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いつかの空  作者:
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Missing Memory (5)

 ソレイユに戻ると、店内には隆文さんと翔子さん以外のお客さんの姿はなかった。


「あ、おかえりなさぁい」


「ただいま帰りました。えっと、これ頼まれていた物です」


 そう言って、買い物袋を由美子さんに手渡す。


「ありがとう。あら、その腕の痣、どうしたの?」


 袋を受け取った由美子さんが、私の手首に浮かんだ赤い痣に気付く。


「えっと、ちょっと男の人に絡まれてしまって……」


 パチンコ屋の前で男の人に絡まれたこと。それを知らない男の人に助けてもらったことを、由美子さんに説明する。


「そうなの……。怖い思いさせちゃったわね、ごめんなさい」


「い、いいえ、何事もなかったんですし、私は平気ですよっ」


 エプロンを付け、再び仕事に戻る。


「それにしても健の奴、遅いな……」


 隆文さんが時計を見ながら呟いた。

 そう言えば、あともう一人来るって言ってたっけ。


「その人は何のお仕事をされてるのかしら?」


「道路整備ですよ。ほら、よく歩道や道路をドリルで削ったりしてる人いるじゃないですか。あの仕事です。いつもはもう終わってる時間なんだけどなぁ。携帯にも繋がらないし、何してるんだか」


 道路整備。そう言えば、私を助けてくれた人も作業着を着ていたっけ。

 油にまみれた手。おじさんに突き出した拳は私の目では追えないぐらい速くて、怖く感じられたけど、私を助け起こしてくれた手は大きくて温かかった。

 あの人の名前、何て言うんだろう? あのときは混乱していて、ちゃんとお礼を言えなかった。もしもう一度会うことが出来たなら、そのときはきちんとお礼を言おう。

 そんなことを考えていると、入口の呼び鈴が鳴った。


「おっ。健、やっと来たか。こっちだこっち!」


 どうやら隆文さんの友人が到着したらしい。

 私も入口へと視線を向け、


「いらっしゃいま……あぁっ!」


 そこに立っていた人物に思わず驚きの声を上げてしまった。

 店に入ってきたのは、トレーナーにジーンズという恰好の男の人だった。オールバックの髪に、不機嫌さを滲ませた切れ長の瞳。服装こそ変わっているものの、間違いない。私を助けてくれた、あの男の人だ。


「どうしたの、天音ちゃん?」


 突然声を上げた私に、由美子さんが目を丸くしていた。


「こ、この人です。私を助けてくれた人」


「あらあら、それは凄い偶然ねぇ」


 本当に凄い偶然だった。

 そっか、この人、健っていう名前なんだ。


「あ、あのっ」


 お礼を言おう。そう思い、入口に佇んでいる健さんへと歩み寄る。

 しかし健さんは私を一瞥すると、怒りを含んだ鋭い眼光を隆文さんへと向けた。

 その迫力に、思わず足が止まってしまう。


「隆文、どういうつもりだ、お前」 


「どういうって……」


 隆文さんは視線を逸らせると、口をもごもごと動かす。

 何か言いたいが、それが上手く言葉にならない。そんな感じだった。


「帰る」


 踵を返そうとする健さん。それを見て、反射的に手が伸びた。


「おい、離せよ」


 気が付くと、私は健さんの服の袖を掴んでいた。自分でもどうしてそんなことをしたのか分からない。無意識に私の体が動いていたのだ。


「あ、あの……」


 私は彼をどうしたいのだろうか。引き留めたいのか、お礼を言いたいのか。

 思わず涙目になる私を見て、健さんは気まずげに視線を逸らした。


「はぁい、そこまで!」


 パンと柏手が一つ。

 翔子さんは席を立つと、健さんのもう片方の手をぐいっと引っ張った。


「あたしたちは昔の知り合いに会いに来たの。ただ、それだけよ。ほら、そんな怖い顔してると、天音ちゃんが怖がって泣いちゃうわよ。って、やだ、ほんとに泣いてるじゃない!」


「あ、い、いえ、その……」


 慌てて目尻に浮かんだ涙を拭う。


「天音ちゃんを泣かせた罰よ。健、あんた今日の勘定持ちなさいよね」


「な、何で俺がっ!?」


「ほら、早く席に座りなよ!」


 翔子さんは健さんを無理やり引っ張って行き、隆文さんの隣へと座らせた。

 その手際は見事という他なく、恐らくこの三人の中でのまとめ役が翔子さんなのだろう。


「ごめんね、天音ちゃん。こいつ、女の子とまともに接した経験がないから、ちょっとテンパってるだけなの。だから気にしないでね」


「お、おいっ!」


 反論しようとする健さんを視線だけで黙らせる翔子さんが格好いい。


「でも、天音ちゃんの話だと、天音ちゃんを助けたのが健だっていうことになるのかしらね」


「は、はい。あのときは本当にありがとうございました」


「……礼なんていらねぇよ」


「いえ、私が言いたいんです。だから言わせてください。私、本当に怖かったんです。誰も助けてくれなくて、怖くて声も出なくて。だからあなたが助けてくれたときは、本当に嬉しかったんですよ」


 そう言って、健さんにぺこりと頭を下げる。健さんは決してこちらを見ようとせず、自分の手元のグラスに視線を注いでいた。


「何照れてるんだよ」


「うるせぇ」


 からかう隆文さんを、健さんは肘打ちで黙らせる。


「ただの成り行きだ。別に他意はねぇよ」


「ふぅむ、なるほどねぇ」


 翔子さんは何故か嬉しそうに何度も頷いていた。


「天音ちゃん。こいつ、女に全然免疫ないからさ、良かったらこいつの話し相手になってあげてよ」


「お前、何を勝手にっ」


「あんたは黙ってなさい。まったく、昔からちっとも進歩してないんだから」


「……ちっ」


 健さんは舌打ちと共に、完全にそっぽを向いてしまった。


「まぁ、あんたが話さなくてもあたしが勝手に話すけどね。天音ちゃん、聞いてよ。こいつさ、学生のときに」


 それから翔子さんは色々な話をしてくれた。

 三人の高校生のときの話や、大学での隆文さんとの日々など。翔子さんの話はとても面白くて、まるで私もその場にいたかのような錯覚を覚えてしまい、自然と笑いがこぼれていた。健さんは話の間、終始不機嫌そうな顔をしていたけれど、拒絶の意思は感じられず、私は内心で安堵していた。私は彼に嫌われていないらしい。そのことが妙に嬉しく感じられたのだった。

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