第百五話
ルストにて。
戦いで負った傷の療養中であるフライハイトは、ヴィーヴルと食事を取っていた。
「ところで、気になっていたんだが」
コーヒーを飲みながら、フライハイトはヴィーヴルを見つめる。
小粒の宝石を口にしたヴィーヴルは顔を上げた。
その姿は竜の形から人型へと戻っている。
しかし、
「…何か前よりデカくなってないか?」
「?」
不思議そうに首を傾げるヴィーヴル。
見た目におかしな所は無く、確かにどう見ても人間の女だが、外見年齢が以前とは異なる。
元々美しい容姿をしていたが、成熟したことでより完璧な美女となっていた。
丁度、竜化した姿から蛇のような胴体とコウモリの翼を除いたような姿。
本人に自覚は無いようだが、ちらちらと周囲から視線を集めていた。
「気のせい」
「いや、絶対に気のせいじゃねえよ! 明らかに変化してんだろ!」
「…成長期」
「千年生きておいて今更成長期が来るか!」
適当な返事をするヴィーヴル。
恐らく、特に意味は無い変化なのだろう。
人間体に戻る時、元の形を忘れて適当な姿になったとか、そんな理由だ。
所詮人間体は擬態に過ぎないので、深い拘りは無いのだ。
「…フライハイト君」
ふとヴィーヴルは宝石のように綺麗な瞳でフライハイトを見た。
トントン、と指先で空になった小袋を示す。
「おかわり」
どうやら外見が成長しても中身は少しも変わっていないようだ。
違和感が凄い。
「もう無えよ。我慢しろ」
「…買ってきて」
「菓子じゃねえんだから、そう簡単に手に入る訳ねえだろ!」
「………」
ヴィーヴルは不満そうにフライハイトを睨む。
なまじ美女なだけあって中々迫力があるが、その中身を知っているフライハイトはため息をつく。
「お金、無いの?」
ポン、と手を叩き、ヴィーヴルは一人納得したように頷いた。
「じゃあ、もうちょっと運気を調整して…」
手を翳すヴィーヴル。
目には見えない力が送られてくることを感じ、フライハイトは青褪める。
「待て、待て待て待てェ! お前、何しようとしてんだ!」
「運気を上げようと、思って。大丈夫。空からお金が降ってきたり、朝起きたら枕元にお金があったり、するだけ、だから」
「全く大丈夫じゃねえ!?」
「幸福になれー。幸福になーれー…」
「待て、分かった! 今すぐは無理だが、宝石はすぐに用意するからもうやめろ!」
これ以上妙なことをされては堪らない、とフライハイトは慌てて叫んだ。
「このままではマズイ」
後日、フライハイトはそう決意した。
日に日にヴィーヴルは我儘が増えている。
それだけフライハイトに心を許し、甘えていると言うことだが、コレは問題だ。
ヴィーヴルは六天竜だ。
だからと言って今更敵視するつもりは無いが、手綱は握らなければならない。
レギンとリンデの間には絆がある。
何が起ころうとも、レギンは絶対にリンデの意に反することは行わないだろう。
しかし、ヴィーヴルはその辺りが曖昧だ。
ここらで一度立場を分からせておくべきだろう。
…と言うか。
「何より、このまま小間使いを続けるのは、俺のプライドが許さねえ!」
一番の理由はそれだった。
要は仕返しがしたかっただけだ。
我儘放題の奴に、ドラゴンスレイヤーの恐ろしさを思い知らせてやりたかった。
あの仏頂面を少しでも崩してやりかったのだ。
「さて…」
フライハイトは扉の前に立つ。
その部屋はフライハイトとヴィーヴルが二人で借りている部屋だが、現在中に居るのはヴィーヴル一人だけだった。
理由は『宝石磨き』をすると言ったヴィーヴルに追い出されたからだ。
コレは初めてのことでは無かった。
ヴィーヴルは日課のように宝石磨きを行っているが、それを人に見られることを酷く嫌っていた。
「怪しい…」
フライハイトは以前から何かあると思い、気にはなっていた。
だが、もし見たらまた骨を折る、と脅しまでかけられたので見たことは無かった。
それでも疑念は尽きない。
本当にただの宝石の手入れなら、何故フライハイトに見られることを避けるのか。
宝石磨きは建前で、何か良からぬことを行っているのではないか。
本人の性格上、悪巧みをしているとは思えないが、何かそれが『弱み』に繋がるのではないかとフライハイトは考えていた。
「………」
フライハイトは出来るだけ音を立てないように扉を開ける。
女の秘密を暴くことに思う所がないでもなかったが、好奇心と復讐心が勝った。
気配を完全に消して、フライハイトは視線を部屋の中に向ける。
「ふんふーん♪」
控えめな鼻歌交じりに、ヴィーヴルは宝石を磨いていた。
手にしている大粒のダイヤモンドを、布でゴシゴシと擦っている。
(何だ。本当に宝石を磨いているだけ………ん?)
拍子抜けしたフライハイトはふと違和感を覚えて首を傾げた。
目を向けたのは、宝石では無くヴィーヴルの顔。
無い。
ヴィーヴルの額に埋め込まれていたダイヤモンドが、無くなっている。
(取り外して磨いていたのか? と言うか、アレ取り外し出来たんだな…)
どうやらヴィーヴルが手にしていたのは、いつも額に埋め込まれていたダイヤモンドのようだ。
アレが何なのか今まで気にしたことは無かったが、取り外すことも出来たらしい。
「…?」
その時、視線を感じたのかヴィーヴルは顔を上げる。
扉の隙間から覗き込んでいたフライハイトと、ヴィーヴルの視線がぶつかった。
「あ…」
ぽかんとヴィーヴルの口が開く。
状況を理解するに連れて、その顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
まるで、あられもない姿を異性に見られた普通の少女のような反応だった。
「きゃ、きゃああああああああああ!」
宝石のついていない額を片手で隠しながら、ヴィーヴルは涙目で拳を振るう。
ベキバキゴキボキメキョッ!
「ギャアアアアアアアアアアアアア!」
骨を折られた。
「~~~ッ!」
ヴィーヴル曰く。
彼女にとって額の宝石は服のような物らしい。
なので、それを付けてない姿を誰かに見られるのは非常に恥ずかしいとのこと。
それでも今までは他人の眼などあまり気にしていなかったが、最近は違うようだ。
特にフライハイトには、見られたくないことだったらしい。
残念ながらフライハイトはそれが何を意味するのか知る前に、またベッドへと送られたのだった。
「………」
その夜。とある街にて。
『男』は返り血に塗れたまま、ぼんやりと星空を見上げていた。
周囲に転がる多くの死体は、殆ど原形を保っていない。
にも拘らず、男の手には何の武器も握られていなかった。
ただ、握られた男の拳だけが血に塗れている。
「…今日はよく星が見える日だ。そうは思わないか?」
「ひ、ひッ…!?」
唐突に声を掛けられ、物陰に隠れていた別の男は悲鳴を上げた。
惨殺された亡骸に躓きながら、必死で逃げようとする。
「そう怯えるな。私に兎を狩る趣味は無い」
血で染まった髪を掻き上げ、男は笑みを浮かべた。
「求めるのは戦士だ。我が拳を振るうに値する敵だ。お前では無い」
「…ッ」
「だがまあ、そうだな。ただ見逃すと言うのも面白くない。一つ質問に答えてもらおうか」
男の眼に煮え滾る熱が宿る。
しかし、それは怒りでも、憎しみでも無い。
「ティアマトを殺したのは、一体誰だ?」
狂喜だ。




