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夏草之記  作者: 玖龍
第八章 桜桃編
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第九十八話

 旭と時氏は入り口で立ち尽くしたまま、冷めたような目で夏目を見つめている。

 「夏目が許し、私が許さない者……それはこの男だ」

 どこにそんな力が残っていたのか、夏目は澪を突き飛ばすとすぐさま自身の刀の柄に手を伸ばす。

 「私にあなたの首を獲る機会をください。たどり着かないと知っていても、これが私怨だとわかっていてもそうせざるを得ない」

 夏目の言葉を受け、旭は頭をがりがり掻いた。そして隣に立つ時氏に目をやる。

 「どうしたらいい」

 「私闘は面倒なのでやめてもらえると助かりますが」

 そういう雰囲気ではなさそうですねぇ、とわりあい呑気な様子を時氏は見せている。尻餅をついて床に座り込んでいる澪は事の重大さに焦りを感じていたが、このふたりが平然としている様を見てもそれは解消されることはなかった。

 「待ってください!」

 たまらず声をあげた澪を、時氏と旭はちらりと一瞥する。そして時氏はため息をついた。

 「ここで何をしているのですか」

 「さ、相楽様は今、混乱状態にあります。おそらく橘屋敷での一件がそうさせているのです」

 ふむ、と旭は顎に手を当てる。

 「確か『龍の牙』には、触れた者の心を病ませる力があるとか」

 「夏目の場合、どちらかというと『解放』のほうでは?」

 澪にはふたりの会話が何やらわからない。悠然とした姿はむしろ真剣になっていないように見え、澪の不安は増すばかりだ。どうしたものか、と考え込んだ結果、彼女は沙羅を呼ぶことにした。時氏と旭に退出の挨拶をすると、ちらりと夏目を見る。元々色白なほうではあるが、今の夏目はまるで雪のような顔色だった。朱の混じったような金色の瞳は爛々として、真っ直ぐに旭を見ている。猫だ。獲物を見つけたときの猫のような目付きだ。


 ――あなたに何と思われようと構わない


 澪は部屋の外へと踏み出しかけた足をとめ、身を翻す。


 「おや」

 「おう」


 思い切り平手打ちした。


 「……は?」

 夏目は目だけを澪に向ける。射殺すような鋭い視線だ。だが澪は怯まなかった。少しばかり怖かったが、夏目に負けじと睨み返す。

 「馬鹿じゃないんですか!?」

 「なに」

 「あなたが誰であっても、相楽様と同じ顔で、同じ声でそのようなことを言うのなら私は到底許すことはできません」

 夏目の顔が歪む。雪のように白かった顔色も、朱を散らしたように赤くなる。ああ、やっぱり怒らせた、と澪はどこか冷静にその様子を見ていた。

 「……邪魔しないでくれ。これは私とあの男の問題だ。一度だけなら忘れてやる」

 刀に滑らせた手は既に柄を握りしめていた。興奮しているのか、はたまた緊張しているのか、関節が白くなるほどの力だった。未だ助け船は出ない。これは任せる、ということなのだろうか。そう自分に都合のいいように解釈し、澪は一度深呼吸をした。

 「あなたと桜庭様のお父様に何があったかなんてわかりません。でも、あなたがやろうとしてることは間違ってる」

 眉根に力が自然とこもる。

 「あなたはお父様が恋しいのですよね。同じ思いを桜庭様にさせるつもりですか」

 夏目は無言で頷いた。

 「でしたら私はあなたを軽蔑するでしょう」

 「軽蔑でも何でもすればいい。私は父を殺した男を許せないだけだ」

 夏目はそう言うと、ゆらりと立ち上がった。

 「仕方ないことだと夏目は言うが、本当に仕方がないことなのか?確かに父は罪を犯した。だが、どのような形であれ親が死んだのを平気でいろというのか。夏目は平気でいる振りをし続けた。だがそれこそがあの男を縛り続けている。だったら私がやるしかないだろう」

 「……もう一度叩いてもいいですか」

 澪の言葉に夏目は更に顔をしかめる。だが澪にはその睨みは効かなかった。

 「親が死んだら悲しいなんて当たり前じゃないですか。でも、あなたの行為は相楽様が今まで守ってきたものすべてを裏切るようなものです。八つ当たりです」

 「八つ当たりだと」

 「私は一月泣きました。今でも泣きそうになることがあります。でもどうすることもできない。当たり前です。前に進むしかなかった。それはあなたも同じではないのですか」

 少し動揺したような表情を見せた。澪は更にたたみかける。

 「私は橘屋敷でのことを忘れることはないでしょう。でもそれを口実に泣くことも死ぬこともありません。だって相楽様が、私が死ねば寂しいとおっしゃってくれたから。あの言葉のおかげで私は前に進むことを決意しました。そう慰めてくれたのは相楽様だけです。ですからあなたが誰であろうと相楽様の意に沿わぬことをし、傷つけるのであれば私が止めます」

 しばらく沈黙が続いたが澪が引かないとわかると夏目は舌打ちをし、ようやく決着がついた。今までふたりを眺めているだけだった時氏がやっと口を開く。

 「夏目は知らないでしょうが、あなたを私に紹介したのはこの男ですよ。本来ならばあなたたち親子を捨て置いても良かったのです。ですが是非に、と言われたので」

 恩に着せるつもりはないんだがなぁ、と隣で旭がぼやく。

 「幕府へ帰順する気の特に薄い西側をまとめるために六波羅はできたんだ。ひとりでも味方がいればと思っただけだ……夏目が大きくなって、六波羅や北条家に帰順するのが耐えられないと自分で判断したときには出て行けばいいことだし」

 「……すべて思惑通り、というわけだな」

 夏目は深くため息をつき、へなへなとその場に座り込んだ。慌てて澪が介抱すると、今度はそれを振り払うことなく受け入れた。その様子を見て、旭は笑みを浮かべた。

 「修練になら付き合ってもいいぞ。だがそんなへろへろの奴を相手にするほど俺も暇じゃない。今はしっかり休め。そのために芳乃は太宰府に行ったんだしな」

 「太宰府……?」

 首を傾げるも、その顔色は青く、先ほどよりも息が上がっているように澪には感じられた。それは旭も時氏も同じようで、ふたりは顔を見合わせる。そして時氏は自ら夏目に肩を貸した。

 「あなたは私の駒です。こんなところで死なれては困りますよ」

 夏目は不満そうに時氏を見たが、やがて小さく頷いた。やはり夏目は時氏には負ける。澪は安堵すると密かに微笑んだ。

 



●○●○●○●○●○




 騒ぎを聞きつけて、沙羅は回廊から部屋を覗き混んでいた。普段の夏目とは違う、感情をむき出しにした夏目は沙羅にとっても初めて見るものだった。彼が一度だけ沙羅の前で泣いたときも、あんな風ではなかった。

 「ね、言ったでしょう?我々に出番はないと」

 振り向くと、そこには朧がいた。今日は松帆は一緒ではない。

 「彼は幸せですね、周りに人がいてくれるのですから」

 すっと目を細める。松帆のことだとすぐにわかった。松帆の兄、伊崎を通して彼女を見守ってきた朧には、目の前のことは感慨を覚える光景だろう。かつて、似たような主を持っていたことのある沙羅にとっても、夏目の周りに仲間として扱ってくれる人がいることは嬉しいことだ。

 「……私はお役御免ですか」

 無意識にそう呟いた沙羅に、朧は声を殺して笑った。抗議の目を向けると、朧は否定するように手を振る。

 「そんなことはありません。相楽さんにとってあなたは何者にも代えがたい存在のはずです」

 「な、何故そんなことを」

 「いつも隣にいるのはあなただからですよ。桜庭さんでも時氏殿でもなく、あなただから。それ以外にないでしょう」

 首を傾げる沙羅に朧は続けた。

 「あなたと相楽さんは似ていると言えます。相性が良かったからこそ友になれたのでしょう。まぁ、親密度で言えば桜庭さんと椿さんには負けていますが……これからも友でいてあげることですね。支えるのが人間であっても、最期のときまで側にいるのは我々の方ですから」

 「それは……」

 沙羅はますます困ったような顔をする。友、という言葉が何となくくすぐったかった。今まで自分の契約者のことをそんな風にとらえたことはなかった。彼らは『守人』で自分はその『宿』。完全な主従として接してきた。もちろん、夏目に対してもそうだ。どんなに近くにいても、彼の領域には踏み込まないようにしてきた。歴代の主たちにしてきたように、一定の距離を保っていた。それが正しいことだと思っていたし、彼がいなくなった後、過剰に恋しく思わないようにするためでもあった。だからこそ、芳乃と椿の関係性を危ういと思ったこともあるが、それは沙羅が口を出すことではないと見て見ぬ振りをしていた。

 「見守る、とはただ唯々諾々としていることではありませんよ。少しも意見を言わないのは奸臣です。あなたはもう少し相楽さんに関わった方がいい。それこそ、恋人に間違われるくらいには」

 それは、と沙羅は顔を赤くしたが、朧は至って真剣だった。

 「あなたも相楽さんもお互い深入りしないことを美徳としているようですが……それはどうなんでしょうかね。互いにどこまで理解できているのかわからない。いざというとき守りようがないではありませんか。あの澪という少女に先を越されますよ」

 朧はそう言い残し、その場を後にした。 

私闘が法的に禁止になるのは御成敗式目が制定されてからなので多分大丈夫かな……(確証はありませんが)仇討ちは江戸時代に認められていたのは知っていますが他の時代はどうなんだろう(とはいえ、夏目のパパは刑死なので仇討ちも何もないんですけど)

ぐだぐだしていますが、次週から大宰府に行きます。。

次回は3月24日午後8時投稿です。次回もよろしくお願いします。

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