傷にご褒美(上)
後日談
「いたいいたいいたい! 止まる、止まる、血が!」
「当たり前です、止血しているのですから」
「しめ過ぎなんだよ! 見てみろ、指の先紫!」
「うわ気持ち悪い」
誰がやったと思ってんだー!!
只今王宮の医務室にてお医者様に怪我の処置をしてもらっている。
のだけど、虎族は力が強いから治療してんだか悪化させてんだか分らない。
二の腕から出ている血を止めようと脇の下くらいを縛ったのはいいんだけど、力いっぱいぎゅってやってくれるもんだから、血管ぶち切れるかと思った。
わたしが切実に訴えているというのに先生はのんびりとした手つきで紐を解いていく。ていうかどんだけグルグル巻きにしたんだ。
「人間ってやわいんですねぇ。ああ面倒臭い。また一からやり直しか、やだやだ」
「そんなに仕事したくないなら退職をお勧めする」
「いやですよ、給料欲しいですもん」
腹立つわ。なんかこの医者すっげぇ腹立つわ。
この怠惰なヤツが王宮お抱えの医者とかこの国大丈夫なんだろうか。
「それにしても、ユンファ様も大変ですねぇ。ちょーっと引っ掻いただけでこんなすっぱり肌が切れちゃうなんて、戯れも出来やしないじゃないですか」
そうなんですねぇ。この二の腕にざっくり入った三本線の傷はユン様に付けられたもの。
彼的にはじゃれついたつもりだったんだろうが、あんな虎の巨体で圧し掛かられて生命の危機を感じたわたしは本気で恐れ慄き逃げた。
そしたらそれすら遊んでいるものと勘違いしたユン様がテンションすっげぇ上がって、虎の姿のまんまわたしを押し倒して、ご立派な前足で肩をがっしりと押さえつけてきた。
恐怖でテンパったわたしは当然全力で抵抗して揉み合っている間にこの有様だ。
わたしも一瞬なにが起こったのか分らなくてキョトンとしたし、ユン様なんてもっとわけが分らなかっただろう。
突然すぱっとわたしの腕に切り傷が出来て血がぼったぼた出てきたんだから。
遅れてやって来た激痛にわたしは蹲って動けなくなって、パニックに陥ったユン様は半泣きでオロオロしてるし。
いや泣きたいのわたしだから。
でもユン様の泣き顔に弱いわたしは、必死で怪我してない方の手でユン様の頬を撫でて「大丈夫ですから」と宥めた。
でもわたしの手に血がついていたらしく、ユン様の顔が汚れてしまって。
うわすみませんって謝った次の瞬間にわたしは意識を失った。痛すぎて脳みそが現実逃避したらしい。
「ほんと、人間を娶るのって難儀な話ですよ。こんな美味しそうな血の匂いぷんぷんされちゃ、我慢するのも大変です」
ずざざざざっ
イスに座ったまま後ろに退いた。だってコイツの目がぎらってしたんだ!
大丈夫ですよ、とへらへら笑ってるけど、絶対ちょっと味見くらいしようとしてたに違いない。
「ユン様の獲物を取ったりしませんよ」
「獲物言うな!」
ある意味すっかり食べられちゃったけど! しょっちゅうガッツかれてるけど!
必死で逃げたのはテンション上がったユン様に虎のままナニされるんじゃないかって不安もあったからだったりする。
それはさすがにユン様でも受け入れられません。そういうのはイロモノのエロ本だけにしてくれ。
「まぁそういうわけで、傷が完全に塞がるまでは隔離させていただきますよ」
「どういうわけで!?」
「だからー、その血の匂い撒き散らされるとねぇ、狩猟本能突き動かされて襲っちゃう奴が出てくるかもしれないって事です」
ひぃっ! 襲っちゃうはこれ、ユン様と違って本気で殺されるほうのやつだ!
ちらりと傷口を見ると、少しだけ包帯に血が滲んでいる。
……確かにこの状態で人がいっぱいいるところにいるのも、ユン様のところに戻るのも危険な気がする。
ユン様って普段はぽわぽわした温厚青年なんだけど、興奮すると肉食獣としての本能が顔を出すんだよな。当然といえば当然なんだろうが、ギャップがすごくって。
何度首筋に歯を立てられたか分らない。あれ絶対本能的に動物の一番弱い部分である首を狙ったんだと思うんだ。お願いだから頸動脈だけは噛んでくれるなと毎回冷や冷やものだ。
じゃれるにしても加減が全く分かってないんだよ。昔猫を飼ってた友達に聞いた事あるんだけど、ああいう動物は兄弟同士で喧嘩紛いの遊びをして、どれだけの力で噛んだら痛いのか、爪を立てて引っ掻いたらどうなるのかを学んでいくらしい。
これまで全く触れ合いすらした事のないユン様にその加減が出来るはずもない。
それに、生々しい傷見せたりしたらユン様落ち込みそうだしな。わたしが意識失う前も顔面蒼白(虎の姿だから毛むくじゃらだったけど)で自殺を選びかねない感じだった。
…………大丈夫かな。今頃自己嫌悪で酷い有様になってそうだけど。まぁその辺はブラコン金髪に任せておけばいいか。
まずは自分の傷を癒すのが先だ。
そう思って大人しく王宮の隅っこの部屋で隔離される事にした。
のはいいんだけど、思い知らされるな。わたしってこの世界に来てからどれだけ日々をあくせく働いて過ごしていたのかを。そして勤勉で真面目な国に生まれた性か、働いていないと落ち着かない。こんな自堕落な生活を送っていていいのか、わたしは生きていていいのかと不安になる。働かざる者食うべからずという言葉が今は重い。
そして暇だ。やる事がない。暇は人類最大の敵だって聞いた事あるけどあれは本当だ。
血の匂いをかがせちゃダメって事で、給仕の人も食事だけ置いてそそくさと出ていっちゃうし。
わたしは日がな毎日起きてご飯食べて掃除してぼーっとして……を繰り返してもう三日。
あ、そうだ。自堕落と言えば手本になる人物と日々一緒に過ごしていたではないか。自堕落師匠ことユン様の日々の行動パターンを反芻してみる。
……食っちゃ寝、食っちゃ寝……。引きこもりニート!!
働いたら負けだと思うんだよねーとか言いかねない勢いだ……!
誰かわたしに仕事下さい。割と切実にそう思っていると、ドアが開いた。
「ノックくらいして下さい。着替え中だったらどうすんですか」
「見られて困るようなものでもあるまい」
「失礼だなあんた!」
年頃の女掴まえて、裸見られて何か困るのか? なんてよく言えたものだなこの金髪!
全くこれで一国の王太子だというのだからこの国ももう終わりなんじゃないか?
そうならわたしはユン様を連れて逃げるぞ。ユン様はわたしが責任もって養う。
「何か用ですかミン様」
「様子を見に来ただけだ。あとどのくらいで兄上の所に戻れるかとな」
「このブラコン」
「なんだそれは」
お兄ちゃんの事大好きで世界はお兄ちゃん中心で回っていると思ってる残念な王子という意味だよ。
「で、傷は」
「もう塞がってますよ。無茶しなければ開かないと思いますけど。先生にはあと二日で帰っていいって言われてます」
「……もたん」
は? ぼそりと呟かれたのが聞き取れなくて首を傾げる。
「兄上はもう限界だ」
「なにが」
「お前が居なくなってから四日、ロクに食事もしない睡眠もとっていないと、代わりにやった侍女からの報告が入っている」
なん……だと!? ユン様メンタル弱っ!!
打たれ弱いにも程があるだろう。それでも肉食男子か。よし、わたしが帰ったあかつきには体力じゃなく精神力を鍛えてやろう。
体力はさ、正直有り余ってる感じなんだよね。むしろ私が疲弊させられて困るくらいだから。
「兄上が危険だ。お前、今すぐ帰れ」
ちちきとく、とくかえれ
なんて脳内変換される。いやでも四日も呑まず食わず眠らずとか……衰弱死しかねない勢いだな。
しょんぼりと肩を落としている白虎が頭の中に浮かぶ。
うおおお、やばい可愛い抱きしめたい。胸に飛び込んでぎゅーってしてぇ!
ああ思い出しちゃったら無性にユン様が恋しくなった。欠乏症だ。
ちらっと前にいるミン様を一瞥する。
あーあ……兄弟なのになんでこんな可愛げがないんだろ……。こんなんじゃ見てたって全然癒されない。
そんなわたしの思考に気付いたのか、ミン様は片眉を上げた。
「なんで兄上はコレにそこまで執着するのだか……。品もなければ凹凸もッ、げふっ」
何の凹凸かは敢えて聞かずにいてやろう。だが殴る。鳩尾にグーで一発決めておいた。
「しかも手が早い……最悪じゃないか」
「最悪なのはアンタのデリカシーの無さだ」
面と向かって失礼三昧言いやがって。侍女と言えど人格を持った一人の人として扱って欲しいものだ。
「ていうかユン様にはこんな事しません」
ユン様がわたしに殴られるような真似をしないからなんだけど。
「わたしのユン様に対する態度は、真綿で優しく包み込むような」
「まるで兄上が姫君のようだ」
そうですね。わたしも言っててそんな気がしてきました。だってユン様繊細なんだもの。主に心が。
「やれやれ。手のかかるお姫様を持つと大変だ。そんなわけでミン様の相手をしている暇はなさそうなんで、さっさとユン様の所に帰るとします。医者の先生には抜け出してごめんなさいって言っといてくださいね」
「なんで俺が……!」
「だってミン様が急かすせいじゃないですか」
ミン様が来なければあと二日はここでぼけっとしておけたというのに。いや暇過ぎて死にそうだったんだけどな。
何故かでしゃばるミン様
(下)を載せたらまた完結設定にしまふ。




