真・摂政戦記 0016話 帰還
1941年12月下旬 『日本 東京 銀座通り』
物凄い人出だった。
人、人、人でどこもかしこも人で溢れている。
12月なのに熱気を感じる程だ。
デパートや建物の窓、更にはその屋上でも人が鈴なりになって下を見ている。
その人々の表情は明るい。
「見えた! 来たぞ!」
「来た!来た!来た!来た!」
「きたー!」
そんな声が上がり民衆のボルテージが一段と上がった。
人々が見ようとしているのはパレードだ。
陸軍のパレード。
正確に言えばパレードとはいえないかもしれない。
フォート・ノックスより奪取したアメリカの金塊・銀塊を積んだ飛行船部隊が千葉の臨時飛行船専用基地に帰還した。
その金塊・銀塊が陸路、銀座通りを経由して皇居に運ばれ摂政を始め皇族、政府首脳陣にお目見えされるのだ。
その後は日本銀行に預けられる。
日本軍がアメリカの保有する大量の金塊・銀塊を奪取したという情報は既に国内にラジオや新聞で公表されており世界に向けても情報発信されている。
その金塊・銀塊を積んだトラックの輸送部隊が千葉より護衛部隊に守られ銀座通りを通過する事が公式に政府より発表されていた。
それを一目見ようと人々が集まっていたのである。
金塊・銀塊奪取の報は日本国民を熱狂させた。
真珠湾攻撃と南方戦線、更にはアメリカ本土で日本軍が勝利している事は国民を喜ばせている。
しかし、目に見える利益を得た事は更に国民に喜びを齎した。
国民は当然の事ながら戦争に勝利を求め更には利益を求める。
別にこうした利益を求める事は珍しい事ではない。
史実において第一次世界大戦後にフランスがドイツに多額の賠償金を求め、第二次世界大戦前期にドイツがフランスに勝利し多額の賠償金を求めたように、昔は戦争で賠償金を取り利益をとるのは当たり前の行動だった。
日清戦争では日本は約2億3千万円の戦費を使った。
そして清国から3億6千万円の賠償金と台湾等幾つかの領土を得ている。
日本にとって日清戦争は大幅な黒字となった。
日露戦争では勝利はしたがロシアが余力を残しており、南樺太の割譲やロシアが中国に持つ幾つかの租借地の権利を譲られたり、沿海州での漁業権を得たにとどまり、賠償金はとれなかった。
その為、日本国内では国民が日露講和条約(ポーツマス条約)の締結に怒り暴動を起こしたりしている。
戦争で勝てば大金が入る。
それがこの時代の日本人の感覚であり「戦争の勝利=賠償金」は昔からの公式だ。
それが今回の戦争では早くも大量の金塊・銀塊が手に入った。
まるで戦勝賠償金の前払いを受けたかのような感じだ。
しかも桁が大きい。
日本円にして336億円分の金塊、銀塊。
平和な時の国家予算の15年分に相当する額。
日清戦争の時は年間国家予算3年分の賠償金だった。しかし、今回は15年分!
国民がお祭り騒ぎになるのも無理はなかった。
銀座通りを陸軍の金塊・銀塊輸送トラック部隊が低速で進んでゆく。
トラックの荷台には幾つもの木箱が積まれ、一番上の木箱は蓋が開けられている。
そこに見えるのは黄金の延べ棒だ。
とは言っても通りに立つ人からは見えない。
荷台には護衛の兵士達も乗り込んでいるので、その隙間から木箱が見えるだけだ。
ビルの窓や屋上にいる人達からも小さくしか見えない。
しかし、それでも国民は浮かれ喜んだ。
「「「「「バンザーイ! バンザーイ!」」」」」」
人々の歓声があがり、それはいつまでも絶えなかった。
この金塊・銀塊の日本到着により日本全国で人々は昼間は旗行列、夜は提灯行列を行い喜んだ。
戦争中とは思えないほど、人々の顔は明るい。
戦争をしているのに日本は平和だった……
このアメリカの金塊・銀塊は日本に滞在している外国の記者達や、中立国の大使館の大使らにも公開される。記者達は競って世界に報道した。
日本からの公式発表だけならプロパガンダとして信用されなかったかもしれない。
しかし、複数の外国人記者が自国に記事として伝え、中立国の大使も自国に報告する。
日本がアメリカの金塊・銀塊を奪取したとの報は世界中に広まった。
それまでにも日本の攻撃によりアメリカが大打撃を受けているという事で世界でのドルの価値は暴落していた。
そこにアメリカの金塊・銀塊奪取のニュースである。
この日、アメリカのドルは信用を完全に失い、世界中で紙屑となった……
【to be continued】