第五話
「……ほら、やっぱりな」
芳乃が夏目の髪を持ち上げたのを感じ、夏目ははっと顔を上げる。
隠しているのだから当然だが、出会ってすぐの人物にこの銀髪のことがばれたことはただの一度もない。更に、今日は動いていることの方が多いため、長い間髪を観察されたはずもない。見た目で人を判断するのはよろしくないことだが、粗相の多そうな芳乃にはばれない自信があった。
夏目は目を大きく見開くと、震えた声を出した。
「何故……?」
「んー……何故っていう質問の意味がよくわからないな。わかったものは仕方がないだろう?」
にこにことしたまま、髪を離さない芳乃の手を払いのけると、静かに立ち上がる。芳乃は未だひざまづいたままだから、見下ろす形となった。
「いつだ……いつ気づいた」
「さっき、かな」
芳乃も立ち上がる。
「椿にも言ったように、夏目には素質があるとわかっていたから、ずっと髪に注目していたんだ……銀髪がないかなってね。正直言うと、あの時お前がブンブン頭を振ってた時にちらりと見えたんだが確信が無くて……ようやく夏目が椿とじゃれてる時にはっきりと見えたから」
「別に私はその女人とじゃれ合った気はない。それに……素質ってなんだ」
立ち上がった芳乃の方へ一歩前進。今度は背の高い芳乃に少し見下ろされる形だ。だが、夏目は芳乃の目をきつく睨みつける――――とふと気づいた。芳乃の目が淡い金を抱えた黒色に戻っていた。睨む目つきを緩め、そのことについて訊ねようとした矢先――――
「それはねー私みたいな『宿』を持てるかってことよ」
夏目と芳乃の間に飛び込んできたのは、椿だった。夏目は思わず二、三歩下がる。
椿は逆に、そんな夏目の様子に笑みをこぼす。そして淑女らしく檜扇を口元で広げた。
「あなたは――――まだ『宿』を持ってないんでしょ」
「……」
「あくまでも私とは話をしてくれないのね、ひどい!!」
「『宿』、というのは……この椿のような人ならざる者のことだよ」
「人……ならざる者」
「そう、人ならざる者。でも悪霊とかではないんだ。また式とも違う。こいつらは基本自立式。俺たちの友であり、理解者ともなる」
「俺たち?」
その不可解な言葉にひっかかる。
椿が人ならざる者だと想定していたため、大した驚きはなかった。
寧ろ驚きなのは、夏目のことをまるで芳乃と同類項の人間だ、と彼が認識しているということだった。部屋の隅で泣き真似をしていじけている椿にも腹が立ったが、そんな認識をする芳乃にも不快感を募らせる。
「何故、私がお前と同類なのだ。大体――――銀髪、という点でしか共通項はない。性格も全く違うようだし、私にはその宿とか何とか言うものには全く縁がないな。……正直言って不愉快だ」
自分としては疎ましい存在であるこの銀髪。やっと同じ境遇の人間がいたと思ったのもつかの間、本当に自分とは馬が合わなさそうな人間とわかるとは。芳乃は決してあの銀髪に苦労したことが無いに違いない。銀髪について言及されるのが嫌だ、という自分の心情など理解できるはずがない、と夏目は唇をかむ。
「俺はこの銀髪いいと思うけどな」
ぼそっと芳乃は呟く。
「私はこの銀髪が嫌いだ……さぞかしいい思いしかしてないんだろうな」
夏目は思い切り芳乃を睨みつける。
だが、芳乃はそれをものとはせずに先を続ける。
「いい思いをしたわけじゃないが……この銀髪は特別な任務を負う者の証だから。かっこいいじゃないか」
「何……?特別な任務?何だそれは」
「そんなの夏目ちゃんには教えないからっ!!」
隅で泣き真似をしていたはずの椿がいつの間にか芳乃の背後に控えていた。その眼は赤くなっていたので、どうやら本当に泣いていたらしい。
だが夏目は気にしない。寧ろ重大なことを隠されていることの方が気になった。
「教えないとはなんだ」
「私ときちんと話してくれるなら言ってあげてもいいわよ」
「む」
「『む』じゃないわよ、この朴念仁!!」
「……」
思わず呆れたように嘆息した。
元々騒がしい女性は嫌いなのだ。妹はお転婆なところもあるが、風流を好む、適度に元気のよい女子だ。母も物静かで美しい方である。女性というものはそういうものなのだ、と思っている夏目にとっては椿はかしましい存在である。また芳乃も男にしてはかなり騒がしい、へいくわい者だと思う。夏目の理想とする父や時氏とはかけ離れた存在であることは間違いない。
時氏は同僚として面倒を見てやってほしい、と夏目にわざわざ教育係を任せてくれたのに、夏目にはもう限界が来そうだった。
「そうやって、人ならざる者とばかり付き合っているから、生きている者の心が推し量れんのだ。もう少し自重してはどうか」
夏目は普段はおとなしい人物という定評がある。あまり感情の起伏がなく、だが正直で親しみやすい、と。その性格は自分でも自覚していて、声を荒げることなど滅多になかった。
そんな夏目が声を荒げて、人を批判する――――芳乃は当然知らないことだが、それほど自分が頭に来ているということを理解してほしかったし、また自分がこんなにも怒っていること自体が夏目には驚きだった。
一呼吸置いた後、芳乃も嘆息する。
「お前だって人間の気持ちわからないくせに。変な奴」
「何」
「まあまあ。いずれ知るときが来るさ……俺たちの運命ってやつを。否が応でもその時は来るし、俺たちは命を賭して戦うことになるだろう……これは予言ではなく、運命だ」
「何を言ってるのかさっぱりだ……頭でも狂ったのではないか」
夏目はだんだん芳乃が心配になってくるほど、憐れに思った。先ほどの芳乃の言葉で共感できるところも、ピンとくる点も見当たらない。何を言っているのか、その意図さえ見つからなかった。
芳乃は静かに笑う。
「もうすぐ……そうだな、近いうちだ。近いうちに何かが起こるかも、ね」
黒に戻っていたはずの芳乃の目が再び金に光った。
「その時はよろしく頼むぜ」
芳乃はそう言い残すと、静かに部屋から出ていき、あとには芳乃の、真意を掴ませない謎の言動に困惑するしかない、しかめ面の夏目だけが残った。
次回は5月15日午後8時の投稿です。
次回もよろしくお願いします。