第8話 困惑の王女と気絶する王子
「よっしゃゃゃゃゃぁ」
ふと我に返るとわたくしは宮殿の大広間で弟の背中に右足を乗せて、勝ち誇っていました…。…じゃ、ねーわぃ。いやなかった。じゃなくて。いやそうなのか?ん…ん。
…とにかく気がつくと八木澤は勝ちどきをあげ、眼下の殿方二人を見下ろして誇っていた。途中で何か邪魔が入ったような、入らないような、ふんわりした忘却があるかのようにも感じた。が、ともかくようやくにも「わたくし」の中心に「儂」が戻ってきたのだ。
こうなればもう怖いものなのどない。ククク。おぅおぅ、今までようもやってくれよったの。あのアマぁ。儂は女にも容赦ないきに、目にもの見せてくれんぞ。どこじゃ、どこぞに逃げよったぁぁぁ。
天に振り上げた両手をおろし、アルシオーネは小首をかしげてみせた。どうやらフィオナを探しているようだが、既にどこにもその姿はない。ち、あのアマ、逃げよったか。どこに行きよった。おどれら、隠し立てするとええことないでぇ。
「あら、フィオナ様。どちらに行かれたのかしら?皆様、ご存じなくて?」
(おーよ、あのアマ。何処にガラドビしやがった、ああん?)
遠巻きに怯えている坊ちゃん嬢ちゃんたちをグルリと一にらみする。目が合った貴族のガキどもは皆、目をそらしていく…のだが…。「おりょ?」と八木澤は違和感を感じた。ドスの効いた八木澤のだみ声が、鈴虫の鳴くような令嬢声になってしまっている。まあ、肉体が違うのだからそこは我慢しよう。だが内面の声と発した言葉に明らかな齟齬がある。なんだと。こりゃ、どないなっとんのじゃ。
「どうしたのかしら、困ったわ」
困惑を怒りに変えて、大声で喚いたつもりだった。けれど八木澤アルシオーネ嬢の口をついたのは、わりと上品な言葉だった。小首をかしげ、右の人差し指を頬に当てたりして、少し可愛い。本人はそんな仕草をしたつもりはないのだろう。上目遣いで、もう一度広間を見渡した。
(こりゃ、えらいこっちゃ、儂、いかれちまったようじゃわい。まぁもともといかれよったけどなー。くくく。)
「ほんとに大変なことになりましたわ。わたくし、乱心してしまいましたわ。もっとも皆様からみれば、もともとおかしな人でしたでしょうけれど。うふふ」
どうやら中の人のインプットと外の人のアウトプットが少し妙である。中の人と外の人ともすべて八木澤とはならないようだ。
困惑するアルシオーネの微笑みは少し痛々しい。広間の空気に少し気遣いの視線がまじる。もともと王子とアルシオーネが婚約していたのだ。その間を割ったのが男爵家令嬢フィオナである。悪いのは当然フィオナ嬢、居並ぶ令嬢の多くはそう感じていた。
ま、男子の方は男子の方で「まぁフィオナ嬢、胸がいいしな」「王子が乱心するほどだしな」「まさかもう殿下とやっちゃったのか」「うらやまけしからん」「おいっ!」と王子にもフィオナ嬢にもそれなりのシンパシーを感じてはいるようだが、アルシオーネを非難する気配は微塵もない。
王家とドーネル公爵家とはもともと姻戚である。三代前の王妹がドーネル家に嫁いでいるし、そもそもドーネルの家柄は王家の分家筋でもあったのだ。王子殿下とアルシオーネ嬢の関係以前に、この二家の関係は盤石である。そもそも先に婚約していたのはアルシオーネであり、先約のあるところに割り込んだのはフィオナである。普通に考えて悪いのは、フィオナの横恋慕であり、王子の浮気にある。
やんごとない家系同士の内輪揉めであるし、そもそもこのパーティは正規の夜会でもない。第二王女の社交界デビューを兼ねた、王立幼年学校主催の自由参加なのだ。そこに上級学校の生徒が少し混じっただけに過ぎない。まぁ口止めはされるだろうが、表だった処分はないだろう。社交界デビューとはいうものの、いわば練習であり、本当の貴族連は参加していないのだ。ごっこ遊びの中での出来事、としておおらかに流されるだろう。多くの参加者はその程度に捉えていた。
だが、王女は違った。何せ、これでアルシオーネの婚約破棄は二回目である。王家側都合による二度の破棄。さすがにこれはないだろう。アルシオーネお姉様、本当にお可哀想。王女は心の底からアルシオーネに同情した。公にされてないのだが、実は第一王子との婚約が破棄され、その詫びとして即座に第二王子との婚約が成立されたのだ。それがこの始末とは…。
(これは今度こそ、公爵家が王家に反乱をおこすかもしれませんね)
今回、兄、フィラジオ・カミーユ・アッカーマンは本気でアルシオーネ・リン・ドーネル嬢を殺りに来ていた。妹の目線からそれは明らかであった。どうしたわけか、現在の大広間内では魔法が制せられ、まともに生活魔法すら発動しない。そんな状況下で燃えやすいドレスに火をつけたらどうなるのか、そんなのは幼年学校の私ですらわかる。兄は明らかにアルシオーネに殺意をもっていたのだ。
(これは…いけるかしら…?)
まだ幼い王女の胸に、すこしの邪心が目覚める。上の姉は大恋愛の末、大幅に格下の男爵家に降嫁し、第一王子はあのざまですし、ここで第二王子が脱落すれば…。わたくしが神君イングリッサさま以来の女王につくことも…。
(もう少しアワアワして様子を見ようかしら。)
主催者の第二王女はアワアワしている。まだ幼い身にはこのような社交界デビューは酷であったのだろう。兄である第二王子はそれも含めて、この場をアルシオーネ殺害の場として選んだに違いない。そう見えるように少しだけ、邪心をこめてアワアワしていた。