真・摂政戦記 0018話 蠢動 その②
1941年12月中旬 『日本 東京 近衛私邸』
豪奢な部屋で六人の男達がテーブルを囲んでいた。
「それで、どうだった?」
この家の主人、近衛文麿首相に気安く声を掛けたのは原田熊雄男爵だ。
貴族院議員でもある。
原田熊雄男爵は、昨年亡くなった「最後の元老」と呼ばれた西園寺公望公爵の秘書をしていた関係で、宮中、政界、財界、軍部の表も裏も知り尽くし各界に影響力を発揮したと言われる男だ。
原田家は動乱の幕末から明治時代にかけて、原田熊雄の祖父にあたる人物が西洋式兵学を日本に導入するにあたり功績があった事から家名を高める事になった。
「だめだった。動かんよ。ただし、ウラン爆弾については摂政殿下に掛け合ってくれると言っていたよ」
近衛文麿が頭を振って残念そうに返答した。
「それで、摂政殿下が聞き分けてくれればいいが、耳を貸さなかった場合はどうする?」
そう言ったのは有馬頼寧伯爵だ。
貴族院議員であり近衛内閣で過去に農林大臣を務めた事もある。
有馬頼寧伯爵のご先祖様には豊臣秀吉から徳川家康にうまく鞍替えし、戦国時代を無事に渡り切った有馬則頼・豊氏親子がいる。
秀吉時代に3000石から3万石に出世し、家康時代に8万石にまで出世している。豊氏は家康の養女を妻に迎えてもいる。養女と言っても家康の妹の子を養女としたもので、実の姪である。
戦国時代では脇役のような武将だが、地味に秀吉や家康の信頼を得ていた親子と言えた。
「永野総長は飾りだと言うしな、困ったものだ?」
そう言ったのは広幡忠隆侯爵だ。
現在、宮内省で皇后宮大夫の職にあり貴族院議員でもある。
広幡家は五摂家に継ぐ家格の清華家であり名門だ。
五摂家は近衛家、九条家、鷹司家、一条家、二条家の五家からなる一番家格が上の公家。
清華家は久我家、三条家、西園寺家、徳大寺家、花山院家、大炊御門家、今出川家、広幡家、醍醐家の九家からなる。
1884年(明治17年)に華族令が発布され、従来の公家や武家の身分はヨーロッパの貴族階級制度に倣ったものに置き換えられた。
五摂家はこれにより公爵となり、清華家は侯爵となっている。
「その時は山本長官に掛け合ってみるのはどうだろう?」
そう言ったのは岡部長景子爵だ。
貴族院議員で以前は宮内省式部次長を務めていた事もある。
岡部長景子爵のご先祖様には戦国時代の岡部正綱がいる。
最初は今川義元、氏真に仕えたが、後に武田信玄、勝頼に仕え、その後は徳川家康に仕え、戦国時代を乗り切った。下手をすれば家が滅んでもおかしくなかったが、うまく切り抜けている。
「私もそれがいいと思う」
そう賛成したのは木戸幸一侯爵。現内大臣。
木戸幸一侯爵の祖父は明治維新の功労者、木戸孝允、改名前の名前は桂小五郎。
維新三傑の一人だ。
この六人は「十一会」という会のメンバーだ。他にもいるが今日はこの六人が近衛邸に集まっていた。
「十一会」は大正11年11月11日と言う11の数字が並ぶ日に結成された為、「十一会」と名付けられたと言う。
30代の親しい華族が集まり結成された政治研究会である。「宮中グループ」と呼ばれたりもする。
この会の源流とも言える会があり、それが近衛文麿、木戸幸一、原田熊雄が京都大学で学んでいた時に結成した「白川パーティ」だと言われる。
当時、原田熊雄が下宿していた先が京都北白川にあり、そこに3人で集まったのが「白川パーティー」の始まりだったらしい。
最初は政治的なものではなく、読書会をしたり、学生らしく3人で遊ぶ事から始まり、そして卒業し社会に出てからも3人の付き合いは続き、後に「十一人会」を結成する事になったと言う。
有馬頼寧、広幡忠隆、岡部長景の三人は全員1884年生まれの東京帝国大学卒である。
近衛文麿らよりは4歳から6歳ほど年上だ。
「十一人会」が結成されてから既に20年。
皆、気安い関係である。
「では、摂政殿下が嶋田海軍大臣の説得を聞き入れて下さらない時は、山本長官に話しをしてみよう」
近衛首相の言葉に全員が、それがいいと賛同した。
近衛文麿は続けて木戸内大臣に尋ねる。
「幸さん。陛下のお加減はどうなのですか?」
「よくありません。ご政務の復帰にはまだまだ時がかかるでしょう」
木戸内大臣が深刻そうな表情で返答した。
「それはよくないな」
有馬頼寧が顔を顰める。
「陛下がいれば、摂政殿下の行き過ぎを掣肘できるのに」
広幡忠隆も首をふった。
「みんなに聞いて欲しい事があるんだが……」
近衛首相が躊躇ったように言葉をすぼませた。
全員の視線が近衛首相に集まった。
しかし、なかなか続きを言い出さない。
「何だ。みんな古い付き合いだ。遠慮せず言ってみろや」
原田熊雄がそう促すと近衛首相は躊躇いがちに口を開いた。
「摂政殿下だが、あまりに話しが出来過ぎていないか?
戦争になる事を予期していたようにウラン爆弾を開発し、不正規部隊を編成し、アメリカ国内にまで秘密部隊を潜入させていた。
その準備が整ったところで戦争が始まったかのような印象を受けるんだよ」
時が止まった、かのような静寂が部屋を覆った。
それぞれ顔を見合わせる。
「……それは」
「しかし……」
広幡忠隆、岡部長景は言葉に詰まる。
「アメリカが仮想敵なのは、日露戦争以来の事だから、それに備えるのはおかしくないのでは」
有馬頼寧がそう指摘した。
「しかし、兵士にも適齢と言うものがある。
アメリカ国内の潜入部隊だって、いつまでも隠し通せる規模じゃないだろう。
使うか使わないか、わかりもしない私兵の大軍を養っていたというのも疑問だしな」
原田熊雄が有馬頼寧にそう反駁した。
「俺もおかしいと思っていた事がある。
日独伊三国同盟の締結の時に、摂政殿下、あの時は参謀総長だったが、まるで動かなかった。
何故、総長は何も言わず、動かないのだろうと不思議に思っていた。
それ以前の昭和14年に同盟の話しが出た時は総長が率先して潰したのにだ。
もし摂政殿下が最初からアメリカとの戦争を望んでいたとして。
日独同盟はその切っ掛けになると読んでいたとすれば……」
そこまで言って木戸幸一の言葉は尻すぼみになった。
「いや、待て。
あの時は、日独伊三国同盟を結んでもアメリカとの関係は致命的になる程の悪化はしないというのが、大方の識者の見解だった筈だぞ」
岡部長景が反論する。
「摂政殿下は違う見解だったのかもしれない。同盟を結べば戦争になると」
広幡忠隆がそれに反駁した。
「つまりそれは、あれか。
昭和14年の時はまだ、摂政殿下の対米国戦準備が整っていないから同盟を潰した。
今年は準備が整っていたから同盟締結を止めなかったと言うのか」
岡部長景が信じ難いという風に首を振った。
「それだけではないかもしれない。陛下の毒殺未遂もあるいは……」
近衛首相の言葉に全員が息を飲む。
「まさか……」
「いや、ありうるかも」
「だが……」
「そこまでするか?」
それぞれが口々に思いを吐露する。
「摂政殿下は最初から米国との戦争を望み準備を整え、機会を窺っていたのかもしれない。
もし、これが全て摂政殿下の企てだとするのなら、どうする?」
木戸幸一の言葉に皆が顔を見合わせる。
この日の話し合いは長く続き深夜に及んだ。
日本の今の現状を憂う華族達の思いは、果たして何を齎すのか……
【to be continued】