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夏草之記  作者: 玖龍
第一章 椿編
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第六話

 文月の夕刻。暦上は秋であり、処暑を迎えたばかりである。


 京の、うだるような暑さは段々和らいできたとは言え、まだ充分に汗をかかせる。庭で素振りをしていた夏目は、緋色に染まりつつある西の空を仰いで額の汗をぬぐった。


 今日は目まぐるしい一日だった。

 こんなに疲れた日はいつぶりだろうか、と目を閉じる。瞼の裏に浮かび上がってきた、芳乃と椿の顔にまたふつふつと何かが沸き上がってくる。


 「……特務とは何だろうか」

 芳乃の言葉をしばらく考えてみたが、その断片すらも推測できなかった。

 自分に特務があると言われるとも思っていなかったが、まず何よりも驚きなのが、この忌むべき銀髪が何かの証であるらしいということだった。芳乃は、素質ある者の証だと述べた。その素質というものが椿のような『宿』を手に入れること、ならば夏目にもいずれ『宿』が具現するということなのか。はたまた、既にすぐ側にいるのかもしれない――――そう思うとうすら寒くなった。

 物事を深く考えすぎるのも悪い癖だ。そう理解しつつも考えざるを得なかった。


 夏目は大きく深呼吸すると、木刀を再び構え――――静かに下ろした。


 もやもやとしたまま鍛練をしてもあまり意味がない気がした。父は夏目に剣術の指南をするとき、冷静になれ、余計なことを考えるな、と言った。

 そのことを思いだし、夏目は今日は早めに夕方の鍛練を切り上げることにした。


 帰宅する前に一度、時氏の元を訪ねた。部屋の外から中の様子を伺うと、どうやら時氏はまだ仕事をしているようだった。



 六波羅は名目上、朝廷の監視をし、それまでの京都守護に代わって京都を警備する機関なのだが、実際は他にも任務がある。


 まずは西国の御家人の統制。


 源頼朝が平家一族を壇之浦で滅ぼすまでは、西国は平家の支配下にあった。その後、恭順を示す国もあったが、東国を拠点に活動し、かつ鎌倉に幕府を開いた頼朝とは大半の国が何かとそりがあわずにいたため、幕府も西国を支配下に入れるのには難儀した。

 だが、あの承久の乱により状況は一変した。

 朝廷側に味方した西国の武士や天皇家が保持していた数多くの荘園を幕府は没収、幕府が選んだ地頭をそこに送り込むことに成功し、ようやく西国を手中に収めたのだ。

 六波羅は、このように新しく支配下に入った西国の御家人たちをまとめる意味もあったのだ。



 もうひとつの重要な任務は、訴訟の処理だ。


 この時代、土地を巡る争いが絶えず、頻繁に訴訟が行われていたことで有名である。


 訴訟のときに対応していたのが、征夷大将軍であった源氏なのだが、実朝の暗殺により一族は断絶。代わりに対応したのが源頼朝の岳父一族の北条氏だ。そのため、六波羅にも己が一族の者を北方と南方にそれぞれ一名ずつ送り込むことにしたのだ。因みに、現在北条時氏が任命されている、六波羅探題北方には次期執権と目される人物が配属されるのか暗黙の了解で、実際、時氏は今の執権、北条泰時の長男である。



 時氏はどうやら立て込んでいる訴訟の処理に追われているらしく、忙しくしているようだ。一瞬、夏目は躊躇ったが、結局一言だけ声をかけることにした。


 「時氏様、夏目です。今日はもう下がらせていただきます」

 すると中から呻くような声が聞こえたあと、了解しました、という柔らかい声の返事が返ってきた。どうやら彼は伸びをしていたらしい。

 夏目は思わず口元を綻ばせると、徐に立ち上がった。



●○●○●○●○●○


 夏目の家は、六波羅から数分歩いた外れにあり、毎日ここから通っている。


 往来には市女笠姿の女性や直垂姿の男たちが足早に行き来している。



 ふと、夏目は往来の途中で足を止める――――そしてちらりと後方に目を向けた。

 そこには真っ白い水干に同じ色の指貫袴を身に纏った男が立っていた。その顔にはまるで作り物めいた表情を貼り付かせている。

 先程からどうやら後をつけられているようだった。夏目が歩く速度に合わせて、ひたひたと足音がついてくる。早足になれば向こうも早足に、逆に歩を緩めれば向こうもそれに従う――――つけられていることは明らかだった。

 夏目は軽く舌打ちして、突然走り始めた。後方からも地を蹴る音がした。

 何を目的に後をつけているのかは皆目検討もつかない。捕らえられても何も話すことはないがな、と心のなかで独白する。



 夏目は横路を見つけたので迷わず飛び込む。家路とは違うが致し方ない。家にいる家族に危害が加わってはいけないのでこうするしかない。後で帰り道に迷わないように、などと配慮は勿論できない。それでも後先構わず夏目はその道を走り続けた。

 再び後ろを振り返ると、驚くことにあの男もついてきていたのだ。

 息を乱さず、まっすぐ夏目だけを見据えている。最早狂気すら感じるほどの執着ぶりだ。

 正直なところ、夏目は簡単にまけると思っていた。京は見晴らしのいい道が多いが、入り組んでいるところも多い。横路を二、三曲がればすぐに後を追えなくなるのは必至のはずだった。



 「何なんだよ一体」

 少しも速度を緩めない男に恐怖を感じていたところ、すぐ隣で間の抜けた声がした。


 「あれはねぇ、夏目ちゃんを追いかけてるのよ」


 それは椿の声だった。彼女は地面を滑るようにして、夏目と並走していた。女人にしては健脚だな、などと場違いなことを考えてしまったが、はっとする。

 「つ、椿殿!?何をしているんだ。早く逃げろ」

 だが、夏目の心配をよそに椿はその場でくるくると回ってみせる。

 「何って夏目ちゃんを助けに来たのよ」

 にこりと微笑むと、椿はふわりと羽衣を後方へたなびかせる。


 すると不思議なことが起こった。


 羽衣が舞った場所から風が起こり、男の体がふわりと持ち上がる。そして、勢いよく地面に叩きつけられ、男はピクリとも動かなくなった。

 「な……」

 夏目が言葉を失い、狼狽えていたところ、椿は羽衣を回収に向かう。

 そして男の近くに落ちた羽衣を拾ったとき、椿の細い足首を、男の力強い腕が握る。

 すぐさま助太刀に向かおうとした夏目を手で制し、椿は男に向かって一言漏らす。

 「……往生際が悪いのよ。お前は主のもとへ帰れ」

 その言葉を聞いた男は、突然目を見張るとばらばらと音をたてて解けていった(・・・・・・)。正確な表現ではないかもしれないが、夏目は、男が金糸となって解けていくのをその目で見たのだ。金糸はそのまま彼方へと風に運ばれていき、消えた。


 ぽかんと、目の前の状況に見とれていた夏目に、椿が微笑む。

 「さぁ、急いで。まだ終わりじゃないわ」

 そして、彼女は夏目の手を取り再び走り始めた。

次回は5月22日午後8時に投稿です。


あと、第一話を微修正しました。

冒頭で『長らく続いた清和源氏と桓武平氏の争いが平定し約30年。』と書いていたのですが、壇之浦の戦いは1185年のことで、第一話(承久の乱)は1221年のことなので引き算したら36年。つまり四捨五入したら40年でした。ごめんなさい><そもそも歴史物なのに算用数字……(汗)その部分も漢数字に修正させていただきました。読みにくいとは思いますがそこは私のポリシーとして「歴史物では算用数字を使わない‼」というのがありますので、ご了承下さい。


では次回もよろしくお願いします。

第一章はあと三話です。夏目ちゃんと椿のゴタゴタにもう少しお付き合いいただけると嬉しいです(*^^*)

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