第百三話
ルストでの戦いの後、レギン達は王都へと帰還した。
既にザッハークを倒したことはグンテルに報告してある。
勝手な行動をしたことにグンテルは腹を立てていたが、最終的には最大の脅威であったザッハーク討伐に免じて不問となった。
ちなみにフライハイトは戦いの負傷を理由にルストに残った。
ヴィーヴルの件はグンテルに報告していない為、王都に戻ることが出来ないのだ。
完全勝利とは言い難い結果だったが、ティアマト討伐戦から始まった戦いはここに終結した。
ファフニールの死後、六天竜最強を誇っていたティアマトは倒され、その裏で暗躍していたザッハークも滅びた。
王都には、一時の平和が訪れていた。
「………」
王都にて、エーファは病室のベッドで横になっていた。
命に関わる傷では無いが、ザッハークに負わされた傷は決して浅くない。
レギンの血による応急処置が無ければ、恐らく死んでいただろう。
(私の復讐も、コレで終わりか)
自身の手を見つめながら、エーファは思う。
十五年前から追い続けてきたザッハークを遂に倒し、復讐を成し遂げた。
悲願を果たしたエーファに残ったのは、言い様のない虚無感だった。
思えば、今まで我武者羅に復讐を望んでいたが、それを果たした後のことは何も考えていなかった。
きっと復讐さえ果たせれば、死んでも構わないと思っていたからだろう。
元々エーファは個人的な願望や欲が薄い。
幼い頃は、全て姉の真似ばかりして暮らしていた程だった。
あの悲劇が起きてから、ただ姉達の無念を晴らす為だけに生きてきた。
しかし、それが終わった今、エーファは何をすればいいのだろう。
特にやりたいことも無い。
ドラゴンスレイヤーをやめるつもりは今の所無いが、それもザッハークを探す為だった。
竜退治で手に入る名誉や報酬には元から興味は無い。
「…?」
今後の身の振り方を考えるエーファはノックの音に気付いた。
返事を待たず、ゆっくりと病室の扉が開く。
「あ。起きていたんですねー」
現れたのは、意外な人物だった。
白い病室に合う雪のような肌。
片目を隠すように前髪を伸ばした女。
「ハーゼ…?」
エーファはその顔を見て、首を傾げた。
ハーゼとエーファは友人だ。
親しい友人が見舞いに訪れるのは意外でも無い筈だが、それは以前の話だ。
レギンに濡れ衣を着せる為にハーゼが起こした事件の際、エーファはハーゼに攻撃を受けた。
騙し討ちで、全身を氷漬けにされたのだ。
それ以降、ハーゼはエーファを避けていた。
攻撃したことに負い目を感じているのか、エーファにすら隠していたその身勝手な本性を見られたことを気にしているのか。
ハーゼは絶対にエーファに会おうとしなかったのだ。
「…竜血研究所で働いている、って聞いたけど」
「少しだけ自由時間を貰ったんですよ。犯罪者に見張りも付けないなんてどうかと思いますが、私の日頃の行いが良いからですかねー?」
「そうね。ハーゼは真面目だから、きっと信用しているんだと思うわ」
「………今のは皮肉ですよ」
「え?」
「…はぁ、もういいです」
そう言えばこう言う奴だった、とハーゼは呆れたように息を吐く。
その露骨に馬鹿にしたような目は、エーファの見慣れない物だった。
「いつもニコニコしている印象だったけど、そっちが素の顔かしら?」
「そーですよー。見た目は美少女、お腹は真っ黒なハーゼちゃんですよー。コレで二つ名が『純白』とかギャグですよねー」
拗ねたように呟き、ハーゼは空いていた椅子に勝手に座る。
「これだから相手を見た目で判断する人は嫌いです。本当に」
じろり、とエーファに値踏みするような目を向けながらハーゼは言う。
「聞きましたよ。復讐、果たせたらしいですね」
「ええ、そうね」
「その手で六天竜に止めを刺したとか。大金星じゃないですかー」
パチパチ、とハーゼは拍手をするが、エーファの反応は薄い。
復讐を果たせたことは確かに喜ばしいが、そのことで虚無感を覚えているエーファはどう反応すれば良いのか分からなかった。
「何ですか、その顔は。もっと嬉しそうにしたらいいのに」
「そう、なんだけどね」
「目的を成し遂げて燃え尽きちゃっている?」
エーファの内心を見透かすように、ハーゼは言った。
図星を突かれたエーファは目を丸くしてハーゼを見る。
「そんなあなたに今日は一つ提案です」
「提案?」
「暇を持て余しているなら、私の研究を手伝ってくれませんか?」
「研究って言うと…」
「『コレ』ですよ」
そう言ってハーゼは前髪を掻き上げた。
髪で隠れていたハーゼの火傷跡が露出する。
直接見たことは無かったエーファはその傷の酷さに息を呑んだ。
「醜いでしょう? あなたに少しでも同情する気持ちがあれば、手伝ってくれますよね?」
「………」
「…私はどんな傷も跡形も無く治癒する薬が欲しい。その為には、多くの竜の血が必要なんです」
サンプルは多ければ多いほど良い。
様々な竜血があれば、それだけ研究が捗るのだ。
この醜い傷を治す為なら、ハーゼは何でもする。
同情を引いてエーファを利用することにも躊躇いは無い。
「分かったわ。任務で倒した竜の血を集めてくればいいのよね?」
「ええ、協力ありがとうございます。こんな犯罪者にも、あなたは親切にしてくれるのですね」
作り笑みを浮かべるハーゼを見て、エーファは思わず苦笑した。
「あの、さ」
「?」
「そんな風に言わなくても、私に出来ることなら何でも協力するわよ?」
「………」
朗らかな笑みを浮かべるエーファに、ハーゼは無言になった。
それは、心の底からハーゼを信じている顔だった。
悪ぶった態度を取るが、その本質は善人であると信じて疑わない眼だ。
本当につくづく甘い女だ、とハーゼは思う。
リンデに対する面倒見の良さもそうだが、一度身内と信じた相手をエーファは絶対に疑わない。
最初は敵視していたらしいレギンのことだって、今では信頼している。
孤独感から来る信じたい、と言う思い込みかもしれないが、どちらにせよ甘いことに変わりはない。
一度裏切ったハーゼをどうしてそこまで信用できるのか。
「…そろそろ失礼しますね」
何だか妙な気分になりそうだったので、ハーゼはエーファに背を向けた。
「ああ、それと」
病室から出ようとしたハーゼの背に、エーファの声が掛けられる。
「その顔の傷、言うほど酷いとは思わなかったわ」
「ッ」
ぴたり、とハーゼの身体が固まった。
エーファの言葉が本心からの言葉だと分かったからだ。
「想像していたよりずっと普通だったし、私は全然…」
「ええい、うるさい! あなたに褒められても全然嬉しくありません! ええ、全く!」
振り返らないまま、ハーゼは言葉を遮るように叫ぶ。
その肩は怒りと羞恥でカタカタと震えていた。
「本当にあなたは素直で無神経ですね! 私は前からあなたのそう言う所が…」
「…?」
「………苦手です!」
吐き捨てるようにそう言い、ハーゼは荒っぽく病室から出ていった。




