた。
ジークフリートの死が悲しいと言ったが、どこまで真実か。
警戒した目で睨むファウストに対し、男は大きく腕を広げた。
「…無論。無論無論無論! 無論だとも! 私は確かに竜だ! だが、悲しい! 戦士が! 英雄が! 無価値に死ぬことが悲しくて胸が張り裂けそうになる!」
ボロボロと涙を流しながら男は叫ぶ。
「せめて。せめて最期の戦う相手が私であったなら! その命の輝きを! 私自身の手で終わらせることが出来たなら! 私は未来永劫! その輝きを忘れることは無いと言うのに!」
熱に浮かされたように男は叫び続ける。
狂人の如く喚き続ける男に、ファウストは構えを取った。
「妄言はそこまでだ」
強く踏み込み、ファウストは一気に距離を詰める。
隙だらけの男の顔に、その拳を叩き込んだ。
「…ッ!」
違和感に気付いたのは、拳が男に触れた時。
それはまるで、鋼鉄を殴ったかのような感触。
ドラゴンの皮膚は見えない鱗に守られているものだが、それでも硬すぎる。
七星拳の技を放った訳では無いが、ファウストは本気で拳を振るった。
にも拘わらず、男の顔には傷一つ付いていない。
「…中々の一撃だな。強い力と意思を感じる拳だった」
「お前は、まさか…」
「私か? 私はミドガルズオルム。長ければ、オルムで構わない」
男、オルムは片方しかない眼をファウストに向けた。
「『隕鉄』のオルム。六天竜だ」
「六天竜…!」
今まで名を聞かなかった六天竜最後の一体。
ファウストは警戒を強め、オルムから距離を取った。
「私のことなど、どうでもいいでは無いか。それよりお前の話をしよう!」
ファウストを見つめるオルムの眼に激しい熱が宿る。
その関心は既に、ジークフリートから目の前の戦士へ移ったようだ。
「今のが全力では無いのだろう? さあ、次だ! もっと本気を出さなければ、私に傷を付けることすら出来んぞ!」
オルムは構えを取ることも無く、無防備なまま腕を広げている。
どこからでも好きに打ち込んで来いと言うことだろう。
自身の鱗を過信してファウストを見下している訳では無い。
むしろ、ファウストならこの程度の守りは突破できるだろうと期待している。
「さあ、早く!」
「…七星拳『凶星』」
心を落ち着かせ、ファウストは幾度も繰り返してきた正拳を放つ。
狙うのは、先程と同じく頭部。
「―――」
狂喜の表情を浮かべたオルムの顔に、竜の鱗をも貫く正拳突きが叩き込まれた。




