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いつかの空  作者:
12/14

Dear my (2)

「はいっ、カルボナーラ、ミートスパ、ハンバーグ、上がったよっ!」


 厨房から出される料理を受け取り、俺はフロアへと出た。

 休日の夜のファミレスは親子連れで賑わい、あちこちで明るい声が上がっている。

 繁華街の一角に位置するこの店はファミレス系列の中でもなかなかの規模を持っていた。クラシックな内装と豊富なメニューが売りのこの店には、会社帰りのサラリーマンやOL、学校帰りの生徒などが多く立ち寄る。特に日曜日である今日などは、その来客数は平日の数倍、既にほとんどの席が満席となっていた。

 BGMとして流している有線もお客の喧騒の前に何が流れているのか判別することすら難しく、適度に空調の効いた店内も、常に動き回っている俺たち従業員にとっては、まるでサウナの中にいるかのような暑さだ。背中を伝う嫌な汗を不快に感じながらも、作り物の笑顔を振りまいて料理をテーブルに運んでいく。


「お待たせしました、ハンバーグとカルボナーラ、ミートスパになります」


 伝票とテーブル番号を確認し、俺は料理皿を並べようとする。


「あれ? うち、ミートスパなんて頼んでないよ?」


「えっ、あ……すみません。すぐお下げします」


 伝票を見ると、確かにミートスパは書かれていない。どうやら運ぶテーブルを間違えたようだ。ミートスパを下げ、俺は一礼するとテーブルを離れた。


(はぁ……何やってんだよ、俺は)


 ため息を吐きながら、自分の悪態に嫌気が差す。

 明子さんにフラれて、もう五日。だが、いまだに気持ちが切り替えられずにいる。


『だから、雅也君と一緒にいてもつまらないの。退屈なの。分かる?』


『大体お前はさ、真面目すぎるんだよ』


 明子さんと雄一郎に言われた言葉がぐるぐると頭を回っていた。

 俺は今のままじゃダメなんだろうか? 雄一郎のように楽しく、その場のノリで生きていくように変わらなければいけないのだろうか?


 ドンッ――


「あっ、すみません……」


 考え事をしていたため、誰かとぶつかってしまった。慌てて謝り、相手を見ると、そこには見知った顔があった。


「……三島さん」


 背中半ばまで伸ばした癖っけのない黒髪、ややあどけなさを残した顔に、芯の通った意思の強そうな瞳。制服をきっちりと着こなした三島さんの両手には、それぞれハンバーグとイタスパの料理皿があった。

 三島優衣。俺とほぼ同期に入ってきたバイトの女の子だ。年が近いこともあり、最初は何かと親近感が湧いていたのだが、今は……。


「今は仕事中よ。考え事なら、後にしなさい」


「ご、ごめん……」


「謝る暇があるのなら、早く手に持っているそれを持っていきなさい。十二番テーブルよ」


 鋭い視線を向けると、三島さんはそのまま別のテーブルへと行ってしまった。

 見ての通り、そっけないというよりも冷たい印象しか受けない。バイト上がりに同僚たちに遊びに誘われても全て断っているようだし、仕事が終わるとすぐに帰ってしまう。そのため同僚たちの間でも敬遠されがちで、いつも一人でいることが多かった。だが、それを苦痛と感じている様子は感じられず、むしろ堂々としているようにも感じる。


(格好いいけど、ああいうタイプは彼女にしたくないよなぁ……)


 そんなことを考えながら、俺はミートスパを十二番テーブルへと持っていった。





「小沢君、休憩入って」


「あっ、はーい!」


 夕食のラッシュを切り抜け、ちらほらと人気が減ってきたところで、休憩を終えた同僚が声をかけてきた。

 ほっと安堵の息を吐き、俺はスタッフルームへと向かう。

 ドアノブを回そうとしたところで、部屋の中から女性の話し声が聞こえてくることに気付いた。


(あれ……誰かいるのかな?)


 訝しく思いながらも、少しドアを開ける。


「……うん、じゃあ戸締りしっかりね」


「あっ……」


 部屋の中にいた人物に思わず俺は間抜けな声をあげてしまった。

 部屋の中にいた女性――三島優衣は俺に気付くと、不快そうに眉根を寄せた。


「三島さんも休憩だったの?」


 笑顔を浮かべながら、俺は部屋の奥にあるソファへと座る三島さんに話しかけた。


「ええ」


 短く頷くと、三島さんは携帯をポケットに仕舞い込む。


「電話、友達から?」


「別に……。あなたには関係ないわ」


 質問を切って捨てられた俺は苦笑しながら、三島さんから少し離れたところにあるソファへと腰を下ろした。


「さっきは助かったよ、ありがとな」


「別に……」


 感情のこもっていない無機質な声が返ってくる。そしてそれっきり三島さんからの言葉はなかった。

 その何とも言えない空気に、思わず頬を掻いた。

 三島さんはとにかく愛想がない。まるで自分と他人との間に境界線を引いているかのように、三島さんは他人というものに対して興味を持っていなかった。

 冷めた心の持ち主というのか、ドライと言えばいいのか、少なくとも俺は三島さんが笑っているところを一度も見たことがなかった。

 しかしその仕事に対する熱意と能力は目を見張るものがあり、三島さんは今の今まで一度も休むことなくここのバイトを続けてきている。


「そういやさ、昨日の特番見た? あれって、傑作じゃなかった?」


 無難にテレビのネタで責めてみるものの、三島さんからの返事はない。


「ねぇねぇ、三島さんは――」


「……少し黙っていてくれるかしら?」


 鋭い視線に射止められ、俺は出掛かっていた言葉を慌てて飲み込んだ。

 休憩時間が終わったのか、それとも俺を疎ましく感じたのか、三島さんが席を立つ。


「……もう私に構わないで」


 去り際に一言残し、三島さんはスタッフルームを出て行った。

 一人残された俺はしばらく呆然としていたが、やがてため息と共に背もたれへと大きくもたれかかった。

「何なんだよ、ちくしょう……」

 呟いた言葉は空しくも大気に溶け、換気扇の向こうへと吸い込まれていった。





「あれ?」


 バイトが終わり、更衣室へと着替えに行こうとしていたとき、通路の端にパスケースが落ちていることに気付いた。


「落し物? うちの、だよな?」


 スタッフ専用通路に落ちているということは、ここのスタッフの誰かのものということだ。色合いからして女性のものだということは分かるが、それが誰のものなのか見当もつかない。

 悪いとは思ったが、俺はパスケースを開くことにした。


「あっ……これ、三島さんのだ」


 中に入っていた定期には三島優衣と書かれていた。


「確か三島さん、さっき上がったところだったよな?」


 走れば間に合うだろうかと逡巡するのも一瞬、俺は着替えもそのままに店を飛び出した。


「三島さん!」


 店から少し離れた交差点に三島さんの姿はあった。俺の声に三島さんは訝しそうに振り返る。


「……何?」


 尋ねながらも、用件を早く言えと目が語っていた。俺は拾ったパスケースを慌てて三島さんに差し出す。


「これ、通路に落ちてたんだ」


「あっ……」


 パスケースを見た途端、三島さんは慌ててポケットに手を入れる。そしてパスケースがないことに気付き、呆然と目の前に立つ俺を見つめてくる。


「これを渡すために、わざわざ?」


「そう、ちゃんと追いつけてよかったよ。はい、次は落とさないようにね」


 戸惑いながら、三島さんはパスケースを受け取る。


「え、えっと……その、あ、あ…………とぅ」


「えっ?」


「あ、ありがとうって言ったのよっ!」


 言い切るや否や、三島さんは慌てて顔を背ける。若干だが、その顔が赤くなっている。

 普段感情を表に出さない三島さんの滅多に見られない様子に、俺は心の底から嬉しさのようなものがこみ上げてくるのを感じた。


「な、何よ、その顔は……」


 いつもと変わらない無表情で三島さんは俺を睨みつける。だが、どこか拗ねているようにも見える。俺はこみ上げてくる笑いをかみ殺しながら、自分の頬を掻いた。


「いや、三島さんもそんな顔出来るんだなって思ってさ」


「そ、そんなの貴方には関係ないわよ」


「いやいや、貴重なものを見させてもらったよ」


「ふん……」


 居直ったのか、三島さんは俺に背を向ける。


「今から帰るの?」


 俺は何とはなしに尋ねてみた。


「いいえ、次のバイトがあるから」


 三島さんは顔だけ振り返ると、平坦な口調でそう答えた。


「バイトって……まだ何かしてるの!?」


「ええ」


「どうしてそこまでしてバイトするのさ?」


「……お金が必要だから」


 ポツリと、言いにくそうに三島さんは呟く。その表情はどこか悲しげで、どこか諦観にも似た色が出ていた。


「お金って……何か欲しいものでもあるの?」


 言葉を選びながら俺は尋ねてみた。


「そんなものないわ」


「じゃあ、どうして?」


「それは…………っ!」


 まるで言葉が見つからないかのように、三島さんは何度も口を開閉する。だが、途中でハッと我へ帰ると、いつもの無表情な瞳で俺を睨み返した。


「…………貴方には関係ないわ」


「なっ!?」


「そろそろ行くわ。定期、ありがとう」


 短く一礼すると、三島さんは改札の向こうへと走っていった。

 俺は呆然と三島さんの後ろ姿を見送りながら、さっきの三島さんの言葉を思い返していた。


「くそっ……」


 別に感謝されたかったわけじゃない。ここまで追いかけてきたのも、ただの気まぐれだったのだ。だけど彼女と話をして、滅多に見ることのない彼女の照れた顔を見て、俺は少し浮かれていたのかもしれない。

 だからこそ、さっきの明確な拒絶がショックだった。

 ただ、それだけのはずなのに……。

 俺は自分でも分からない苛立ちに奥歯をかみ締めていた。

 不思議だった。明確に拒絶されようが、何故か彼女のことを知りたがる自分がいる。

 果たして、この感情は何なのか。

 俺はむしゃくしゃする気持ちを足元の石ころにぶつけると、そのまま店へと引き返した。


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