こうして俺は死んだ
俺の名は、火脆木一翔。ただの高校生だ。
見た目、中身、趣味、家族、交友関係、学校での成績・授業態度。
どのステータス値をとっても平凡極まっている────ただ、名字だけがその中で燦燦と輝いているが無視だ。
自分がこうなったのは意識してやったわけじゃない。自然とそうなったのだ。
でも、そんな自分が嫌いじゃなかった。
ナルシストじゃないぞ?
平凡を絵に書いたような俺の人生は、絶対に平凡だとわかるからだ。
普通に学校に通い、普通に卒業して、普通に就職して、普通に妻子を持って、普通に老後を送って、普通に死ぬ。
そんなありふれてはいるが、小さな幸せが積み重なったような生活以上に俺は望まない────はずだった。
あの時なぜあんなことをして、あんなことを言ってしまったのだろうか。
俺はさっぱりわからない。
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「っ‼︎ うるせぇっ!」
安眠の終わりを知らせるけたたましい目覚まし時計の音に一瞬で覚醒した俺は、捕食者のように時計を引っ掴んで布団の中に引き摺り込むと、電池を抜いて、ペッ、と布団から吐き出した。
「うっ、くそ。もう、朝か」
時計への復讐で溜飲が下った俺は、もぞもぞと布団の中から這い出す。
俺はどれほど早く寝ようと、毎朝気怠い。今も毎朝の日課である、『ただぼーっとする』をしている。
「朝よ〜」
すると、ほぼ毎日変わらないタイミングで母さんの声が聞こえてくる。
「あ〜い」
母さんは普段ほんわかしているが、そのような人の例によって例に漏れず、怒ると怖い。
俺はスリッパを引っ掛けると、目を擦りながら居間に向かった。
「お兄ちゃん、遅い。中学生のあたしより、遅いとかダサい」
「黙れ、妹。兄が妹よりも起床が遅いとどうダサいのか、ダサいという意味を明確にして三十字以内で答えろ」
その居間で既に制服に着替えた妹が、時間が惜しいとばかりにハムスターのようにせっせと朝食を食べてるくせして、その合間に俺を見て欠かさず嫌味を言ってくるので、俺も欠かさず返す。
「めんどいから嫌」
「なら、はじめから黙ってろ」
妹はその俺の反撃をいつものように流して、俺もそれを真に受けず、食卓につく。
この妹とのやり取りはおおよそ変わらない火脆木家の朝の風景だ。
この朝が、俺は好きだ。
妹は嫌いだ。
俺とは違い万能で贔屓目に見ても整った顔立ちと勝ち気そうな大きな瞳に似合うポニーテールを揺らす火脆木夏海という妹は嫌いだ。
俺を見るたびに、その目がゴミでも見ているような眼差しになるのだ。嫌味も言ってくる。
しかし、これが俺の日常。
俺は何よりも、平穏平凡不変を望む。
突然妹が嫌味を言わなくなったら、俺は救急車を呼ぶに違いない。
「いってきまーす」
薙刀が入った袋を背負った妹が革靴を履いて、返事も待たず駆け出していった。
「いってらっしゃ〜い」
その誰もいないの玄関に母さん──名前は、浩子──が、だいぶ遅れて言った。
母さんはかなりほんわかしていて目を離した間に存在が希薄になって霧散してしまうのではないかと思うほどだが、今のとこそんなことはない。
「あの子も素直になったらいいのにね〜」
「? なんのことだ?」
食パンを咀嚼しながら訊いた。
「ふふふっ、かずちゃんもね」
「?」
しかし、母さんは俺にそう言って微笑むだけだった。
ちなみに、『かずちゃん』は俺のことだ。
中学に上がるとき、やめてって本気で言ったら泣かれたからもう言うつもりはない。もう、なんだか慣れてしまったし。
「では、行ってくる」
「あら、行ってらっしゃい」
「おう。親父、イッテラ」
そこに、スーツを着て出社の支度を済ませた親父がやってきた。
親父は、熊だ。説明終わり。
「今日は会議で遅くなりそうなんだ。許してくれ、浩子」
「あら、そうなの? 夜ご飯はどうする? 食べてくるのかしら?」
「いいや。俺は浩子のご飯なしでは生きて行けんからな」
「あら、もう、圭佑さんたら〜」
そして、唐突に始まるバラ色展開。
息子がいる前ではしてほしくないのだが、言うと親父がキレるので、面倒くさい。てか、怖い。
この甘ったるい空気の中で甘んじて呼吸する。
食べる速度だけ倍速して、さっさと居心地の悪い居間から退散した俺は、身支度を超速で済ませてまだ甘ったるい空気が流れる居間を駆け抜けると、
「いってくる」
とだけ言って、返事を待たずに走り出した。
「ふ〜う。たくっ、もう何歳だと思ってんだよ」
あの両親のやり取りも日常的なことだが、流石にあれに慣れる日が来るとは思わない。
薄い学校カバンを肩からかけてのんびりと歩く。
俺の家から学校までは遠くないし、通学路で待ち合わせているような友達、ましてや彼女もいない。
「ああ、普通最高。日常最強」
俺は流れていく雲を見ながら呟く。
今は春。高校二年に進学して、1ヶ月がちょうど過ぎた。
中間テストというものがあったが、赤点取らない程度に勉強もしてるし、どうでもいい。
ただ、一年のときに友達になれたクラスメートが一緒のクラスになれて、そいつとどんな日常を送るかということだけが俺の気にかけていることだ。
「そう言えば、あいつに借りたらのべを返さねぇとな」
友人がなにかと勧めてくるので借りたライトノベルを読み切ったのを思い出して、今日の朝はその感想をネタにしてだべろうか、なんて考えた。
そのらのべというのが、科学・超能力サイドと宗教・魔術サイドの対立が科学サイドの学園で繰り広げられ、特異な超能力を持った少年が巻き込まれていくというものだった。
らのべというものに根拠なく忌避感があった俺だったが、読んでいるうちにあっという間に引き込まれて、主人公が非力ながら危険も厭わず少女を助ける姿には胸を熱くしたりした。
その途中、部屋に突然入ってきた妹が、らのべを読む俺を見て今までで最高の嫌味を吐き捨てて帰っていったことに水をさされてしまったが、結局借りた一巻目をすぐに読み終わってしまった。
主人公補正の凄まじさに気後れする部分もあったけれど、概ね好印象だ。
「今日にでも、二巻目を借りようか。あいつならこれを見越して、持ってきてそうだな」
俺は続きを読むことに心を弾ませて、我知らずに軽い足取りで歩いた。
「きゃああああああ」
その時だった。
鬼気迫った悲鳴が耳に突き刺さった。
その方を見ると、大通りの真ん中で少女が一方を見たまま立ち竦んでいた。
その見ている方向に視線を走らせた俺の目に猛然と少女に向かって突き進むトラックが映った。
ブレーキが効かないのか、ブレーキ音もさせず、減速している様子もない。
「な、なんだ、これ…………こんなこと────」
日常じゃない。
俺の日常にこんなイベントが予定されているはずがない。
これは何かの悪夢だ。
こんな鮮明な夢なんか見たことないが、絶対に悪夢のはずだ。
俺は急激に時間の流れが遅くなってゆく世界の中で、現実逃避に走る。
トラックが少女の目前まで迫ってる。
少女が覚悟を決めたように身を固めた。
その姿に、脳内の俺が現実逃避する足を止めた。
今から、走れば間に合うか?
そして、思った。
思ってしまった、というべきかはわからない。
ここで、普通な人は何をするのだろうか?
何もせずに立ち尽くして少女が暴走するトラックの餌食になるのをただ見ているのだろうか?
それとも、命を落とすことも顧みずに身を挺して少女を救うのだろうか?
今の俺は答えに窮しただろうが、『この時の』俺は迷いもしなかった。
なぜかはわからない。
昨日読んだらのべの主人公に影響されたのだろうか?
もし、そうならば、日常を希求する俺の気持ちは案外それほど強くないのかもしれない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ‼︎‼︎‼︎」
迷いなくカバンを放り出して、俺は駆け出していた。
体育の成績、短距離走のタイムともども平凡の俺が必死になったところで、何が変わるというのかも疑問にも思わず、ただただがむしゃらに足を動かした。
ゆっくりな世界の中で、少女が叫び声に気付いて俺の方を見た。
その顔は驚愕に染まっていた。
その少女を勢いのままに押し飛ばした。勢いは十分だ。
飛んでゆく動きまでスローモーションで、少女の顔は驚愕から悲愴なものになっていた。
俺が、その顔を見て思ったことは、可愛い、だった。
平凡な俺にお似合いの平凡な感想だ。
それが、俺の最後の言葉になる────はずだった。