真・摂政戦記 0029話 反抗
1941年12月下旬 『ハワイ パールハーバー アメリカ太平洋艦隊司令部』
「停戦! 停戦だと! 馬鹿な! ワシントンの奴らは何を考えているんだ!」
キンメル太平洋艦隊司令長官が手渡されたばかりの通信文を机に叩き付けた。
叩き付けても紙1枚であるから大して影響は無い。
「敵の弱点が見えたところではないか!
日本はアメリカ本土との補給に飛行船を使っている。
あれならばこちらの戦闘機で充分叩き落とせる。
先日の勝利はそれを証明した。
日本との補給線を叩き西海岸へ攻勢をかければ我が軍は勝てる!
反撃はこれからではないか!」
先日の勝利とは日本の「第1東遣航空艦隊第3戦隊」所属の3隻の硬式飛行船が、空母エンタープライズとレキシントンを中心とする空母部隊に殲滅された戦いの事である。
アメリカ太平洋艦隊司令部は、この勝利に自信を取り戻しつつあった。
これまでは日本側に一方的に叩かれていたが、敵も決して無敵ではないと。
そしてアメリカ国民の士気を鼓舞する為にもこの勝利を大々的に喧伝していた。
日本からしてみれば、確かに飛行船を補給に使っているがそれを阻止されてもすぐに困るという状況には無かった。
補給ルートが他に二つあるからである。
一つ目は戦前からアメリカ本土に設けたダミー会社に前もって準備させており、長年少しずつ集めた補給物資を倉庫に隠匿保管していた。
二つ目は南米ルートである。
南米のダミー会社の港の倉庫にも補給品が集められ、それを第三国の船に偽装して開戦前に南米に待機させていた輸送船により、少しずつアメリカ本土に輸送していた。
飛行船による補給ルートが切られても直ぐに干上がる事は無い。
それをアメリカ軍は知らない。
「恐らくワシントンはこれまでに被った被害に弱腰になってしまったのでしょう。閣下、いかがなさいますか?」
参謀長が問い掛ける。
「こんな命令は聞けん。
だいたいワシントンの臨時政府は正規の手続きを経て設立されたものではない。法的な根拠は何も無い。
軍が従う理由は無い!
私は正規の命令に基づき今の地位にいる。
開戦前に日本軍の攻撃があった場合は速やかに対応するよう命令も受けている。
この命令には従わん!!」
「賛成です。こうなっては長官が中心となり戦いを主導していくかないでしょう」
この会議に参加していた陸軍司令官のショート中将もキンメル大将に同意した。
「本土に呼びかければ立ち上がる者は多い筈です」
参謀長のその言葉にキンメル大将とショート中将が頷いた。
「よしっ! すぐにかかってくれ。共同で反攻作戦をやろうと本土と呼びかけるのだ。軍は言うに及ばず民間にも呼びかけろ」
「了解しました」
こうしてハワイのアメリカ軍は臨時政府の命令に従わず戦争を継続する方針を選択した。
ハワイのアメリカ軍上層部は本土の悲惨な惨状を理解していなかった。
情報は入って来ている。
しかし、未だ情報が錯綜し信頼性に欠ける為に半信半疑なのである。
それに真珠湾はやられたとは言えアメリカ合衆国という大国が、たった数日間の攻撃で壊滅状態になるというのは信じられなかった。
軍事的常識というものが邪魔をしたのである。
1921年にアメリカ軍において戦艦への空爆実験を行った時もそうだった。
この時は戦時賠償で得たドイツの戦艦やアメリカ海軍で老朽艦となった戦艦に対する爆撃実験を大々的に行っている。
当時の海軍長官や新聞記者もこの実験を見学していた。
ある海軍士官など新聞記者に1対1000で賭けてもいいが戦艦は絶対に沈まないと豪語している。
戦艦が空爆で沈む事などあり得ないと多くの軍人が考えていたのだ。
しかし、現実はものの見事に空爆で戦艦が沈められた。
ドイツの戦艦もアメリカの老朽戦艦も沈んでいる。
しかし、この実験では頭の堅い海軍上層部の考えを変えるには至らず大艦巨砲主義はそのまま継続され、真珠湾攻撃を迎えるのである。
人は信じたいものを信じる、とは昔からよく聞かれる言葉であるが、実際にその目で見て、いやその目で見てさえも信じない者はいる。
ハワイのアメリカ軍上層部もアメリカ本土における被害の程度を現実よりもかなり軽微に捉え軽視していたのである。
そしてハワイより太平洋全域とアメリカ本土に日本への反攻作戦を呼びかける。
フィリピンのマッカーサー将軍もバターン半島に籠城しながら戦争継続を高らかに表明した。
更にはカリフォルニアの第3軍司令部でも停戦命令に従わない事が決定される。
第3軍司令部でもやはりワシントンDCの臨時政府の正当性と、その命令権について議論が交わされ、そうした結論となったのである。
そしてカリフォルニア州に上陸した日本軍を海に叩き落とす為に、太平洋艦隊司令部と協力する方針を打ち出した。
この事態にアメリカ臨時政府は慌てふためいた。
しかし有効な対策が無い。
これによりアメリカは混迷の度合い更に深めていく。
その状況を日本にいる閑院宮摂政は歓迎していた。
戦争の終わりはまだ見えない。
終わりへと至る道は遥か遠くであった……
【to be continued】




