Dear my (1)
「私たち、別れましょう」
「は……?」
夜の公園。突然の電話で呼び出され、慌てて駆けつけた俺を待っていたのは、彼女のそんな一言だった。
「ちょ、ちょっと待てよ! 何でいきなりそういう話になるんだよ!」
当然、俺には彼女にフラれる心当たりなどあるはずもなく、そんな一言で納得出来るはずはなかった。彼女に対して、やましいことなんて一つもしていないのだ。浮気はおろか、彼女以外の異性との交遊関係すら皆無だったのだから。
「理由? 理由かぁ」
彼女は小さく眉根を寄せて、人差し指で自分の唇をつつき始める。これは彼女が思案に耽るときの癖だ。
生唾を呑みこみ、彼女の次の言葉を待つ俺に、何か適切な言葉を思いついたのか、彼女はその薄い唇を小さく開いた。
「つまらないの」
「は?」
「だから、雅也君と一緒にいてもつまらないの。退屈なの。分かる?」
「た、退屈?」
彼女の口から発せられた言葉を呆然と呟く俺を前に、彼女は鳴り出した携帯を鞄から取り出すと、電話に出た。
「あ、信吾? 今? 今、暇だよ? えっ、行く行く! じゃあ、駅前でね♪」
電話に出る彼女は今まで深刻な話をしていたとも思えないほど軽快な口調だった。通話を終えると、携帯を鞄にしまいながら、彼女は俺に背を向けた。
「まぁ、そういうわけだから、私たちはもう終わり。それじゃあね」
ひらひらと手を振りながら、彼女が去って行く。
「ま、待って!」
思わず呼び止めるが、彼女の足は止まらない。車のライトに照らされて、彼女のシルエットが浮き彫りになるが、その表情までは見えなかった。
やがて彼女の姿が見えなくなっても、俺はその場を動くことが出来ずにいた。
麻痺してしまったかのように思考を停止した頭でも、ただ一つだけ分かることがあった。
「は、はは……俺、フラれたのか」
なんでもないような日の夜。小沢雅也、二十歳。彼女にフラれました。
「あっははははははは! そりゃ傑作だ!」
「笑い事じゃねぇよ!」
夜の繁華街、とある居酒屋の中。向かいで豪快に笑いこける悪友を睨みつけながら、俺はビールを煽った。
檜で出来た店内はほのかに薄暗く、適度に空調が効いていた。周りの席では会社帰りの若者たちが上司の悪口を肴に盛り上がっている。
「お前はいいよな、その容姿がありゃ女なんて作りたい放題だろうし」
向かいに座る悪友、竹中雄一郎を一瞥し、俺はため息をついた。柔らかな茶髪に、ぎらぎらと光る貴金属のアクセサリー、適度に着崩したカジュアルな服装は線の細い体によく似合い、ある種の儚い感じを演出させている。中世的な顔立ちで、その顔に浮かぶ笑顔はいくらかあどけなさを残していた。
竹中雄一郎。高校のとき、とある事件をきっかけに知り合い、それから何かと一緒につるむことが多くなった。大学に進学した今でもその関係は続いていて、時折連絡を取ってはこうして一緒に酒を飲み交わしたりしている。
そして雄一郎はスポーツ万能、頭脳明晰、顔も整っており、スタイルもいい。まるで絵に描いたような美青年だ。無類の女好きで飽き性という点を除けば、間違いなく最高ランクの男に位置すると思う。
だがその欠点のせいで、女性とは長続きせず、次々と新しい女性を作ってはフラれるという結果を招いているが。
(……こいつ、いつか背中を刺されるんじゃないだろうか?)
時々本気でそう思うときがあった。
雄一郎は追加のビールを頼むと、俺へと真面目な表情を向けてくる。
「明子ちゃんの言ってることも分かるぜ。大体お前はさ、真面目すぎるんだよ。一緒にいると息が詰まっちまう。それが嫌なんだよ、女の子にとってはな」
彼女――明子さんに言われたことを再び言われ、心にズキリと痛みが走る。
「で、でもよ、真面目すぎるって言うけど、俺は普通にしているだけだぞ?」
「だから、それが固いんだって。いいか? 女の子ってのはな、適度に冷たく適度に優しく、そして格好良くて面白い。それだけでいくらでも言い寄ってくるもんなんだよ」
「そ、そんなわけねぇだろうが!」
「目の前に実例がいるぜ?」
勝ち誇ったかのように笑う雄一郎。言い返してやりたいが、確かに雄一郎は女性にモテる。
何も言い返せない俺に調子付いたのか、雄一郎はずいっと俺へ指を向ける。
「女の子と付き合うときは、ちゃんと相手のことを調べてからじゃないとダメなんだぜ? 女の子はいくつかのパターンに分類出来るんだ。控えめな子、派手な子、明るい子、暗い子って風にな。で、明子ちゃんは派手で明るい子だったわけさ。そういう子は、センスが良くて自分と同じような明るくて楽しい奴が好きなんだよ。お前みたいに教科書が人間になったような性格の人間とは水と油なの」
「そ、そうなのか……?」
「そういうもんなんだよ。お前みたいな奴は根暗なオタク系の彼女作ってればいいんだよ。第一、どうして明子ちゃんなんかと付き合えたのか、今でも不思議で仕方ないぞ」
「ぐっ……」
周りのカップルたちを見渡す。みんな楽しそうに会話している。
どうやったらあんな風に出来るのだろうか? 俺と明子さんの間に、ああいった笑顔があっただろうか?
よく分からない。でも俺は自分に正直に在ったと思う。それが相手に受け入れられないのなら、相手に合わせるように自分を偽らなければいけないのだろう。だけど、そうやって自分を偽ることで手に入れる関係は、空しくならないのだろうか? それすらも誤魔化して生きていくことが恋や愛と呼ぶものなのだろうか?
(こういう風に考えること自体、雄一郎の言うように固いって証拠なんだろうな)
苦笑しながら、ビールを煽る。苦い味が喉に染み渡った。