第一話
この地上に於いて、最も優れた種族は人間では無い。
かつてはそんな時代もあったのかも知れないが、今は違う。
あらゆる災害、あらゆる害獣を退けてきた人類にとっての天敵。
その名は『ドラゴン』
神話の時代には、神とすら同一視される災厄の化身である。
彼らは人間を捕食する生態系の頂点に立つ存在だった。
人類の長い歴史の中、唐突に出現したドラゴンは多くの人間を喰らった。
戦う為でも、支配する為でも無い。
ただ生きる為に。
ただ腹を満たす為だけに、人間を喰らい続けた。
強大な魔力を持つドラゴンに対し、人類は何の抵抗も出来なかった。
段々と減少していく人口と、増加し続けるドラゴン。
このままでは人類は絶滅する、と誰もが思った時、ある一人の人間がドラゴンを打倒した。
以降、導かれるように次々と人類はドラゴンと戦い、それを打ち倒し続けた。
ドラゴンを倒し、その血を浴びた英雄達。
彼らは後に、ドラゴンスレイヤーと呼ばれた。
「………」
人里離れた森の奥。
一人の少女が歩いていた。
年は十五、六歳と言った所だろう。
日に焼けて少し色褪せた金髪と、川底のような深い色の眼を持つ少女だ。
美しい容姿をしているが、服装は古びた物で継ぎ接ぎが目立つ。
あまり化粧はしていないようだが、長い髪には葉っぱのような形の髪留めを幾つも付けている。
田舎で人気の村娘、と言った風貌だが、その腰には一本の短剣が差してある。
それも田舎娘が護身用の持つ物とは異なり、竜の意匠が刻まれている質の良い短剣だった。
「はぁ…はぁ…今日は、暑いなぁ」
少女は汗を拭いながら、雲一つない空を見上げた。
日差しもそうだが、道の無い森の中を突き進むことも少女の体力を奪った。
凸凹とした地面を歩き、木々を腰に差した短剣で切り払い、前へ前へと突き進む。
そこは年端もいかない少女が本来訪れるような場所ではない。
だが、少女にはこの場所へ来なければならない理由があった。
この森の奥に潜むと言われる存在に用があったのだ。
「位置的にそろそろ目的地の筈なんだけどなぁ…」
一人で心細いのか、ぶつぶつと独り言を呟きながら少女は前を向く。
少女がこの森に入る前に聞いた話では、もう見えて来ても良い筈だった。
「…水の音?」
そこでふと、少女は足を止めた。
小動物すらいない森の中、確かに水の音が聞こえた。
「………」
少女の顔つきが真剣な物になり、短剣を強く握り締める。
足音を立てないように気を付けながら、音の方へと向かう少女。
「ッ…」
目の前の光景に、少女は息を呑む。
そこにあったのは滝だった。
自然が作り出した清涼な水の流れ。
しかし、少女が驚いたのはそれではない。
その滝の真下に出来た池に身を沈める大きな影。
『ドラゴン』だ。
陽光を反射する黄金のドラゴン。
手足は柱のように太く、翼は空を覆う程。
鱗には赤い紋様が浮かび、脈動するように不気味に点滅していた。
『何者か?』
黄金のドラゴンはゆっくりと首を持ち上げ、少女に問いかけた。
「成体の、ドラゴン…!」
その翼と手足を見て、少女は戦慄したように呟いた。
あまりの存在感に意識を手放しそうになりながらも、改めて短剣を握り締める。
『おい、二度言わせるな………答えよ』
ドラゴンの声色に怒りが宿り、重圧が増す。
上から殴り付けられるような衝撃に、少女の頬に冷や汗が浮かんだ。
「わ、私の名はリンデ! あなたを倒す為に現れた、騎士です!」
少女、リンデは愛用する短剣をドラゴンへ向けながら叫ぶ。
「悪竜よ。王の名の下に、あなたを討滅します!」
『………………』
黄金のドラゴンはその言葉に、無言でリンデを見つめた。
鱗と同じ黄金の眼がリンデの全身を見渡す。
『俺を倒す? お前が? 冗談にしても笑えんぞ』
自身の手の平ほども無いちっぽけな娘を見下ろし、ドラゴンは吐き捨てる。
『竜退治と言う名誉に駆られた馬鹿が、お前一人だと思うか? 周りを見ろ』
「ッ!」
言われて周囲を見渡したリンデの眼に、多くの死体が映った。
武器を手にしたまま両腕を失った死体。
胴から上が引き千切られた死体。
全身を余すことなく炭に変えられた死体。
全て目の前のドラゴンに挑み、敗北した者達だ。
そして、その多くの死は、リンデの未来を暗示していた。
『殺しに来たのだ。お前も、殺される覚悟くらいしてきたのだろう?』
剥き出しの殺意がリンデの全身に突き刺さる。
手足が震え、短剣を取り落としそうだ。
逃げ出しそうになる体を必死に堪えるリンデの前で、ドラゴンはその口を開ける。
『目障りだ。消えろ、人間』
その口内から灼熱の炎が噴き出す。
ブレス。
ドラゴンの持つ能力の中で、最も有名な物。
身に宿す魔力をそのまま炎に変換し、放出するシンプルな力。
だが、全身が魔力で構成されているドラゴンが使用すれば、その力は天災に等しい。
使用者の性質に合わせてか、黄金に光る炎がリンデを包み込む。
どんな生物であれ、生存を赦さない地獄。
リンデのみならず、リンデの立っていた大地ごと跡形も無く焼き尽くす炎。
『…ふん。コレを撃つと腹が減る』
炎の中に消えたリンデから森へと視線を移すドラゴン。
空腹を満たす為、何か動物でも探しに行くか、と重たい身を動かそうとする。
その時だった。
「ゲホッ、ゲホッ…! あ、危なかった…」
『!』
突然聞こえた声に、ドラゴンは急いで視線を向ける。
そこには先程と変わらず、リンデが立っていた。
皮膚どころか、服に焦げ目すら付いていない状態で。
『お前、何故生きている?』
「それは、えーと………企業秘密で?」
『…は』
一瞬、呆気に取られたが、ドラゴンは口元に笑みを浮かべた。
今まで見てきた人間は、全て一撃で死に絶えた。
あのブレスをまともに受けて生きていられる人間には、出会ったことが無い。
『お前に、興味が湧いた。もう少し付き合ってやろう』
「それは、ありがとうございます…!」
笑顔で礼を言いながら、リンデは短剣を手にドラゴンへと向かっていった。