第十三話:再び壊れる受話器
まだ、インターネットや携帯電話のない1980年代
あの頃の、『遠距離恋愛』と言えば、手紙か、
電話ボックスを利用しての通話しかなかった。
激しく落ちゆく、十円、百円玉。
慎吾と敬子、二人の愛の行方。
それを保障するには、まったく足りなかった。
ぐずぐずしてる間に、好機は去ってしまう。
by シェークスピア「ヘンリー四世」より
〈ガチッ――――ガチッ――〉
敬子と話す電話ボックスでは、百円玉が勢いよく落ちていったのを覚えている。実際はもっと長い時間だろうが、話し込むとそう感じるものだ。
中学の頃、良く遊んだインベーダーゲームどころではなかった。百円玉、十円玉をありったけ入れて、早口で話し始めた。時間が貴重だった。受話器を置くと、おつりが、ガシャンと落ちてくる。かつては、それを横取りしていた指先の感覚を、思い出した。電話では話せない事は手紙に書き記した。
一ヶ月が過ぎたころからか、急に敬子の文面が感情的になった。
『結婚してくれるなら、東京へ行く』
急な敬子の変容と、申し出に戸惑い、返事が書けずそのままにした。
その後、幾通もの手紙が送られてきたが、慎吾には結婚を受け入れる、気持ちも、お金にも余裕がなかった。バイト生活で、アパートも1DKのボロボロ部屋。
続きの文を読む事が出来ない。まだ、揺れ動く子供だった。
手紙がこなくなった後、意を決して、彼女の実家に電話をした。
しかし、何故かいつも、「敬子は外出中」と母親は返事をする。さらには意図的なのか、祖父が電話によくでるようになり、そっけない返答が多かった。彼のかける電話は、一階の駄菓子屋の広間で鳴り続けているのだ。やっと、彼女に受話器が渡された。
何か、型にはまった、特別に許可された口調だ。
「慎吾君、実は、私ね……」
内容は新しい彼が出来て、その子供が出来たと伝えてきた。そして、年内に結婚式を上げるとの報告だった。公開するような意味合いだ。隣で祖父が聞いているのだろうか。もう結婚するから、私のような男の電話に出てはならず、逆に別れるべきだ、との雰囲気が伝わってきた。
相手の男の名前を聞いた時、
〈ガッ、ガッ、ガン、――――〉
受話器を壁ガラスに何度もぶつけた。我慢出来ず、うなり声を上げた。
その男とは、中学の時、補導されたとき、慎吾の名前を『もらす』イヤ違う、彼を『道連れにした』、大城だった。再び、受話器を耳に当てると、既に途絶えていた。
(結婚したいという手紙の返事に、一ヶ月後の電話は遅いもの?)
頭は、大雨に打たれた花壇の様に、ぶかぶかになった。全ての根が揺れ動き、倒れていく。そこにあるものすべてが、ミキサージュースのようにかき混ぜられている。
必死にメモ帳から電話番号を探しては、高校時代の友人らに、次から次へと電話をかけつづけた。百円玉を入れて、一言で切ることも。手持ちのお金を全て硬貨に両替して、ポケットに詰め込んだ。
この状況を確かめようとしているのではなく、
『嘘で、夢だった、もうすぐ目覚めるんだ』と、理性を失ったかのように行動したのである。




