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夏草之記  作者: 玖龍
第九章 鴉編
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第百二十三話

投稿が遅れてすみません。見事に風邪を引いてダウンしていました。皆様は大丈夫でしょうか。今回は少々長くなっていますがご容赦ください。

 「そのような者は屋敷にはおりませんよ、姫様」

 相模はいたく真面目な顔をしていた。息を吸うように嘘をついているのか、はたまたこれは真実なのか、それは白菊にはわからない。主人である瑠璃子の目をまっすぐと見つめ、まったく表情を崩さない。有無を言わさぬ無言の圧に瑠璃子は少したじろいだが、きつい目でにらみ返す。

 「僕に嘘をつくのか」

 「何故、嘘とおっしゃいますか。姫様は相模のことを信じてはくださらないのですか」

 「では隠し事をしているだろう。昨日、来客があったな。何故僕に報告しない?父上や兄がいない以上、今は僕がこの家の主のはずだが」

 さすがに、この言葉には相模もぴくりと眉を動かす。だが、慌てることなく軽く頭を下げた。

 「申し訳ございません。確かに来客はありましたが物忌みのため断らせていただきました。わざわざ姫様の御手をわずらわせることもないですから申し上げなかっただけで」

 相模の言葉は道理だ。事実、物忌みもしているし、深夜の来客を断ったのならわざわざ幼い姫にも知らせる必要はない。

 だが、相模が正しいならば玻璃が見たという人物は誰なのだろうか。

 ――怖い目をした男。白菊に思い当たるのはただひとりしかいないが、それは絶対にあり得ないという確信があった。あの男(・・・)ならばこそこそと隠れて何かを仕掛けたりはしてこない。目の前に来て、ずたずたに引き裂いていく。そして悪びれることなく笑うはずだ。ああ、ごめんなさいね、と。千景は、白菊が今まで見てきたなかでも特に暗い色をした目をしているが、彼ならばこんなまわりくどいことはしないはずだ。

 「そも……何故そのようなことをおっしゃるのです?来客の折の騒ぎで姫様のお休みを邪魔してしまったのならば伏して謝りますが……男をお見かけしたのですか?まさか、その者の入れ知恵ですか?」

 そう言って相模は白菊を見据える。男を見たのは玻璃だけだ。だが、相模には玻璃が見えない。見えない以上、玻璃の名を出しても理解してもらえないだろうし、白菊を真っ先に疑うのも致し方がない。違うと否定してみたところでそれ以上の説明の仕様もなく、どうしたものかと考えていると、瑠璃子は大きく舌打ちをした。

 「白菊は関係ない。滅多なことを言うな」

 「……ずいぶんその白拍子をかばうのですね」

 深いため息。そしてしばらくの間。苛立つ瑠璃子と凪いだ相模の視線はぶつかりあったまま、沈黙が続く。部屋の隅でおとなしく瑠璃子を見守る玻璃は今にも泣き出しそうだ。仕方がないので、白菊は恐る恐る相模に声をかける。

 「姫様とご一緒に屋敷中を見て回れば良いのではないでしょうか。このままでは埒があきません。屋敷中を見て回って、何もなければ姫様もご安心なさいますでしょうし」

 「……そうだな。それがよい。このままでは堂々巡りだ。姫様が不安を抱えておられるのはこちらとしても看過できるものではない……姫様もそれでよろしいですね?」

 白菊の提案に珍しく相模も乗る。瑠璃子も早速立ち上がり、誰よりも先に部屋を出る。白菊は最後だった。その際、玻璃を手招きする。現状、謎の男の姿を見たのは彼だけだ。連れて行くほうがよいだろう。玻璃もそれに応え、白菊の着物にぴたりとひっついてくる。白菊はくすりと笑い、頭を撫でてやるとそのまま相模の後をついていった。


 結果だけを言うと、何もなかった。相模の言葉が正しかったのだ。どこを巡っても出逢うのは女房と、下働きの者だけ。みな、瑠璃子の姿を見ると一様にうやうやしく頭を下げる。それにつれて、瑠璃子の顔は段々と曇っていく。端々まで見て回った後、相模はくるりと振り返った。

 「どうです、姫様?何もなかったでしょう?」

 その顔に浮かんだ笑顔は、満足そうなものでも、勝ち誇ったようなものでもなかった。まるで、瑠璃子のことを慈しむような、優しいもの。目の前のものが可愛くて仕方がない、というような笑みだった。

 ――でも、目が笑ってないわよ

 いびつだ。底を覗けばひどく不快だ。なんとなく白菊は目をそらす。そして、瑠璃子もまた震えていた。

 「……みんな、嘘つきじゃないか」

 「嘘ではございません。姫様もご覧になったでしょう?悪い夢でも見たのです。おかわいそうに、夢とうつつを混同されて」

 相模は瑠璃子に手を伸ばす。指の先まで母親のようだ。だが、触れようとした瞬間、瑠璃子は力なくそれを払いのけた。

 「……もういい。帰る」

 顔から表情の抜けた瑠璃子は、ひとりでその場から立ち去る。玻璃が慌てて飛び出そうとするが、それを冷めた目で制し、そのまますたすたと去って行く。びくりとした玻璃は白菊の着物を掴む手にますます力を込めた。

 相模はその後ろ姿を追いかけることなく見送ると、ふぅとため息をついた。

 「……姫様に何を吹き込んだのかは知らぬし、今更問うこともせぬ。だが……あまり他家のことに首を突っ込まぬように」

 「どういうことでしょう?」

 首を突っ込む、という表現に引っかかった。やはり、瑠璃子には言えない、何かを隠しているのではないか。それに、いつものように邪険に扱うのではなく、忠告とも受け取れるようなことを言ったのだ。違和感を覚えずにはいられなかった。だが、白菊の警戒は杞憂に終わった。相模はやれやれ、とでも言うようにため息をつく。

 「何を目的にこの屋敷にいるのかは知らぬがいずれは出て行くのであろう?私としては今すぐにでも出て行ってほしいが……あまり姫様と関わると別れがつらくなるであろう」

 「それは……」

 そうだ。緋雨がいないとわかればここを出ていかなければならない。どこにいるかもわからないが、ここまで来れば後には引けない。少なくとも緋雨が見つかるまでは、葉月の元には帰らないと決めたのだ。この次は千景の懐へ、最悪の事態を覚悟して飛び込むつもりでいた。その際に、あの傲慢でいて、なお可愛らしい瑠璃子の存在が気になるかどうか。それはまだわからなかった。だが、突然やってきた不審者にああも懐いてくれることには悪い気はしない。何かをためらってしまう原因には充分なり得るだろう。

 「姫様が誰かに情を持つのは珍しい。最近は無気力に過ごされることが多く、我々も心配していた。そなたが来てからは、以前のように好奇心にあふれ、活き活きとしたお姿を見ることができて喜ばしいことは確かだ。だからと言って、そなたにここに残ってほしいとはつゆとも思わぬ。これ以上そなたにのめり込んでしまえば姫様も別れが辛くなるだろう。姫様が苦しむ顔を私は見たくはないのだ」

 「……では速やかに私は去るといたしましょう。なに、一時のことです。高貴な方々が哀れな白拍子に興味を抱いてくださるのは。何か代わりが見つかればすぐに飽きられ、放り出されるでしょう。相模様のご心配には及びませんよ」

 そう言って白菊は一礼し、その場を後にした。

 瑠璃子の部屋への帰り際、玻璃が袖を引っ張った。そこは屋敷のさらに奥へと進む道だった。

 「ここにいたの」

 「……目の怖い人?」

 玻璃は小さく頷く。白菊は周囲に誰もいないことを確認すると、玻璃を伴ってその道へと進んでいった。そこは相模たちと軽く確認した場所で、いくつかの部屋と行き止まりの壁があるところだった。部屋はこの屋敷の真の主――瑠璃子の父と兄の部屋で、白菊は立ち入ることを許されなかった。だが、部屋から出てくる瑠璃子の顔を見れば、そこには何もなかったことなど瞭然だった。そして残るは壁。どこにも隠れる場所などない。では玻璃が見たという男は一体、どこにいるのだろうか。

 もしかすると、既に屋敷を後にしているのかもしれない。だが、それを確認する術を白菊は持っていなかった。

 「帰りましょうか」

 仕方がないがそうするより他はない。安心させるように白菊は微笑んで見せる。玻璃は未練があるようで、男を見たという場所をじっと見ていたが、やがて諦めたようにうつむいた。そして白菊の手をぎゅっと握ってくる。

 その懐かしい感覚に白菊の心はちくりと痛んだ。


 部屋に帰ると、瑠璃子は部屋に転がっていた。転がって、窓の外に広がる灰色の空をぼんやりと眺めていたのだ。

 何となく声をかけることがためらわれ、白菊は部屋の隅に黙って座っていた。夕餉が運ばれてくると、瑠璃子はのそりと体を起こし、億劫そうに口に運ぶ。そして膳が下げられるとまたごろりと横になった。

 「体がだるいの?」

 そう訊ねたが返事はなかった。そのまま時間になると床に就く。まるで人形のように、女房たちのなすがままになっていた。


 そんな調子が数日続いた夜。

 さすがにこのままではまずいと思い、白菊は床に就く前の瑠璃子を誘って庭の散歩に出た。最初は顔を思い切りしかめて瑠璃子は拒否したが、白菊と玻璃がどうしても、と何度もしつこく言うので仕方なくその後ろをついてきてくれた。

 「散歩などしてどこへ行くのだ」

 「障りで体がしんどくても動かなきゃだめよ。それにもう終わったでしょう?まだ夜風は寒いけれど、少し外に出て星でも見ましょう」

 今晩は月がひと際大きく、明るく見える日だった。冬はより空気が澄み、空が近く見える。

 「鼓星が綺麗ね」

 「別に。寒いから帰る。僕が風邪でも引いたら相模に怒られるんじゃないのか」

 「怒られるで済めばいいけどね」

 寒そうに体を震わす瑠璃子に、白菊は自身の羽織っていた上衣をかける。庭を一周して体を少し温めたあと、ふたりは屋敷へと帰ろうとした。


 「こんばんは、おひいさん」

 ひらりと庭に降り立った男の目は深い藍色。月光を受けてわずかに輝いて見える髪に見覚えはなかったが、白菊はこの男が誰か悟ってしまった。

 「誰ぞ」

 瑠璃子は身構えて低い声で問うが、男はへらへらと笑って受け流す。

 「ややわぁ、女の子がそんな顔するもんやあらへんよ。それに初めましてやないんやから……いや、顔を合わせるのは初めてやな」

 「……あなたが鴉、ね」

 男――鴉はにっと白い歯を見せて笑った。


次回は11月3日投稿です。次回もよろしくお願いします。

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