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真・摂政戦記 005話 出撃 

【筆者からの一言】


ついに日本を出撃する艦隊! ここから〇〇〇の活躍が始まる!


 1941年12月6日 『日本』


 時は三日ほど遡る。


 無数の白い雲が流れ行く青空に数十もの巨大な人工物が浮いている。

 飛行船だ。

 数十の硬式飛行船が浮いている。

 その全ての飛行船が地上とは係留索で繋がれていた。

 

 飛行船はどれも全長は220メートルを軽く超え、戦艦長門よりもある。全高は40メートル以上あった。

 飛行船に詳しい者が見たならば指摘しただろう。

「あれはメーコン型飛行船だ」と。


 メーコン型飛行船。それはアメリカのグッドイヤー社がアメリカ海軍向けに建造した大型硬式飛行船である。

 10年前の1931年にアクロン号は就役し、1933年には姉妹船のメーコン号が就役した。

 アクロン号とメーコン号は姉妹船ではあるが少し設計が違う。

 どちらも事故により失われているが、アメリカ海軍は以後、硬式飛行船の調達と運用を取りやめた為、同型船は無い。

 それが史実である。


 しかし、今回の歴史では違った。

 閑院宮総長の意を受けた日本の閑見商会がメーコン型飛行船を大量購入し陸軍に献納したからである。


 今回の歴史では日独伊三国同盟を結ぶまで日米間の関係は悪いものでは無かった。


 史実とは違い「日華事変」を原因とする日本とアメリカとの摩擦は起こっておらず、更に日本はドイツと距離を置く姿勢を見せ、アメリカ第一の友好国、いや、ルーズベルト大統領にとり第一の友好国たるイギリスに不利になるような立ち位置にもいなかった。


 また、日本にいるグルー大使からルーズベルト大統領に送られた報告には、日本の政治に大きな影響力を持ち陸軍を支配している閑院宮の目は常にソ連を向いており、東南アジアや中国には向いていない事が指摘されていた。

 報告の中には閑院宮は日露戦争に従軍した英雄であり、それ以来、ロシアを敵視しているともあった。

 それに加えルーズベルト大統領の親戚で日露戦争で日本とロシアの仲介にあたった第26代大統領セオドア・ルーズベルトを心から尊敬しているとも報告されていた。


 それに「日華事変」の和平条件において中華民国政府に領土の割譲を求めず、過大な要求をしなかった事で戦争を短期終結に導いたのは閑院宮の影響であり、その理性的な判断はアジアの安定にとり得難いものであるとも書かれていたのである。


 日本はこれまでの所、満洲建国とその満洲国との貿易を制限する以外にアメリカに不利になる事はしていない。

 しかも、アジア南方というアメリカやイギリスの権益が存在する地域に対しては、陸軍を支配する閑院宮が目を向けておらず、それどころか常に北の脅威(ソ連)を警戒する方針を政府にもとらせている。


 こうした事情から今回の歴史では、史実のように1939年からアメリカが経済制裁を始めるような事は無かったのである。

 経済制裁や購入する物の制限をアメリカが日本に行うのは史実より遅くなり日独伊三国同盟締結後だった。


 その結果、それまでの間に日本は数々の設備や機械、技術をアメリカから購入している。

 航空機用燃料製造設備及び製造技術関連に関する権利や、航空機関連の各種装置や技術の権利、石油精製設備及び精製技術に関連した権利、石油探査機器や関連技術、幾種類にも及ぶ特殊工作機械等々それは多岐に渡る。


 それらの多くが史実では1939年から始まったアメリカの経済制裁により購入できなかった物である。

 中には契約寸前であったのに経済制裁により契約が破棄された物もあった。


 そうした中に今回の歴史ではメーコン型飛行船の複数購入契約とライセンス生産契約権取得、ヘリウムの大量購入といった史実には無い件もあったのである。

 

 メーコン型飛行船はヘリウムガスを使用する。

 ヘリウムガスは水素ガスより安全だが高価でもある。そしてアメリカ政府は戦略物資に指定しており外国への輸出を規制している。


 本来なら日本もヘリウムガスを輸入できなかった。

 しかし、時代が味方した。

 アメリカは世界大恐慌により経済が思わしくない。史実よりも思わしくなかった。

 何故なら「日華事変」が半年という短期間で終結したからだ。


 史実では「日華事変」の発生によりアメリカでは日本と中国双方からの戦略物資の買い付けが増えたために輸出が増大し、それが大恐慌から抜け出す一つの要因となっている。

 現代におけるアメリカの経済史を研究した文献にも載せられている事実だ。


 だが、今回の歴史では「日華事変」が短期に終わった結果、史実よりも遥かに日本と中国への戦略物資の輸出は少なくなった。

 その分、アメリカ経済の状況は史実よりも悪い。


 アメリカの生産関係の企業はどこも輸出先、大量に自社製品を購入してくれる顧客を求めて必死だ。

 それはメーコン型飛行船を建造していたグッドイヤー社もかわらない。

 

 グッドイヤー社はアメリカ海軍に不満を持っていた。

 海軍はアクロン号とメーコン号の2隻しか購入しなかった。

 硬式飛行船を建造するには特殊な機材、大型の製造工場、多くの専門的な技術者が必要だ。

 しかもアクロン号、メーコン号はそれぞれ細かな仕様も違うし、海軍の要求で新機軸の技術も盛り込まれていた。

 利益は出ているとはいえ、たった2隻の購入では今後の設備維持と技術者の雇用に支障が出る。

 できればもっとアクロン型、メーコン型の飛行船を購入してほしい。それがグッドイヤー社の偽ざる本音だ。

 しかし、アメリカ海軍は硬式飛行船の採用を打ち切った。


 そんな時、日本からメーコン型飛行船の大量購入の打診があったのである。

 グッドイヤー社はこの話しに飛びついた。

 そこで問題になるのがヘリウムガスだ。

 ヘリウムガスが無ければメーコン型飛行船を運用できない。しかし、ヘリウムガスには輸出規制がある。

 日本もヘリウムガスを購入できなければメーコン型飛行船の大量購入を諦めると言って来る。


 そこでグッドイヤー社が動いた。

 まずは自社のある選挙区の下院議員への陳情である。

 その中でこれまでの議員に対する貢献と、これからの貢献の話しが強調された。つまり選挙の票と選挙資金・政治献金についてである。


 飛行船を建造するのはグッドイヤー社だが、建造するにも各種の資材が大量にいるし、当然、取引先は多岐にわたる。

 細かな部品や装置は他の会社や下請け、孫請け会社が製造し納入したりもする。

 一隻の飛行船を建造するのに関わる会社はグッドイヤー社を頂点に軽く100社を超えるのだ。

 当然、多くの労働者が関わり、その本人と家族の生活に関わって来る。

 大恐慌時代故に雇用を維持できるかどうかの瀬戸際にある会社は多い。


 もし、メーコン型飛行船の大量建造が決まるならば、多くの会社と労働者の暮らしが成り立ち楽になるだろう。今後数年間は安泰となる。


 そうした契約締結に議員が尽力したともなれば、当然、次の選挙ではグッドイヤー社を始めとして取引先、下請け、孫請け会社からの選挙資金、政治献金と社員とその家族達からの票もあてにできるというものだ。


 しかし、議員が何もせずにこの契約が流れれば、次の選挙で彼らの助力はあてにできなくなる。

 それどころか恨まれ対立候補に票は流れる事になるだろう。


 当然、下院議員は動いた。

 他の選挙区でもグッドイヤー社と取り引きのある会社がその選挙区選出の議員に働きかける。

 ヘリウムガスを扱っている会社も同様だ。取引先が増えるのは喜ばしい。


 こうして兵器や戦略物資の輸出の規制について目を光らせている下院の軍事委員会に議員達から表と裏から圧力がかけられる。

 更にはルーズベルト大統領にも話が行き許可が出される事となる。

 その結果、ヘリウムガス輸出規制が一部緩和され日本への輸出が実現したのである。


 グッドイヤー社ではメーコン型飛行船の大量建造が始まった。

 また満洲においてメーコン型飛行船のライセンス生産が開始される。


 そうして建造されたメーコン型飛行船による部隊が後に満洲の地で編成された。

 開戦までに建造され、乗員の訓練が完了した飛行船は27隻。

 これに訓練中の飛行船が8隻。

 更にまだ建造中の飛行船が3隻。


このメーコン型飛行船には特色がある。

 戦闘機を5機搭載しているのだ。

 船体下部の内側に格納庫が設置されている。


 つまりは空中空母なのだ。


 史実において飛行船に飛行機を搭載するという試みは以前より行われていた。

 第一次世界大戦においてドイツとイギリスの双方が実験的に飛行船の下部に吊るした戦闘機を発進させる事に成功している。


 その後、ドイツやアメリカでは戦闘機の発進だけでなく飛行船に帰投する事も試みられた。 


 アメリカの場合、当初、戦闘機は船外にアームで吊り下げられており、発進時にアームを発信位置まで下げて、そこから発進し、帰投時には機体上方にとり釣られているフックをアームのフックに引っ掛けるというやり方をしていた。

 ドイツで試された方式もやはりフックに引っ掛けるものである。


 結局、ドイツでは水素ガスより安全性の高いヘリウムガスを確保できず、戦闘機の帰投にしても飛行船下部は気流が乱れやすいので、戦闘機がフックを引っ掛る事が非常に難しいという問題に直面する。

 更には飛行機の進歩が速く、飛行船を運用するよりも飛行機に重点が移っていった事からドイツやイギリスでは飛行船は消える事となる。


 そうした中でアメリカのメーコン型は安全性の高いヘリウムガスを使用している為、戦闘機の船内格納が可能という極めて特殊な飛行船として姿を現したのである。

 しかし、アメリカでもやはり時代は速度の遅い飛行船よりも、躍進著しい飛行機にその活躍を期待する事となり大型硬式船は姿を消す事となる。


 日本でも飛行機を搭載する飛行船の空中空母の計画はあったが、実現しないままに終わっている。


 史実では日本が飛行船の運用を停止したのは海軍が1932年で、陸軍は1918年であり、陸軍はかなり早い。

 陸軍の飛行船廃止後は14年間も海軍が飛行船を独自に運用していた。


 なお、メーコン型の登場は1933年であるから日本が飛行船の運用を止めた後に空中空母を完成させた事になる。

 そのメーコン型の日本への輸入とライセンス生産を摂政は推進したのである。


 メーコン型が搭載している機体はカーチス社製のF9C戦闘機。複葉機だ。

 小型であり単葉機に比べれば性能は落ちる。


 だが、テクノロジーにはテクニックだ。

 良いお手本が1939年に発生した冬戦争。ソ連対フィンランドの戦いだ。

 フィンランド軍は数の少ない寄せ集めの旧式戦闘機でソ連の戦闘機相手に善戦し、一歩も退かずフィンランドの大空を守り通した。


 日本の飛行船に搭載される戦闘機パイロットは猛訓練で鍛えられた。



 日本の飛行船艦隊は12隻で1個航空艦隊が編成された。

 それにより「帝国陸軍第1東遣航空艦隊」「帝国陸軍第2東遣航空艦隊」が誕生する。


 そして遂に「帝国陸軍第1東遣航空艦隊」と「帝国陸軍第2東遣航空艦隊」が出撃する日が来た。


「全艦発進!」

 艦隊司令の命令が飛ぶ。

 係留索が解かれた飛行船が次々と動き出す。

 24隻の巨大な飛行船が東を目指して飛び始めた。


 地上では地上要員達が帽子を振っている。

「頼むぞー」

「頑張れよー」

「バンザーイ! バンザーイ!」


 摂政肝いりの航空艦隊がこの日、アメリカ本土を目指して飛翔を開始した。

 それは更なる激烈な流血の始まりだった……  


【to be continued】

【筆者からの一言】


そんなわけで陸軍の航空艦隊が出撃しました。

その狙いとは……第6話と第7話にて。

 

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