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夏草之記  作者: 玖龍
第八章 桜桃編
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第百一話

 翌日、目の前に現れた芳乃の姿を見た道忠の顔は、すべてが滅び去った世を眺めているかのような表情を浮かべていた。

 「……帰れと言っただろう」

 ようやくそれだけを絞り出したが、芳乃はまったく意に介していなかった。

 「このまま引き下がるわけないだろ。親父に殴られる」

 「……昨日、女がいただろう。そいつの姿が見えないが」

 「心配しなくてもすぐに戻るさ」

 芳乃がにっと笑うと、盛大な舌打ちが返ってきた。道忠は話にならないとでも言うように頭を振ると、建物のなかへと入っていった。その後ろから芳乃がついていくと、鬼の形相で振り返る。

 「ついてくるな」

 「いやぁ……俺も世話になるわけだから何か手伝おうかと」

 「お前に手伝ってもらうほど落ちぶれてない!!」

 むきになって吠える道忠の肩にそっと手が添えられた。見ると、それは桜桃だった。彼女はにっこりと楽しそうに笑っていた。

 「道忠、元気そうね」

 「元気じゃない。さっさとこいつをどうにかしろ。目障りだ」

 「でも手伝ってくれるって言ってるんでしょう?せっかくだしそうしてもらえばいいじゃない」

 納得がいってないのか、道忠はますます顔をしかめる。芳乃には頼りたくない、という気持ちが顔にありありと現れていた。むっとしたまま芳乃を睨む道忠を見て、桜桃はため息をついた。

 「うちは備蓄が少ないからあなたを養うほどの余裕はないのよ。自分のことは自分でしてね」

 何も言おうとしない道忠の代わりに桜桃が芳乃に指示する。それもそうだろう。道忠が拠点にしているこの場所の周辺には申し訳程度の畑があるだけだった。それも見るからに痩せている土地だ。冬と言うこともあるだろうが、ほとんど機能していないように見受けられた。

 「他に土地はないのか」

 芳乃があたりを見回すと、桜桃があっけらかんとした様子で答えた。

 「あるけど人手が足りないのよねぇ」

 「余計なことを言うな!」

 それにまたしても吠える。そうカリカリしている方が体に悪そうだ、と芳乃は心の中で思うが口には出さない。自分が火種であることはわかっているのでここらでおとなしくこの場を去ることにした。大きな川があるのでそこで釣りでもしようと思ったのだ。それに太宰府がどのような様子なのかを見て回りたいとも思っていた。西国から税が届かず困っている、というような鎌倉の懐事情など芳乃には知ったことではないが、それでも泰時や時氏が来ることが出来ない西国の様子を少しでも伝えることが臣下のつとめであろうと考えている。せっかくここまで来たのだから、少しは何かの役に立ちたかった。

 道忠は、去って行く芳乃の後ろ姿を忌々しいものを見るような顔で見ていた。だが、不意に表情をいつもの醒めたようなものに戻すと、自身も反対方向へと歩を進めた。




●○●○●○●○●○




 釣りの成果はまあまあというところだった。地元の漁師にどう調理したらいいかを訊ねると、明らかに余所者の芳乃に丁寧に教えてくれた。それを実践すべく太宰府へ帰った。釣果を見ると、子供にも分けてやれるぐらいはあるはずだ。芳乃は鼻歌混じりに戻ったが、すぐに足を止める。帰って来た太宰府に何か違和感を感じたからだ。出かける前とは何かが違う。不安を生み出しているものが何かはわからなかったが、心が騒いでならなかったのだ。慌てて芳乃は道忠を探し始める。彼が寝場所として使っている建物を覗くと、そこには痛ましい姿で壁にもたれている道忠がいた。

 「どうした!?何があった」

 だが、道忠はそっけなかった。じろっと芳乃を見ると、何もない、とただそれだけを呟いた。芳乃が中へ入ろうとすると、例のごとくすごい剣幕で怒鳴った。

 「入るな!!お前には関係ない!!帰れ!!」

 喋ると頬が痛いのか、すぐに顔をひきつらせる。丁寧にとかしてあったはずの髪は乱れ、服から覗く肌はところどころ青くなっている。顔も殴られたようで赤くなっていた。

 「人がそんな風なのに見て見ぬふりなんかできねぇよ」

 「放っておいてくれ。邪魔だ」

 よろよろと立ち上がると、髪を手ぐしでとかす。そして、大きなため息をひとつつくと、ぶつくさ言いながら荒れた部屋を片付けはじめた。

 「手伝う」

 「物の場所が変わるのが嫌だから触るな」

 相変わらずの素っ気なさに芳乃も苦言を呈したくなるものだ。聞こえるか聞こえないかぐらいの声で嫌みを呟く。

 「夏目でももう少し可愛げがあったのに」

 「別に俺はお前に気に入られようとは思ってない。中央のやつは嫌いだ。だから干渉しないでいてくれる方がありがたい」

 そもそも、と道忠は片付ける手を止めた。

 「気づいたときからこういう性格だ。気に障ろうが何だろうが、変えることは出来ない」

 「でも子供が懐いてる」

 「それは俺がそう仕向けたことじゃない……でも、あの子たちには俺のようにはなって欲しくない。だから求められたらそれに応えているだけだ」

 その発言に芳乃はひとり首を傾げた。どういう意味なのかはわからなかったが、ほんの少しだけ彼の心の内を知ることができた気がした。芳乃は小さく微笑む。


 「道忠」

 そこにやって来たのは桜桃だった。音もなく部屋へと入ってきた彼女は、痛々しい跡の残る主の頬にそっと触れた。

 「また(・・)やられたの?」

 「また?」

 芳乃が声をあげると、道忠がじろっと睨む。黙っていろ、とでも言いたげな目だった。そして桜桃にも目をやる。失言だ、と非難しているようだった。だが、彼女は慣れたようにその視線をかわす。そして柔らかく微笑んだ。

 「あの子たちが呼んでるわよ。道忠先生って」

 ほんの一瞬だけ表情が緩んだ。道忠は頷くと、部屋を出て行く。だが、去り際に桜桃に釘を刺した。

 「余計なことは言わなくていいからな」

 はいはい、と生返事をする桜桃に、彼はむっとしていたが、先生と呼ぶ声に負けて、今度こそ出て行った。


 「また、って何だ?こういうことは頻繁にあるのか?」

 芳乃はそう訊ねたが、さすがに簡単には答えてくれなかった。桜桃はただ笑って誤魔化すだけだった。だが芳乃も簡単には引き下がらない。

 「何かできることがあれば」

 「残念だけど、何もないわよ」

 笑っていた。だが、声は冷たかった。うっすらと開いたまぶたの奥から主人と同じような、感情の浮かばない黒い瞳が覗く。

 「幕府が西国を切り捨てられないのは経済基盤を失うのが怖いから。だから武力で解決しようとしない。手をこまねいて、ただ小さくはぜる火種たちを眺めては潰し、消してはまた燃やすのね」

 「……何?」

 「大きな火事にならないといいわね」

 あはは、と笑うと芳乃が道ばたに置いてきた釣果を掲げて見せた。

 「上出来じゃない。釣りはたしなむの?」

 「……鎌倉にいたころは」

 桜桃の唐突な変わりように戸惑いながらも、芳乃は何とかそれだけを答えた。そう、とだけ彼女は答える。

 「私が焼いてあげるわ。その代わり、みんなにもわけてあげてね」

 「ちょっと待ってくれ!さっきのは何だったんだ!?」

 釣果を持ったまま出て行こうとした桜桃を引き留める。彼女はきょとんとした顔をしていた。芳乃が何を言いたいのかわからない、いや、彼女はわからないふりをしているだけだ。芳乃は、大きくひとつ呼吸をすると、絞り出すように言葉を紡ぐ。

 「あんたは俺を下関まで迎えに来て、ここまで連れてきてくれた。そしていくつか言葉を残した。その態度を俺は『道忠をひとりにしないでくれ』と受け取った。これは違うのか」

 桜桃は綺麗に首を傾げる。ふわりと春の匂いがした。

 「俺は何度も言っているように『龍の鱗』を求めてここまで来た。それは俺の大事な仲間を助けるためだ。あいつは俺の友達だ。こんなところで死んで欲しくない。どうしても助けたいんだ」

 「それは(・・・)その方の(・・・・)望みですか(・・・・・)?」

 抑揚のない声でそう言われる。思いがけない反応に芳乃は言葉が詰まる。それを見て、更に桜桃は笑みを深める。

 「友、と思っているのはあなただけかも知れませんよ。その方は今すぐに死にたいと思っているかも知れませんよ」

 「そんな」

 「はずはないと誰が言えましょう」

 芳乃はかぶりを振った。そんなはずはない。夏目は確かに言った。芳乃と共に役目を果たす、と。友と思ってくれているからこそ、そう言ったに違いないと思っていた。それは確信に近いものだった。わだかまりがある時期も確かにあった。父のこともある。だが、夏目は関係ないと言ったはずだ。それに彼が死にたいと思うはずがない。彼には沙羅がいる。そして何より、家族がいる。彼らを残して夏目が死に急ぐはずはない。

 黙ったままの芳乃に桜桃はささやいた。

 「一切は夢幻。想像の中なら皆幸せです」

 「違う」

 「道忠が中央の方々が嫌いなのはその夢幻を彼らが追い求めているからです」

 何が言いたいのかわからない、と目で訴える。桜桃はもう芳乃を見ていなかった。

 「そして嫌いだと言い続けるのには理由があります……そう自分に言い続けないと道忠は生きていけないからです」


 ――あれは仕方のないこと。そう自分に言い聞かせ続けてきた


 夏目がそんなことを言っていたのを思い出した。やはり、道忠と夏目は似ているかもしれない。そう芳乃は思った。

次回は4月11日午後8時投稿です。次回もよろしくお願いします。

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