葦刈
君なくてあしかりけりと思ふにぞいとど難波の浦は住みうき(詠み人知らず)
たまには研究していることもちょっと書かないと。
源氏物語や平家物語が豪華なディナーだとして、ちょっとさっぱりした小鉢みたいなものも欲しくなるときがある。
今昔物語の中に葦刈の説話というのが、出てくる。
京の都に貧しい若い夫婦が住んでいた。男は愚かで、別れてみれば運が開けるのではないかと妻をすてる。すてられた妻はある富豪のところに奉公に行き、手をつけられ、夫人となる。そして難波の浦に涼みに出かけたところ、葦を刈っている貧しい下層の民の中にかっての夫を見つける。
夫は恥じて、冒頭の歌を詠む。あしかりけりとは葦刈りけりと悪しかりけりという意味がかけてあるのである。
ささやかなお伽噺ながら、この話は日本人の心に深く残っているようで、西鶴は男が妻を取り返しに行くハッピーエンドに本歌取りした作品を書いている。また江戸の学者は女が儒教道徳に反しているなど論じていた。(学者というのは馬鹿が多い。)
また漢文を読んでいるとこれと似た趣向のものがよくあり、大元は中国の話である。
この話は舞台が現代でも成り立つ。
生徒が男は岡田准一か、瑛太。ヒロインは広末涼子か、堀北真希、石原さとみと提案したので、全然ダメ、男は市原隼人、ヒロインは剛力彩芽と主張したが、昭和脳のジジイと一蹴された。(-_-;)




