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17.そして事態は進んで行き



 生物など到底住めないであろう荒野。

 そこにはボロボロになった生物が倒れていた。四対八枚の翼をぐったりと地面に落とし、ほふく全身で前に進みながら「水……水……誰か、お水をぉ……」と掠れ声で叫ぶその人物。

 それは誰が見ようとも、元四天王の一人マジリカであった。いや、無論マジリカ本人はまだ自分が四天王だと思っているのであろう。


 ――転移魔法に失敗してから、既に数十日が経過した今日。魔力切れを起こしたマジリカは枯れ果てた荒野に一人転移してしまい、彷徨っている間にとうとう力尽き、それでも最後の力を振り絞って生きているのである。


 全てはあの人間のせいだ。あの人間に潰されてから、マジリカの人生は狂ってしまったのだ。お陰で焦りながら唱えた転移魔法は変なところへゲートを作ってしまったし……あれ、そうでなくても二回に一回はこんな感じだったかもしれない。

 などと孤独の時間を過ごしている内、容赦なく降り注ぐ太陽の光がマジリカの衰弱した肉体を焼く。もうこの翼で空を飛ぶ元気もなければ魔力も枯渇寸前。

 誰もこんな荒野に助けにきてくれる者は居ないし、そもそも通り掛かる者さえいない。いや仮に居たとしよう。

 ――こんなところに衰弱死寸前のマジリカがいる。


 それを見てまず助けるという思考が働くか? 否、モンスターが見れば当然餌と見なして襲ってくるだろうし、魔族は荒野に姿を見せることは普通ない。荒野を越えようとする旅人がマジリカを発見したら確実に殺してその首をどこかの国だかに持ち帰って王に差出し、たんまりと報酬を貰って豪遊生活を送るであろう。


 最早マジリカに未来など存在しないも同然であった。乾いた大地を忌々しげに爪で引っ掻き、少量の砂を握りしめては無意味に地へ還す。時々目眩がして気が狂いそうになると、こんな砂でも美味しいパンか何かに見えてくるのだ。

 ああ、お腹減った。ご飯食べたい。お水をお腹一杯飲みたい。


 だが状況は絶望的――そんなマジリカの前に現れたのは、人間族の少女だった。


「……あ、ああ……」


 終わった。マジリカの脳裏には“死”の一文字がずっと流れていた。ここまで弱ったところを人間に見つかればそれはもう、狩られる未来しかない。

 助けを求めたところで人間は好機としか考えず、笑顔で嗤いながら四天王であるマジリカの首を刎ねて持ち帰るだろう。

 だから、何を言っても無意味なのだ。


 それなのに。


「み、みず……のみたい……」


 マジリカは魔王軍の四天王という立場も矜持も忘れ、恥じすらも捨てて――少女に懇願した。その少女はマジリカに屈み込み、マジリカの伸ばした細い腕を――握り返した。


「ねぇ、変なお兄ちゃん、お肌が紫色だよ。大丈夫? お水が飲みたいの?」

「いや、肌の色は元から……」


 しかしマジリカは必死だった。相手が人間族なのにも関わらず、そんなことまで考える余裕はなかったのだ。

 それを、少女は。


「はい。お水! あんまりないから大切に飲んでね?」


 笑顔で水筒を手渡した。純粋無垢に笑う少女は、何の悪意もなくマジリカの手に水筒を持たせ、丁寧にも水筒の蓋を開けて口元まで誘導してくれる。

 それをごくごくと飲み干し、全部飲んでしまったところで少女の言っていたことを思い出し――同時に、自分が何をされたのか、この少女が人間だということも理解した。

 ただ水を飲んだだけだが理性を取り戻したマジリカは、その少女を数度見て目を見開く。


「どうして、我は……魔族、なのに」

「でも、お兄ちゃんは私を殺さないよ」

「――」


 マジリカの言葉を何だと思っているのか。少女はけらけらと笑い、水筒の蓋を閉めた。きゅっと音がして、水筒に栓がされる。


 マジリカはこの少女から、とても悲しい心を感じていた。人間族の臭いがぷんぷんする中に、それを押し潰してしまうほどの途方もない悲しみが溢れている。少女は魔族が怖くないのか。


「我が怖くないのか?」

「ううん、怖くないよ」

「魔族は人間の敵だ。嘘を吐け、お前は嘘を吐いている!」

「魔族は怖いよ。だって、魔族は私のお母さんも、お父さんも、殺しちゃったから。目の前で死んじゃったから。魔族は怖い。でも、お兄ちゃんは怖くない」

「貴様の言っていることは可笑しい。我は魔族だ、貴様の恐れる魔族だ。貴様の両親を殺した魔族だ。どうして、そんな我に水を」

「お兄ちゃん、お水飲まなかったら死んでた。そうしたら私、人殺しになっちゃう。人殺しは駄目って、何度も教えられたから」

「――誰に」

「……」


 空っぽの瞳はマジリカを見据え、漆黒の瞳はマジリカをじっと見つめる。そうして感情のない声で、少女は呟いた。


「人殺しに言われたの」


 そう聞いた瞬間。マジリカは背筋が凍った。それだけじゃない。これだけ暑かった荒野が嘘のように、寒い。全身から鳥肌が立つ。てっきり“親”と答えるものだとばかり、思っていた。そんな少女は、平気な顔でそんな残酷なことを答える。それがまるで当然かのように、あたかも自分で考えて自分で下した結論のように、紡ぐ。


「我は人じゃない、魔族だ。我が死んだところで貴様は人殺しにはならない」

「え……? お兄ちゃんは人だよ」

「貴様――」


 我を愚弄する気か。そう発しようとして、マジリカは口を開いたまま、止まってしまった。


「お兄ちゃんは私を心配しているから、人だよ」


 その言葉があまりにも純粋で。

 あまりにも中身がなくて。

 どうしようもなく、マジリカの心を突いていたから。


 マジリカは細った腕で人間臭い少女を抱く。無意識の内に、空っぽの少女を抱く。八枚の翼が太陽から隠すように少女を包み、マジリカは――水によって得た少量のエネルギーを、魔力として行使した。


「空間、天地万物の如し。繋ぎ止めるは地、行く先は源。我が身を映し、その地へ移せ――テレポーテーション」


 マジリカと少女の姿が、其処から消滅する。

 たったそれだけのことで――荒野には、静寂が訪れた。

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