第百二話
投稿が遅れましたことをお詫びいたします。
それからの日々は穏やかに過ぎていった。
道忠の愛想のなさは相変わらずだったし、それを支える桜桃の様子も実にのんびりとしたものだった。あの日のように、静かだが確かな強い感情を覗かせることもなかった。それが逆に何を考えているのかわからないという不気味さを感じさせたが、特段何も起きることはなく、ただいたずらに日が過ぎていったような気がする。
だが、変化が本当になかったわけではない。
いよいよ年が変わろうかという日。道忠が不意に家族の話をした。芳乃に、正月まで居座る気か、といつものようにいらいらした様子で言ったのだった。
「正月ぐらい家族で過ごしたらどうなんだ。まぁ、要するに帰れということなんだが」
その問いに芳乃は舌を出した。
「こっちで年越ししてこいって言われてるからな」
「意地でも帰らんということか。結構なことだ。六波羅は暇なんだな」
そう毒づくと、道忠はぼおっと子供たちが遊んでいる様子を眺めていた。いつも飽かずにこうやっている。口には出さないが、本当に子供が好きなんだな、と芳乃は意外に思っていた。そういえば、時氏や旭曰く、彼は京から飛び出してきたんだったな、と思う。そこでの経験が彼をそうさせているのかもしれない。
「道忠は家族いるんじゃないのか」
そう訊くとあからさまに険しい顔になった。
「知らん。もう会わないと決めたんだ。そうでないとこんな西国くんだりまで来るか」
けんもほろろ、といった様子だが、芳乃は少しだけ食い下がってみることにした。
「この間、あの子たちには自分のようになって欲しくない、って言ってたよな。それってどういう意味なんだ?」
道忠はじっと芳乃を見る。相変わらず、変なものを見るような目をしている。だが、不意に目をそらした。
「……あんたは、寂しいという気持ちを知っているか」
無表情で、淡々とした声音だった。
「あの子たちに『寂しい』と言われた。俺も子供の頃、今思えばあれは寂しいと感じていたんだろうな、という感覚がある。この性格は多分、寂しいという感情が影響しているんだ。どれも突き詰めてみればそこに行き着くだけなんだがな。だから、ああやって子供が笑っているのを見ると安心する。あいつらは寂しくはないんだな、って」
「……道忠は寂しかったのか」
「よくわからん。父はいつも家にいなかったし、母はそんな父を恋しがっていた。俺はどうすればいいかわからなくてずっと本を読んでいて、気づいたらこんな醒めた性格になっていた。自分でも驚いたよ。何でも意味のない、灰色なものに見えるんだからな」
ここまで言って、突然はっとする。余計なことを言ってしまった、と顔色が少し赤くなっていた。芳乃はそれを見てふふ、と笑みを漏らす。すると険しい表情で芳乃を睨みつけた。
「やっぱり何となく、夏目に似ている気がする」
「……その夏目、というのがあんたが助けたいという友人か」
芳乃は頷く。
「あいつも寂しさを抱えていたんだと思う。なかなか難儀な奴だったが、今では俺たちは立派な友人だ。じいさんになっても俺は友人でありたいと思っている」
「なんとまぁ……」
道忠は呆れたような声を漏らす。だが、不思議と前のようにむっとすることはなかった。その横顔を芳乃は微笑ましく思いながら見ていた。そして視線をあげると、にっこり笑いながらこちらを伺っている桜桃の姿が見えた。彼女もこちらに気づくと、一礼してにこにこしながら去って行く。道忠が気づいていればまた激怒ものだろう。ははっと安堵ともつかぬ声を漏らすと、じろっと道忠がこちらを見てきた。そしてしばらく考えた後、もうひとつため息をつく。
「前にも言ったがあれはやれん。俺にも矜持というものがある。人は死ぬときは死ぬし、それを妨げられるのは天しかいない。俺は助けてはやれない」
「……お前にしか治せなくても?」
そう言うと、彼は苦い顔をする。
「助けるのは俺じゃない。何かよくわからない力だ。俺はあれを使うつもりはない……それに薬だけ渡して放るのは医師のすることじゃない。京には行かない。だからな、諦めてくれ」
「諦められない。諦めるなんて柄じゃないし、そんなことしたら時氏様に叩き斬られそうだ」
しばしの間、沈黙が場を支配する。不意に道忠は立ち上がった。そのときもまたため息をついていた。
「どっちが先に音を上げるかだな。俺を説得してみせろ。そうしたら……考えてやらなくもない」
「……ずっと思ってたけど、なんでそんなに偉そうなんだ?」
「……」
道忠は芳乃の素朴な疑問には答えず、若干顔を赤くしたまま部屋を出て行った。
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無事に年も明けた、ある日のこと。年が明けても人々の暮らしは変わらない。仰々しい儀式をしたり、正月だからといってのんびりすることもない。ただ、いつものように、自分たちの暮らしを守り続けていくだけだ。それは道忠や子供たちも同じで、相変わらずここに集まっては日がな一日のどかに過ごしている。怪我をした子供がいれば道忠が手当てをしてやるし、逆に子供たちが道忠を遊びに連れ出す。芳乃にも慣れた子もおり、一緒に魚釣りに行ってみんなで楽しく過ごしていた。
そんなある日、椿が帰ってきた。彼女はかなり疲労困憊のようでへろへろだった。それもそうだろう。単純に考えると往復だけで十六日かかるのだ。用事を言いつけてあったので本来ならばそれ以上の日がかかってもいいはずだ。それを椿は一週間ほどでやりとげたのだ。人ならざるもの故の所行だった。
そんな椿の様子を見て、顔をしかめていた道忠だが、その後ろにあるものを見て、ぎょっとしていた。
「……説得しろとは言ったが」
そう言った瞬間、芳乃の上体が激しく揺れた。思い切り蹴られたのだ。もちろん、芳乃は何も言えず、道忠も絶句している。芳乃を助ける気力もないようで、椿は黙ってその様子を見ていた。むしろ、小さく拍手している。
「……落とし前つけてもらいましょうか」
怒気をはらみ、またそれを隠そうともしない声だった。芳乃は蹴られた背中を押さえながら、恐ろしいものを見るような目でその声の主を見る。
「……怒ってるのか、ななり?」
その言葉に、ななりはすっと目を細め、再び蹴りをいれようと構える。今度は芳乃ではなく道忠がひっと息を呑んだ。
「京にもこのような女子がいたとは……」
思わず漏れた声にななりが振り向くと、道忠は慌てて目をそらす。さりげなく桜桃を呼んでいた。だが、彼女はその命に従わない。なぜなら、ななりの『宿』である風早と話していたからだった。
「桜桃様は相変わらずお綺麗で」
「そんな思ってもないことを言うものではありませんよ、風早」
風早は見たことがないくらいの眩しい笑顔だし、桜桃は満更でもない様子でにこにこと話している。道忠はその様子を見て唖然としていた。そうこうしているうちに、ななりがつかつかと道忠のもとへと歩いてきた。芳乃のときのような威勢の良さはどこにもなく、半分体を引いていつでも逃げられるように構えているほどだった。ななりはじぃっと道忠を見つめる。
「な、なんだ……?」
「あなたが菅野道忠って方かしら?」
道忠は頷かざるを得なかった。
「何か用かしら」
「……え」
「だって私は芳乃にここに呼ばれてきたの。本当は鎌倉に帰るところだったのに。何か用かしら」
「……俺は一言もそんなことを言った覚えは」
「おい、芳乃。ここに座れ」
道忠がしどろもどろになりながら答えたが、言い終わるのを待たずにななりは芳乃の元に帰っていく。芳乃は悲鳴をあげて逃げはじめた。もちろん椿からの助け船はない。
「……助けてくれ」
呆然としたまま立ち尽くす道忠であった。
次回は4月21日午後8時投稿です。次回もよろしくお願いします。