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殺伐としたこの世界から放たれて  作者: きんぎょくさん(金玉燦)
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第2話~面談~

 頬を優しい起毛がなでる。さすがは王宮の絨毯。すばらしい弾力性と清潔感。このまま寝てしまいたい気分にもなる。まるで寝具のような、それはそれは見事な手入れであるのだ。


 「おい、アルシオーネ。聞いているのか」


 現在の、このくだらない状況でなければ、スヤスヤと眠っていたに違いない。さすがの王宮の大広間。第二王女のお誕生会当日である。そりゃ抜かりなく、何週間も前から大掃除したことだろう。


 「はい。なんでしょうか、カミーユ殿下」

 「私をその名で呼ぶなっ!」


 堅い革靴が唇を抉り、鼻を潰した。前歯は折れ、鼻骨も曲がったようだ。もう痛みも屈辱もない。か弱き公爵令嬢の身では、苛烈な焼き入れは耐えられず、意識は闇の世界へと旅だっていった。もう二度と現世に戻ってくることもあるまい。このまま、死ぬのだろう。或いは無理にでも蘇生させ、正式に裁判を成し、家ごとお取り潰しか。


 「見よ。ここに悪徳嬢アルシオーネは伏した。もはや学園に災いを成すことは…」


…な、まだ何か言っているようだ。それにしても薄れたはずの意識がある。おかしいな。右腕をねじり上げ、そのまま肩胛骨の上に膝をのせているのは、ああ、うちの弟か。暗闇の中、まだ残る聴覚だけで彼女は判断する。16年の歳月をともにした肉親ならば、その息づかいだけで存在がわかる。と言うか、それならば我が家のお取り潰しは無しか。

 しかし息づかい一つで、健康状態とか、精神状態とかなにげにわかってしまうとは、意外と私も姉してたのかな。む、何、姉の体を組み伏してハァハァ言ってやがるんだ、弟よ。まぁそんな意味での興奮でないことも分かってはいるが…。


 「学園の風紀を乱し…」「教師の業務を妨害…」「静謐な学園に淫蕩な…」


 第二王子はまだ、しつこくも長口上を述べているようだ。確かにノートを写させたし、試験では斜め後ろ45°に位置する貴方に便宜を計った。王子が落第して留年なんて婚約者としてあまりに情けなかったから。


「今、ここに我が手をもって、悪徳令嬢に業火をもって応報せしめん」


 冷たい。それ、高いお酒でしょ。なに私の死体なんかに掛けてくれてるの。やめてよね。せっかくフワフワの絨毯なのにメイドさん、引きつった顔してるじゃないか。えっと何?マッチ探してるの?あんた室内で火をつけたらどうなるか、わからないわけじゃないよね。一応生活魔法くらい使えたんじゃなかったっけ?

 

  「く、湿気ってて付かないか…。おい、だれか火をもてい。」


 締まらない、締まらないです、殿下。あと弟よ。いつまで私を組み伏せて居るんだ。早く逃げないと一緒に丸焼けですよ。せっかく殿下の取り巻きとなって、たぶん、出世コースに乗るのに、死んじゃいますよ。私はもう虫の息。動けません。動けません。すでに死体です。早くみんな逃げて。


卒業の前に宮廷魔術師の国家試験に合格した、平民出のケビンが燭台ごと殿下に手渡した。その後ろでは男爵令嬢のフィオナは青い顔してブルブル震えている、ふりをしている。その握りしめられた両の拳は、明らかに勝ち誇っている。私という婚約者が居ながら、この男爵令嬢とチンチンカモカモしていた腐れ王子にはまったく、なんの未練もないが、どうもこの子は良くない。きっと王国を衰退させる。王妃にしてはならない。


 しかしそれも今更の話。とうに国王陛下にも進言したし、殿下にもさらに疎まれた。その結果が公開処刑か。なにも妹君のお誕生会でしなくてもねぇ…。きっと王族の権力争いとかも絡んで居るんだろうけど、なんかしっくりしないな。13才の第二王女はフルフルして涙目だ。もともとおとなしい子だけに、こんな光景がトラウマになったら可哀想だが、それもまた狙いか。


いつのまにか俯瞰になった情景を、不思議にも思わず、隅々まで観察して私の人生は終わった。まぁ、結構しあわせだったよ。貴族でしかも公爵令嬢で、割と美人で、割とおいしいもの食べられたし、私は満足。良い人生だったなぁ。婚約破棄されたけれど、死ぬ直前までは破棄されなかったし、ある意味勝ち組人生だったかも。


 あ、ほら、こんな締め切ったところでアルコールに火なんかつけるから、みんな倒れちゃったじゃない。本当にこの世界の貴族って何も考えずに行動するんだから、あきれるよね。弟は…、おお、逃げた逃げた。よい子よい子。お父様とお母様をよろしくね!!


 *             *             *

「ね!!じゃなーいのですっ」

「うぉっなんじゃ、こりゃ。オンドレいきなり出てきおったな、脱衣婆」

「それを言うなら奪衣婆っ。ってかちがーう。私は女神、女神様候補生なのです!」


 何度目のやりとりになるのか、もはや分からぬ。そんな恒例の儀式をまた執り行った。八木澤克明(48)は、ゲシゲシと肩を回すと体の点検を始めた。右手、指三本あり。小指根本にちょっと瘤程度、薬指第二関節あり、第一関節無し。左手、親指あり。小指、第三関節少し瘤程度あり、薬指中指人差し指ともに第一関節から先なし。


「おお、なつかしの儂の体じゃぁ。やっぱこれでなきゃのぅ」

「はぁ。今度はかなり設定をよくしたはずなのに…なんでこうなるのでしょう」


なにか女神様らしき者が落ち込んでいる様子である。どのような事情があるのか。深く追求はしてはならない。八木澤にとってはどうでも良い話だ。


「で。これからどうするんだ。これはもう諦めるか」


 八木澤は普通に話しかける。慣れたものだ。脱衣婆のひとり突っ込みも自然にスルーである。なにせ何百回も繰り返しているのだ。


「あなたは、なんでなんで、こうもまともに死ねないのですかっ」


自称女神候補、奪衣婆、通称脱衣婆が荒々しく叫ぶ。これは荒御霊だな。和御霊ではあるまい。八木澤は思わずそんなことを考えてしまう。


「ちょっとアラミタマ?ニギミタマ?貴方もしかして神道系の人?」

「オンドレ、人の心を読むなよ。ろくでもないぞ」

「いえ、貴方、ここはそういう場なので…。しかたないでしょうっ。」


 脱衣婆はシクシクと泣き始めた。オドレも儂みたいなのに関わってからに、不幸よのう。そんな八木澤の考えを読んだのか、ワーと大きな声でとうとう泣き出した。ほんとに哀れな娘である。無信心、無宗派、無頼の徒。そんな者を彼岸の彼方に送り届ける役目をこの娘は引き受けた。軽い気持ちで。神学校卒業前の試練として。しかしそれがもう250年ほど続いている。いくら女神が長生きでもそろそろさすがに…。


「どうして貴方は信心深くもないのに、奪衣婆だの、三途の川だの、アラミタマだのと宗教的なのですか。それがよく分かりません。ほかに帰依している宗教があるのならば、とっととそっちに行って欲しいです。無信心の魂を綺麗にして送りだす、それだけのお仕事だったはず…でしたのに。」


 うむ。と八木澤克明(48)は自分の生前を振り返る。爺さんは権禰宜。実母はクリスチャン。婿入りした父親は刑務官で死刑執行後に苦悩して自殺。父方の実家は法華経から改宗した曹洞宗。出奔した祖母は国際犯罪シンジケートをつくりあげ、偽造結婚の斡旋業。


「なんの、脈絡もなくハイブリッドに育ったのが原因かのう」


女神も少し落ち着き、サメザメと泣き始めた。何か語りたい雰囲気のようだ。うっとうしい。


「うっとうしくないです。困ってるんだから協力してください。」


 泣き落としに掛かってきたようだ。もうその辺の事情はよく分かっている。何百回と繰り返されるこの面接、女神による進路相談のようなものの過程で、彼女の事情もこれからの展望もあらかた分かっている。理解しているのだ。薬の切れた、しらふの状態の八木澤は馬鹿ではない。どうやらこの脱衣婆の仕事は、魂の浄化と再生らしい。神職課程をとり、神職実習として八木澤克明のいびつな魂を浄化する、それだけの話だったのだ。


「いや俺が任侠道の門徒だって言ってるのに、あんた信じてくれぬからのぅ」

「そんな宗教や哲学の宗派はありません!だからこうして無宗派として私のところに回されてきたんでしょう?」

「人としての生きる哲学、信条。これ即ち宗教そのものだと思うんだがのぅ。」


 どうしたものかと女神様はため息をつく。奪衣婆だのなんだのと言われては居るが、自称としては女神様が良い。まだ女神の免状とってなくとも、できればそれでお願いしたい。涙をぬぐいつつ、自称女神様は八木澤との面談を続けたのだった。

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