第十二話:アイデンティティの衝突
彼女が、こころを開くときがある。
でも、すれ違いを、経験するだけ。
世の中には幸も不幸もない、私たちの思考がそう思わせるのだ。
by シェイクスピア「ロメオとジュリエット」より
思春期の混乱する時期を乗り越え、青年期に達しても、アイデンティティに苦しむ時がある。自分のルーツがどこで、そこから何を信じて、どう考えればいいのか。
毎年、春から夏の時期にかけて、戦争の歴史がテレビやラジオで放送される。新聞の内容もそうだ。
慎吾は『東京と沖縄』、敬子は『アメリカと沖縄』の考え方の違いが、心の中で騒ぎたてる。
二人とも、内面が引き裂かれる思いが耐え難かった。
その話題になると、敬子はいつも押し黙った。
高校の昼食時間、彼女は物足りなさそうに、
「もう少し、しっかりしてよ」
と、つぶやいた。
「そうしているつもりだけど……」
彼女はうつむいて、しばらく考え、上目づかいで、
「実は、アメリカに妹がいるのよ」
「えっ……」
「お父さんが、別の人と結婚してたみたい。そこに家族があるの。よくは分からないけど、お母さんから聞いた。クラスの皆には内緒よ」
と、微妙な笑みを浮かべては、自分の右手の親指の先を噛んでいた。
泣き出す心を、ささえてくれる言葉。それが、欲しくて信吾を見つめ続けたのかも知れない。でも、何もなかった。
二人の会話は、お笑いのテレビ番組や、娯楽映画が中心になった。
少しでも悲しいもの、さらには感動的なものさえ避けようとしていた。混乱に立ち向かうより、回避することでその痛みから解放されようとしていた。二人で居るだけで落ち着いた。それぞれの苦しみが混ざり合うと、癒される時があるのを実感した。
しかし、ある日、学校の帰り際のこと。
「信吾君は、私の事を『お母さん』だと、勘違いしてるんじゃないかな。なんか、こう、私は代わりみたいだわ。甘えているのよ」
「そっ、そんなことないよ。ちゃんと、母は生きて、一緒に住んでいるよ」
「そうかな、私にも限界はあるのよ」
いつも、慎吾は最後の一線で、彼女に跳ね返された。全てを受け入れてもらおうとする、彼の心の動きが、実は嫌がられていことに、まだ気がつかないのである。
高校卒業を直前に、お互いに翻弄しあい、受験勉強も手が付かなかった。就職を考えてもいなかった。学校や社会から外に放り投げられる感じがしていた。ただ、二人で居る時間が有ればよかった。
慎吾は沖縄で生活するより、父親の働く東京に行く事を決め、敬子を誘った。しかし、彼女は首を縦に振ってくれなかった。彼女は祖父母や、母と沖縄で生きることを選んだのだ。二人で居る時間より、生活する場所が優先された。
慎吾の母が東京の父に会いに行くと、家には彼一人になった。
来客用にと台所に隠してあった泡盛の一升瓶に、手を出した。しっかりとは覚えていないが、確か酔った勢いで彼女の自宅へ電話をかけたようだ。何度も電話の番号を回し間違って、違う人の家にかけた。夜中もあって、相手は怒って切った。
やっと繋がった電話に、彼女の声が聞こえた。
彼の自宅、その居間での出来事。
二人が居る時間がこんなにも落ち着くはずが、感情的な口論、大喧嘩に至った。
「だから、甘えているって気がつかないの。こんな夜中に、呼び出して」
と、慎吾の頬をつねった。
「一度、キスしたからって、勘違いしないでよ」
と、口元に笑みを浮かべた。
「好きで、たまらないんだ!」
その辺りだけ、強烈に記憶に残っている。その後は、まったく覚えていない。不思議と、奈落の底に引きづり込まれるように、熟睡したようだった。やがて遠くで感じ始めた頭痛を伴いながら、昼過ぎに目が覚めた。彼女が見当たらない。
本当に敬子が来たかどうかも、『夢だよ』と言われればそうかもしれない。
週末には、東京へと。




