第二話:ゲームの記憶
生家に帰った慎吾。
没頭していたゲームの日々が鮮明に、浮かびあがった。母と、ゲームとはつながっていくのだろうか。
すべての人の人生には歴史がある
by シェイクスピア「ヘンリー四世」より
慎吾は窓を開け、空気を入れ替えた。仏壇のある奥の畳間で、よいしょと腰を下ろした。
たまには伯母が来ているのか、掃除はされているように感じた。古いがそんなにかび臭くは無かった。母の位牌の前に、百年玉が三枚置かれていた。線香や火付けライターが切れたら買ってくださいという意味だと思うが、ふと湧き出てきたのは少年の頃の思い出だった。
中学三年の夏、『スペースインベーダー』というゲームが巷で大流行したのは、今から三十年以上も前の頃である。学校の裏門近くの商店の中には、テーブルの形をしたゲーム機が所狭しに三台も置かれていた。百円を入れて数分、いや上手になれば一日中そこに座ってゲームをし続けることが出来た。
蟹の形をした宇宙人が整列して前進し攻撃してくる。自分の操縦する宇宙船は壁に隠れながら、ロケットでそれらを撃ち落とす。さらには後ろを飛び交う大型UFOをも同時に狙い、地球を守り続けるのだ。左手でレバーを左右に動かし、蟹からの攻撃を機敏に避ける。右手中指は円形の発射ボタンを上下に素早く押し続けることに使われた。
中学生から高校生、挙げ句の果てには大人までが入り乱れた。夏休み中、勉強もそっちのけで、その事ばかりを考えていた。足りなくなったお金欲しさに早朝、新聞配達をやったほどだ。父親の目を気にする必要があったが、自衛隊勤務で九月には急遽、静岡へと異動となった。
慎吾は、自由に宇宙を飛び交うスペースシップに乗ったような感覚を得た。『病み付き』、いわゆる『中毒』になるのは早かった。
教室でも地球を一時間以上も守り抜いた事を、自慢するようになった。大抵の子は嫌がるのだが、頷きながら楽しそうに聞いてくれる女子生徒がいた。
アメリカ人とのハーフ、『N・K・敬子』、彼女の事を『敬子さん』と呼んでいた。お姉さんか、年上に対する親しみを込めてそう呼ぶのは、慎吾だけだった。周りの女子や男子の殆どが、『Kちゃん』と呼んだ。