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夏草之記  作者: 玖龍
第八章 桜桃編
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第九十九話

 芳乃が太宰府へとたどり着いたのは、六波羅を発ってから六日目のことだった。陸地は風早から借りた馬で駆けることは出来たが、海だけはその手が使えない。下関から門司へと渡るために船を使わなければならなかった。しかし、ここでも困ったことが起きていた。

 元々西国が平家寄りであることは何度も述べたが、鎌倉から遠のけば遠のくほどその性質が強い。門司有する九州も、もちろん源平合戦では平家方であったし、承久の乱でも朝廷側についたほどだ。それほど源氏に対する抵抗感が強く、後に九州一帯を治めるになる島津氏や大友氏は元々は頼朝に重用されていた関東の武士である。彼らは源平合戦での働きを認められ、守護に任じられたが、一族が各地に移住するのはもっと後のことである。このように、表面上は源氏の武士を配してはいるがその実情は幕府の意向をあまり反映していないものとなっており、現在(一二二九年)でも住民たちは目と鼻の先の壇ノ浦に消えた平家に心を寄せている。

 こういう事情からちょっとした小競り合いもよく起こっている。平家の残党も多く逃れてきているらしく、よく平家の名を使って蜂起が起きているのだ。そのため九州から徴収されるはずの税などが関東まで届かないこともしばしばで、これには鎌倉の執権、北条泰時もほとほと困り果てている様子だった。


 そんな状況下で、芳乃が門司に渡るのは容易ではなかった。六波羅から来たと知られたら面倒なことになるかもしれない。馬もあることだし困ったなぁ、と港場でぼんやりしていたら、ひとりの女に声をかけられた。

 見ると、薄い浅黄色の衣を被いた女人だった。彼女は衣をあげ顔を見せると、にこりと微笑んだ。その綺麗な顔立ちに、椿も芳乃の横で小さく歓声をあげる。

 「六波羅の方ですね?」

 「……あんたは?」

 「太宰府から」

 それだけを言うと、彼女はくるりときびすを返した。ついてきてください、と一言だけ言うと、そのまま歩いていく。

 「……あの人、太宰府の」

 椿の言葉に芳乃は頷いた。彼女は紛れもなく太宰府の『司』に仕えるもの。これから何をされるのか不安に思いつつも、芳乃たちはついて行くしかなかった。


 人がごった返す港で、彼女は一艘の船の主に声をかけた。

 「この人と乗せてくださいな」

 船主の男は彼女と顔見知りらしく、すぐににこやかな表情になったが、後ろにいる芳乃を目にするとその和やかな表情も一瞬で消え去った。

 「この兄さんは」

 「先生の知り合いよ。最近人手が足りなくて、お手伝いに来てもらったの」

 先生、という言葉に芳乃は首を傾げる。頑固者だと言われる太宰府の『司』は一体何者なのだろうか、と不安は増すばかりだ。彼女が方便を使って芳乃が怪しまれないように太宰府まで連れていってくれるということしかわからないが、それに乗るしかなかった。

 船主の男は彼女の言葉を信じたようだ。芳乃を一瞥すると、船に乗るよう、顎で指示する。

 「先生に知り合いがいるなんて意外だが手伝いなら仕方ない。せいぜい頑張るんだな」

 「先生だって知り合いのひとりふたりはいるわよ。人付き合いが苦手なだけで本当は色んな人とお友だちになりたいと思ってるのよ」

 「あんな仏頂面してるのにかぁ?まぁ子供が好きなのはわかるけどよ」

 ふたりのそんな話を黙って聞きながら、芳乃は少しでも情報を得ようとしていた。だが、整理しようとする度に男に話しかけられ、こちらもあれこれ探られる。ちらりと女を見ると、彼女は話を合わせろと目配せしてくる。芳乃はそれに従い、自分が六波羅の人間であることを気取られないように当たり障りのないことを口にした。

 先生と呼ばていること。理由はどうあれひとりで活動していること。周囲から慕われているようだが、本人は人付き合いが悪く、基本的には仏頂面で通すということ。わかったのはたったこれだけだった。だが、最後の点だけは何となく夏目に似ていると思い、少し頬が緩んだ。

 そうこうしているうちに、船は門司へと着いた。乗り込むときに賃金は払っているため、芳乃は船主に挨拶をするとそのまま女について下船した。


 その日は門司で休息を取り、翌日から太宰府を目指すことにした。門司から太宰府まで、普段なら三日ほどかかるのだが、強行して二日近くでたどり着いた。着いた頃には芳乃はへろへろだったが、女の方は何でもないようにけろっとしていた。地面に転がる芳乃を介抱しながら椿がぶつぶつ文句を言っているが、彼女は全然気にしている風もなかった。


 「六波羅からわざわざいらして何の用です……と言いたいところですが、目的はアレ(・・)でしょう?」

 彼女はにっこり笑った。

 「……あなたは『龍の鱗』を守る『司』に仕える方とお見受けしますが」

 ようやく体勢を起こし、地面に正座した芳乃が問うと、彼女はゆっくりと頷いた。

 「いかにも。私の名は桜桃(ゆすら)と申します」

 「目的がわかっているのなら話が早い。『司』殿にお会いしたい」

 頑固者で説得が困難、と旭をして言わしめた男の『宿』がこうして下関まで迎えに来てくれて太宰府まで連れてきてくれたのだ。脈はある、と芳乃は読んでいた。

 だが、桜桃の反応は芳しくなかった。苦笑いをして、その場から動かない。

 「道忠(みちただ)はあなたがたのご期待にはそえませんよ」

 「俺の友達を助けるために『龍の鱗』が必要だ。早く助けてやらないと」

 「でも道忠はその方と友達ではないので助ける義理はないかと……それでもお会いしますか」

 芳乃は頷く。そのために来たのだから頷く以外に選択肢はなかった。時間がかかるのはもとより承知のこと。覚悟の上だった。というよりここまで来たのに帰るわけにはいかなかった。

 桜桃はそうですか、と呟くと手を差しのべた。

 「ここからは徒歩で参ります」

 芳乃が立ち上がったのを確認すると、彼女は続く道をすたすたと歩いていった。

 遠の朝廷と呼ばれていた頃の面影は既に失われつつあり、昔は栄えていたのだろうなぁという程度にしか建物も残っていなかった。今は関東出身の御家人が大宰少弐に任じられているが、大宰府本来の役割は鎮西奉行が継承している。つまりそこそこ整備はされているのだが、それはかつての都のようなものではなく、たとえば内戦のような不測の事態に最低限備えている、といったものだった。

 少し行くと小さな祠があり、その先に古びた社殿がひっそりと建っていた。もう放棄されたものだろう。傷みの激しい箇所もあるが何とか建物として保たれているという感じだった。

 その古い社殿の前にひとりの青年と複数の子供の姿があった。青年は階に座り込んでいたが、子供たちがそれを取り囲んで楽しそうに笑っている。芳乃と椿が桜桃を見ると、にっこりと笑った。

 「我らが先生の道忠よ」

 「先生って……教師みたいなものか」

 すると桜桃は首を振った。

 「医者してるの、僧侶じゃないけど。まぁ文字の読み書きを教えたりもしてるから教師といえば教師かもね」

 青年――道忠は前情報通り、何が楽しいのかわからないと言いたげな顔をしている。子供たちの表情が表情だけにかなり機嫌が悪そうに見える。だが、抱きつかれても嫌がる素振りを見せないので、本当のところは船主の男が言うように子供が好きなのかもしれない。

 ふと、道忠が顔をあげこちらを見た。一瞬だけ芳乃と目を合わせると、すぐに隣の桜桃の方へ顔を向ける。そして子供たちを残してこちらへとやってきた。

 道忠は気だるそうにしていたが、ひょいっと頭を下げる。

 「六波羅からお越しだとか」

 噂とは違った様子に内心驚きつつも、芳乃はああと答えた。道忠はゆっくりと顔をあげ、芳乃の目をじっと見据える。

 「早速で悪いですが……お帰り願えますか」

 そう言うと、道忠は薄く笑みを浮かべた。

次回は3月31日午後8時投稿です。

次回もよろしくお願いします。

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