第2話
※シンの父親の名前を変更しました。
討伐はおばばの呼び出しから三日後となった。
討伐当日。
ユラはいつもの装備に加えて両腕に黒い手甲をはめ、右腰にロープを吊り下げて村を訪れていた。剣の手入れも、ポーチの中の薬も万端だ。
「今日はよろしく頼むぞ、ユラ。俺達ゃ、お前さんの指示に従うぜ」
斧や鉈を持った討伐に参加する村の男衆の中で、一際筋肉質な体を持つ男がそう言った。シンの父親で、ユラを除いて村一番の力持ちのゲンだ。ユラは静かに頷いた。
「実際の討伐には三分の一を連れて行く。残りは念のため、村に残っていてほしい。必ず三人以上で行動すること。危険だと思ったらすぐに逃げ、各自守り笛で助けを求めること。笛の合図は……」
ユラは守り笛を使った連絡手段を用いることにした。村人なら皆持っているため、丁度よかったのだ。
ユラが各自に指示を行き渡らせていると、何やら外野が騒がしい。男衆以外で集まっている村人達の中で問答があっているようだ。指示を出しながらユラが密かに聞き耳をたててみると、こんな会話が聞こえてきた。
「おれもトウバツしにいく!」
「あんたはダメに決まってるでしょうが!」
「なんでだよ! おれだってたたかえる! にーちゃんのかたきをうつんだ!」
「バカ言ってんじゃないよ! あんたまで怪我しちまったらどうするつもりだい!? 大体、子どもを行かせられるわけ無いだろう!」
「ユラだってまだこどもじゃないか!」
「あんたと違ってユラは強いから良いの!」
「お、おれだって――」
「いつまでもバカなこと言ってないで、さっさと家畜の世話をしてきな!」
生来盲目なせいで常人より何倍も鋭いユラの聴力は、その後に拳骨が落とされた音と「いってぇ!」という幼い男の子の声を拾った。声からするに、アスマの弟であるタツマとその母親だ。
勿論、ただの子どもを討伐隊に参加させるわけにはいかない。危険すぎる上、今回アスマが怪我を負ったように、自分の身を守れない子どもが一緒に来ても正直言って足手まといなのだ。
ユラはアスマの仇討ちに燃えるタツマの気持ちを思い、改めて気合いを入れるのだった。
◆◆◆
村の北に位置するククルー山。ユラと十二人の討伐隊はそこを訪れていた。今日までの二日間でユラが調べた結果、この山にウルフ達が住み着いていることが判明したのだ。
周囲を見渡せば、ウルフのマーキングの特徴である三本の爪痕が刻まれた木が所々にある。その上盲目であるが故に鋭いユラの嗅覚は、ウルフの臭いを色濃く捉えていた。
「この辺りにしようかしら」
ククルー山に分け入ること約二時間。唐突なユラの言葉に、しかし討伐隊の面々は頷いて行動を開始する。
ユラの指示の下、男達は罠を設置していった。罠と言っても、餌に近付いた途端に網に捕らえて宙吊りにする単純なものだ。それを数ヵ所に少し離して仕掛ける。
警戒心の強い草食の生き物だったら引っ掛からないだろうが、肉食の生き物は比較的単純なため引っ掛かりやすい。自分が喰われる側になるという意識が低いのだ。
そして、引っ掛かったところを攻撃して安全に、そして確実に仕留めるのが今回の作戦だった。
全ての罠を設置し終わった頃、ユラはポーチの中から一つの密閉されたビンを取り出した。中には赤い染みの付いた包帯が何本か入れられている。これはアスマの手当ての時に使われた包帯で、アスマの血――つまり、人の濃い魔力が染み付いている。これが餌だ。人の血の味を知ってしまったウルフにとっては、とても美味しそうな匂いがするに違いない。
ユラはビンから包帯を取り出すと、罠が仕掛けられた近くの木々に巻き付けていく。
「これでよし! さあ、隠れて」
最後の一本を結び終わり、討伐隊の面々は罠が目視でき、かつウルフに気付かれない少し離れた場所で緑の中に身を潜めた。ユラも罠が見えやすい木の上に身を隠す。皆臭い消しの薬草を体に刷り込んでいるため、気付かれる事はそうそうないだろう。
暫くすると、遠くからウルフの遠吠えが聞こえてきた。男達が武器を構える。
更に息を殺して待つこと約一時間。
感覚の鋭いユラは複数のウルフの足音と息遣い、気配を真っ先に察知した。ウルフ達は真っ直ぐ罠へ向かっている。しかしユラは走ってきているウルフの群れに違和感を覚えた。何となく、嫌な気配を感じる。
(……やっぱり、魔物に近付いている個体がいる。群れも普通より多い。十五匹くらいか)
魔物化したウルフは通常のウルフよりも持っている魔力が濃密なため、他のウルフよりも凶悪だ。そしてその強さで自らが属する群れの頂点に立ち、どんどんと群れの数を増やす。そしてその群れのウルフ達も、リーダーに影響されたかのように狂うという。
これは他の群れる生き物達にもほとんど言えることで、魔物化した生き物が一匹でもいると、その強さだけでなく数の上でも脅威になりかねないのである。
しかし、罠の数は足りている。万一既にウルフが魔物化してしまっていた時のために備えていたのだ。
いよいよ男達にもウルフ達が草木を掻き分けてくるガサガサという音が聞こえる程になった。一気に緊張が高まる。いつでも攻撃できるよう、男達の武器を持つ手に力が入る。ユラも剣の柄に手をかけた。
そして、ついにウルフ達が現れた。
通常では白地に灰色か茶色が被さったような体毛を持つウルフ。しかし、現れた群れの先頭にいたのは、全身が真っ黒に染まり、目を赤く血走らせた獣だった。後ろに続くウルフ達に比べて体は一回り大きく、そして牙も爪も鋭さを増している。
その姿を見た男達は、一気に体を緊張させた。顔も心なしか青く強張っている。
黒いウルフは十四匹のウルフを引き連れて現れた。その十四匹の目も血走り、涎を垂らしている。
ウルフ達が血の付いた包帯へと迫る――が、しかし。包帯の近くの地面に足を付いた途端、罠が発動した。
網がウルフ達を残さず捕らえる。皆宙吊り状態だ。黒ウルフも例外ではない。網の中で、何とか抜け出そうと暴れている。
(掛かった! これで――っ!?)
その時、黒ウルフに近付く小さな気配をユラは察知した。それと同時に、魔物の力には耐えられなかったのか、黒ウルフを捕らえていた網が千切れる音も。
「よし! ユラ、これで――」
近くにいたゲンの言葉よりも早く、ユラの体は既に動いていた。木々の間を、赤い風が一瞬で過ぎ去る。
ガキンッ! という固い音が木霊した。
いきなり黒ウルフが自由になってしまったことに腰を抜かしている小さな者と黒ウルフの間で、燃えるような赤髪が靡く。
「大丈夫? タツマ」
黒ウルフに左腕を噛み付かせたまま、ユラは背後にいる人物にそう声をかけた。
「へ……あ……ユ、ラ……?」
呆然とした様子でそう声を発したのは、アスマの弟であり五才ほどの男の子、タツマ。しかし、黒ウルフに噛み付かれたままのユラの腕を見ると大きく目を見開いた。
「ユ、ユラ! うでが――」
「ユラあッ!!」
タツマの声を遮るようにゲン達が大声で走って集まってきていた。
「来るなあッ!!!」
しかし、ユラの大声でその足は止まる。
「討伐隊はタツマの保護と他のウルフ達の始末を! コイツの相手は私がする!」
そう叫ぶと、ユラは左腕に噛み付いたままだった黒ウルフの鼻っ柱を、固く握り込んだ右手の拳で勢いよくぶん殴った。
キャイ~ンと情けない声をあげ、黒ウルフはユラの腕から口を離す。続けてユラは黒ウルフの腹を蹴り飛ばした。黒ウルフは木々を二、三本折りながら後方へ飛ばされる。すぐさまその後を追い、更にもう一回蹴り飛ばす。
(出来るだけ遠くへ……!)
罠に掛かった普通のウルフならともかく、魔物化しつつあるこのウルフは男達には荷が重い。ユラは、討伐隊の安全を確保するために黒ウルフを遠くへ追いやることを最優先していた。
三回の攻撃でユラが脅威だと感じ取ったのか、二度目の蹴りで巨木に叩き付けられていた黒ウルフは涎に血を滲ませながらも逃走を開始した。
「逃がすかっ!」
ユラは黒ウルフを追いやるようにその後に続いたのだった。
◆◆◆
周囲を山で囲まれたこの村には、二つの街道が存在する。
一つは東のウノー山と南のマナム山に挟まれたウナム街道、もう一つは北のククルー山と東のウノー山に挟まれたクルノ街道である。二つとも何度も踏み締められることでできた道だ。
ウナム街道からは三十日に一回程の割合で行商人が訪れ、村の中では得ることが出来ない調味料や珍しい食べ物、便利な道具などを運んできてくれる。外との繋がりがほとんど無いこの村にとって重要な街道なのは間違いないだろう。
対して、クルノ街道は険しい山道のため滅多に人が通ることはない。今ではほとんど廃れてしまった街道と言える。実際、ここ数十年でこの街道を通った者は一人もいなかった。
そんなクルノ街道を村に向かって歩く一人の男がいた。
年齢は三十くらいだろうか。正しく旅人といった風貌で、足元まで届く色褪せた緑色のフード付き旅用マントを身に付け、旅用の茶色い袋を左肩に引っ掻けている。マントで隠れてはいるが、細身なものの案外ガタイの良い体をしているようだ。
乱暴に撫で付けたような明るい茶髪に、同じく明るい茶色の無精髭。彫りの深い顔立ちで、青い瞳は興味深げに周囲を見渡していた。
「こんな街道があったとはなぁ。確かに道って言っちゃあ道だが……こんなとこ通る奴はいないだろうなぁ。ほぼ廃れてるじゃねぇか」
現在この男が通っているのは、ほぼ山の中と言っても差し支えない道だった。通る場所に木は生えていないものの、両側は木々が生い繁っている。頭上にも枝を伸ばしているため、昼間だというのに辺りは暗い。
左手の木々の奥にはクルノ川が見える。この川は、ウノー山とククルー山を分け隔てる境界線である。川の向こうがウノー山でこちら側がククルー山であり、クルノ街道はこの川に沿って続いているため、蛇行気味だ。
足元は苔むして滑りやすい大きな岩がゴロゴロしており、岩がない場所も、川が近いせいか少しぬかるんでいて歩きづらい。しかも、人二人分程の道幅しかなかった。廃れるのも当たり前である。
「この先に、村なんて本当にあるのかねぇ……よっと」
軽やかに岩を飛び降りながら男はそう呟く。男には、こんな辺鄙な場所に人が暮らしているとは到底思えなかった。
暫く歩いていると、男の耳にククルー山の方から何かがこちらへ草木を掻き分けて向かってくる音が聞こえてきた。すぐにマントの中の剣の柄に手を添えて警戒態勢に入る。その動きには、一切の無駄がない。
警戒しつつも依然として街道を進んで行く。しかし、やはり音は段々と男に近付いてきているようだった。
(狙いは俺か……?)
暫くして、鬱蒼と繁る草木の合間から黒い影が突如として男に襲い掛かった。その刹那に男の目が捉えたのは、真っ黒な体毛を持ち、通常よりも一回り大きいウルフだった。目を血走らせ、牙を剥き出しにしている。
「ガアアアア!!」
(魔物か!?)
襲い掛かる牙を防ごうと男が咄嗟に剣を抜き放ったその時。
銀色の光が黒ウルフの首を横切った。
ドサッ、ドッと重いものが落ちる音が二つ、川の音に掻き消されることなく嫌に響く。
頭と胴体を綺麗に断たれた黒ウルフは、その顔を襲い掛かる時の凶悪な表情のままに息絶え、男の目の前の岩場へとその大きな体を倒れ込ませたのだった。
瞬く間に岩場に真っ赤な血溜まりが広がる。
しかし男の目が映していたのは、それとは全く別の、黒ウルフの大きな体の後ろから現れた、燃えるような赤であった。