第1話
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はてさてどんな物語になるやら。
その村は山に囲まれていた。小さいながらも平和で、男衆は畑を耕し、女衆は布を織った。子ども達は家畜と共に野山を駆け回り、老いた者達はそんな子ども達に知恵を授けていた。
「187ッ! 188ッ!」
やっと空が白み始めた早朝。まだ鳥も鳴いていない。その村から少し離れた鬱蒼と繁る山の中から、気合いの入った声が響いてくる。その声は、まだ幼さを残す少し高い子どものものだった。
「215ッ! 216ッ!」
山の中に立つ小さな年季の入った小屋の前。高いところで一つにまとめられた燃えるような赤髪を揺らし、子どもにしては背が高いものの、その子どもの体つきに似合わない鈍い色を放つごつごつとした巨大な鉄の塊を何度も振り上げては振り下ろす少女がいた。
腰にはその体に不釣り合いな木剣と短剣を模した木剣を佩き、額は既に汗だくで、髪が張り付いている。まだあどけなさを残す顔付きは、しかしその美貌を既に垣間見せており、将来が楽しみである。
だが、そんな少女の切れ長の目は閉じられ、瞳の色は解らない。
「251ッ! 252ッ!」
少女の振り下ろす鉄の塊は、少女の身長の倍はありそうなほど長く、先端へいくほど太くなっている。一番太い先端は少女の胴ほどの太さだ。少女は、それをひたすらに振り上げ、振り下ろす。振り下ろした塊は、先端が全く同じ場所にピタリと止まり、揺れることも震えることもない。そして、そのスピードやペースが落ちることもない。むしろ上がる一方のようだ。
「343ッ! 344ッ!」
塊が動く度に、ブォン! ブォン! と空気を切り裂く音が少女の声と共に響く。
「470ッ! 471ッ!」
風圧が辺りの草花を揺らす。
「668ッ! 669ッ!」
700回目を振り下ろそうかというその時、少女は動きをピタリと止めた。そしてゆっくりと息を吐くと、ズシンという重々しい音と共に鉄の塊を地面に突き立てた。地面が少しめり込む。
「……出て来なさい。居るのは分かってる」
先程とはうって変わって静かになった朝の空気に、少女の静かながらも凛と通った声が響いた。すると、近くの草むらをガサガサと音をたてて揺らしながら、一人の少年が出てきた。
「ちぇーっ! また見つかった……今度は上手くいったと思ったんだけどなぁ~」
口を突き出して悔しがる少年は、少女と同じくらいの年の頃のようだ。しかし少女と比べて少し背は低く、その茶色い短髪をガシガシと掻いている。
「まだまだね、シン」
そう言って少年の方へ振り向き、瞼を閉じたまま勝ち誇ったように微笑む少女。シンと呼ばれた少年は、更に悔しそうに口を尖らせた。
「お前が鋭すぎるんだよ、ユラ」
「言い訳なんて男らしくないわよ?」
ユラと呼ばれた少女は、からかうように笑みを深めて言った。
この二人は時折、かくれんぼのようなことをしている。と言っても、一方的にシンがユラに気付かれずにどれだけ近付けるか、と遊んでいるだけなのだが。ユラに気取られずに触れることができればシンの勝ちとなる。今のところユラの全勝だ。つまり、このやり取りはいつものことなのである。
「ところで、今日はこんな朝早くに何の用?」
「おっと、そうだった。おばばが呼んでるぞ。朝飯食い終わったら来いってさ」
おばばとは村の長のことである。そして、シンの祖母でもある。それを聞いたユラは首をかしげた。心当たりがない。
「おばば様が……? 何か聞いてる?」
「多分、最近現れるようになったウルフ達のことについてじゃないか? 昨日、アスマん家の家畜が何匹か喰われたんだ」
ウルフは白地に灰色や茶色の体毛を持ち、体高が大人の膝辺りまである肉食の獣だ。群れる性質があり、平均的には五、六匹と少数。しかし、その連携は厄介である。
アスマは村に住んでいるユラ達よりも年下の男の子のことだ。
「なるほど。わかった、朝食が済み次第すぐ行く」
その返事を聞いたシンは、さっさと帰って行った。それを見送り、ユラは再び鉄の塊を振り始める。
素振りが1000に達すると、ユラは鉄の塊を小屋近くにズシリと置き、そのまま何も持たずに拳を振るい始めた。拳だけではない。時には手刀、時には掌底、時には肘、時には蹴りと、様々なパターンで攻撃を繰り出す。攻撃だけでなく、防御や受け流し、投げ飛ばしなどもある。ユラは相手を想像して戦っていた。それは、そこにもう一人相手がいる錯覚を起こしそうなほどである。
それを終えると、次は腰に佩いていた短剣を模した木剣を抜き、構える。そしてまた見えない相手と戦う。そしてそれが終わると、今度は木剣を抜き、振るう。さっきと同様、相手を想定した動きだ。
最終的に木剣が残像しか見えなくなる頃に、漸くユラは動きを止めた。ブンッ! ブンッ! と震えていた空気も静まる。
「……ふぅ。今日はこのくらいにしておこう」
汗を拭いながら小屋に戻るユラの背後に、ひらりと1枚、木の葉が舞い降りる。地面に落ちたそれは、葉脈に沿って真ん中から綺麗に2つに切られていた。
◆◆◆
朝食を食べ終わったユラは、身支度を始めた。
紺色のタンクトップの上に、白地で袖が幅広い、七分丈の服。その裾は腹部を露にするほど短い。茶色のベルトで固定した黒いズボンの膝から下は、茶色のブーツ。長い赤髪は、先端付近に赤く透き通った珠が付いた、緑に金糸が織り込まれた紐で纏める。
腰には皮を鞣して作られたポーチを巻き、暗い赤の鞘に収まる短剣と共に腰の後ろへ。ポーチの中には傷薬や包帯が入っている。
まだ成長途中の小柄な体には大きく不釣り合いに見える紺色の鞘の剣を左腰に佩いたところで、ユラは少し微笑んだ。最近まで背負っていたが、漸く引きずることがなくなったため、近頃はきちんと佩くことができるようになったのだ。
支度が整うと小屋を出て山の中を歩き出す。目的地は、呼び出しを貰ったおばばの家である。
鬱蒼と繁る緑の中を瞼を閉じたまま迷うことなく進む。歩いているのは、長年歩き続けることで踏み締められた、獣道だ。
暫く進んで山を抜けると、広い畑に出た。畦道を進むと、既に畑に出ている男達が遠くから大声でユラに声を掛けてくる。
「よお~ユラ!」
「ユラおはよう!」
「皆おはよう!」
ユラもそれに大声で返事をし、手を振る。
皆、大人の掌に乗るほどの大きさの木製の笛を首に掛けている。この笛は息を吹き込むと、ピィーという高い音を出す。
これは「守り笛」と言い、この村で子どもが生まれた時に名前と共に子どもに贈る物である。この村独自の慣習と言って良い。村人は全員が持っているものだ。
守り笛はその子どもの親の手作りで、表面には親からの願いが込められた、動物を模した彫刻や複雑な模様などが様々な形で彫り入れられる。故に同じ物は二つと無い。音も少しずつ違う。この村の人々にとっては、大切なお守りのようなものだ。皆、いつも肌身離さず持ち歩いている。
しかし、ユラの首元には何もない。
畑を抜け、民家が集まっている場所に近付くと、今度は女達がニコニコとユラに話し掛けてくる。
「あらユラちゃん、おはよう」
「今日も良い天気ね~」
「おはよう、皆」
ユラも瞼を閉じたまま、笑顔で返事をする。
「今日は何の用事で来たんだい?」
「シンならもう家畜と一緒に出たわよ」
「いや、シンに用があるわけじゃないの。詳しくは知らされてないけど、おばば様からの呼び出し」
「おやおや、大変だねぇ~」
「村長からの呼び出しってことは、ウルフの事かもしれないね」
「ああ、アソンさんとこの!」
アソンはアスマの父親だ。
「そうそう。最近は獣達も活発になってきたわよね」
「ほんとね~。この間も……」
このままだと長い井戸端会議になりそうだったため、ユラは早々にお暇しておばばの家へ向かった。
おばばの家はこの村の中心付近にある。周りの家に比べて少し大きく、簡易ではあるが柵もある。柵の中には様々な薬草が育てられており、軒下には薬草が吊るされ、乾かされている。そして、近付くに連れて漂ってくるのは煎じ薬の匂い。おばばの家は代々薬師をやっているのだ。
「ユラちゃん、いらっしゃい!」
ユラがおばばの家の柵の中に入ると、薬草が植えてある畑から声を掛けられた。おばばの娘であるスズリだ。つまり、シンの母親である。スズリは長い茶髪を白い三角巾でまとめ、緑色の染みが所々に付いた白いエプロンをつけて、手には摘みたての薬草が入った籠を持っていた。
「おはよう、スズリさん」
「おはよう。母さんから呼び出されたのね? 丁度奥で調合してるとこなの。少し待っててもらえる?」
「もちろん」
申し訳なさそうなスズリに、ユラは笑顔で答えた。
「ありがとう。客間へ案内するから付いてきて」
家に入り、廊下を進んで客間へ案内される。ユラにもてなしのお茶を淹れると、スズリは薬草を持って部屋を出て行った。
椅子に座り、暫く出されたお茶を堪能していると、カツリカツリという音と共にゆっくりとした足音が二つ近付いてきた。ガチャリとドアが開く。
「いきなり呼び出して悪いのぅ、ユラ」
声のする方を振り向けば、そこにはスズリと腰の曲がった老婆が一人。老婆はスズリと同じく白の三角巾とエプロンをつけている。茶が混じる長い白髪は後ろで緩く纏められ、右手には杖を突いていた。
「おはよう、おばば様。相変わらず朝から元気に働いているようですね」
そんな老婆に、ユラは笑顔で応える。この老婆こそが、この村の長であった。
「ほっほ、若い者にはまだまだ負けんよ。お主も相変わらず元気そうで何よりじゃ」
ユラとテーブルを挟んで向かい合わせに座りながら、おばばも朗らかに言う。スズリはユラとおばばの分のお茶を淹れ直すと、部屋を出て行った。
そのお茶を一口含んで、ユラは切り出した。
「で、今回私を呼んだのは、最近被害が出たらしいウルフのことですか?」
「おや、知っておったか」
「シンからも村の女衆からも聞きましたから」
「うむ、ならば話は早い。お主にウルフの討伐を手伝って欲しい」
おばばの真剣な言葉に、一瞬の沈黙が訪れる。
「ふむ。討伐、ですか……今までは追い払ってくれと言うだけだったのに」
ユラが怪訝そうに眉を潜める。
ユラは時折、こうして村のために依頼を請けることがあった。村の中で唯一剣を扱えるためだ。
「そうも言ってられん。被害にあったアソンの家の長男が怪我を負ったからのぅ」
「アスマが……!? 無事なんですか!?」
「幸い、命に別状はない。ウルフ達が家畜を襲っておる時に、異変に気づいたアスマが様子を見に行ったんじゃよ。その時噛み付かれたんじゃな。腕に歯形が残っておったわ」
そこまで言うと、おばばは一口お茶を飲む。そして、重苦しい口調で続けた。
「……問題なのは、ウルフが人の血の味を知ってしまったことじゃ」
「人の血の味を知った獣は、魔物化する……」
ユラの呟くような声に、おばばは頷いた。
「そう。人の血を一度味わってしまえば、獣は何度でも人を襲うようになる。そして襲う毎に人が持つ濃い魔力がその獣を狂わせ、恐ろしい魔物にしてしまうのじゃ。このままでは追い払えたとしても余所で被害が出るじゃろうよ」
この世界に生息する全ての生き物は、魔力と言うエネルギーを持っている。この力を使うことで、肉体を強化したり、成長を促進したり、敵から身を守ったりして弱肉強食の世界を生きている。
中でも人は濃い魔力を持ち、ある程度自然に干渉することができる。これを体系化したものを魔法と呼ぶ。人は魔法を使うことで生活を向上させ、文化を築き上げてきたのだった。
しかし、人が持つ濃い魔力は、一部を除いて人よりも薄い魔力しか持たない他の生き物達にとって刺激の強いものだ。だが、濃い魔力が宿るものは食べれば魔力が回復する上、それだけで美味である。人の魔力が最も濃く宿る血は、それこそ一度味わえば忘れられない程らしく、人を襲った獣はその後も何度も人を襲うようになるのだ。
そして、体に見合わない濃い魔力を溜め込みすぎた獣は、人を喰らう強力な魔物へと姿形を変えてしまう。そうなってしまえば、被害は甚大になってしまう。魔物一匹によって一つの国が滅んだ例もあるくらいだ。
「魔物化する前に討たねばならんのじゃ」
おばばが言うことは正しく、かつ有効な手段と言える。
「……わかりました。その依頼、お請けしましょう」
少し考えた後、ユラはそう答えた。それを聞いたおばばは微笑んだ。
「ありがとうの。お主がおれば、討伐に赴く男達も心強いじゃろう」
そう言うと、今度は眉をハの字にさせて呟くように言った。
「本来なら、十のお主にこんなことを頼むべきでは無いのじゃろうな……すまぬのぅ……」
するとユラは首を横に振り、優しく微笑んで言った。
「いえ、気にしないでください。剣しか振れない盲の私をこの村に置いて下さっているだけで、有り難いのですから」