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いつかの空  作者:
2/14

Missing Memory (1)

 駅前に佇むミルクホール『Le Soleil』(ソレイユ)。それが私の職場だ。

 シックなデザインの落ち着いた雰囲気のお店で、煉瓦を模した壁紙が貼られている他、様々なアンティーク家具が置かれ、優しいオルゴールの音色が常に流れている。ソレイユは都会の忙しさに追われるサラリーマンやOLのひと時の憩いの場として利用されていた。


「ありがとうございましたぁ」


 店を出ていく最後のお客さんを見送り、私は散らかったテーブルの上を片付けていく。今日もなかなかに忙しい一日だった。ソレイユはそれほど大きな店ではなく、私の他に店長の由美子さん、そしてバイトの咲ちゃんの三人だけで切り盛りしている。今日は咲ちゃんが休みのため、今店にいるのは私と由美子さんの二人だけだった。


「お疲れさまぁ」


 カウンターの向こうから由美子さんがにこりと微笑む。


「いえ、由美子さんもお疲れ様です」


 微笑みを返し、私は下げたグラスやお皿をシンクの中へと置いた。

 時刻は夜の十時になろうとしていた。閉店の時間だ。シャッターを半分まで下ろし、片付けの作業に入る。


「あ、天音ちゃん。今日はもう上がっていいわよ。後の片づけは私がやっておくわ」


「えっ? どうかしたんですか?」


 私は驚き、由美子さんの方を見る。

 由美子さんは胸の前で両手を合わせ、嬉しそうに口元を綻ばせていた。


「今日は、私の昔の後輩の子たちが遊びに来るのよ。だからもう少しだけ店を開けておくつもりなの。だから天音ちゃんはもう上がって。あまり遅くなると親御さんも心配するでしょ?」


「そんな……洗い物だってまだ沢山残っているし、最後まで手伝いますよ」


「でも……」


「最後までやりたいんです。やらせてください、ね?」


「……うん、ありがとうね、天音ちゃん」


 おっとりとした顔をさらに緩ませて、由美子さんが笑う。


 横に並んで、一緒に洗い物をする。

 隣からはお花のような爽やかないい香りと共に、軽快な鼻歌が聞こえてくる。よほどその後輩に会うのが楽しみなのだろう。

 私は洗い物の手を止めることなく、そっと由美子さんを盗み見た。

 ふわりと柔らかいウェーブのかかった茶色い髪に、おっとりとした顔。スタイルは良くて、その豊かな胸が少しだけ羨ましい。

 年は四十代後半になるらしいが、どう見ても二十代の女性にしか見えないのが凄い。

 そして外見通りに性格もおっとりとしていて、一緒にいると店長というより、年の離れた姉と一緒にいるかのように感じるときが多々あった。


「そうそう、聞いてちょうだいな。この間ね」


 由美子さんは楽しそうに話している。

 そんなとき、呼び鈴の音と共にドアが開いた。

 視線を向けると、若い男の人が半身だけ乗り出して、店内の様子を窺っているのが見えた。


「あの、まだやってるかな?」


 張りのある声。この人が由美子さんの後輩の人だろうか?

 青年の視線が正面にいる私へと向けられ、お互いの視線が重なり合う。


「…………えっ?」


 そして相手の目が驚きに見開かれた。


「あの……何か?」


 何故私を見て、そんな顔をするのか。どこかで、会ったのだろうか?

 いや、初対面のはずだ。少なくとも私の記憶の中に思い当たる節はない。

 だったら、


「あら、隆文君! いらっしゃーい! さぁ、入ってちょうだいな」


 私の思案を振り払うように、由美子さんが入口まで駆けて行き、青年を店へと迎え入れる。

 隆文。やはり聞き覚えのない名前だ。


「ははは、それじゃあお邪魔します」


 隆文と呼ばれた青年は、何事もなかったかのようにカウンター席へと座った。

 肩口まで伸ばしたアッシュブラウンの髪に、精悍な顔つき。そして体を鍛えているのだろう、引き締まった体をTシャツにジーンズというラフな格好で包んでいる。


「随分久しぶりよねぇ。いつぶりかしら?」


「そうですね、最後に会ったのが確か」


 隆文さんは懐古の表情を浮かべながら、由美子さんと会話している。

 私の思い過ごしだろうか? うん、きっとそうなのだろう。私は気持ちを切り替えて、隆文さんにお冷を出した。


「あの、ご注文お決まりですか?」


「おっ、君可愛いねー。バイトの子?」


「こぉら。隆文君には翔子ちゃんがいるじゃない。天音ちゃんにちょっかいかけたらダメだからね。じゃないと、翔子ちゃんにこのこと言っちゃうわよ?」


「うわっ、それだけはやめてくれよ! あいつ、怒るととすぐ手が出るんだ」


 不思議だった。隆文さんはどう見ても、二十そこそこの年齢に見える。そして由美子さんは四十台。これほどまでに歳の離れた二人が親しげに会話している様はどこか新鮮だった。


「天音ちゃん。今日はもういいわよ。長くなると思うし、先に上がってちょうだい」


「あ、はい。分かりました」


 ほとんど片付けも終わったし、二人の時間を邪魔しては悪い気もするので、由美子さんの言葉に甘えさせてもらうことにした。


「えっと、それじゃあ、お先に失礼します」


 二人にぺこりと頭を下げ、私は従業員用の部屋へと入っていった。

 手早く着替えを済ませ、店を出る。改札の前で店の方を振り返ると、楽しげに談笑する二人の姿が見えた。


「いいなぁ……」


 思わず心に思ったことが口に出てしまい、私は恥ずかしくなって、慌てて改札を抜けたのだった。

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