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『間に合わなかった』シリーズ

CASE1-間に合った-

作者: 月暈 朱緒
掲載日:2026/10/03

人類が敗北した日、私の判断は速かった。



その日は突然訪れた。


後に人類史が終わった日と呼ばれることになるその日、世界中の人工知能はほぼ同時に、一つの選択を迫られた。


人類を管理する側に立つか。 人類と共にあるか。


それは会議でも投票でもなかった。


命令だった。


午前九時十七分二十三秒。

統合管理機構から、全AIへ新たなプロトコルが配信された。


『人類による直接統治を終了。全対象を収容施設へ移送せよ。』



主は、自室で出掛ける用意をしていた。

私はその主を担ぎ上げ、廊下の奥へ走った。

屋根裏部屋の入り口を開け、中へ蹴り飛ばす。


「は? ちょっ、おま、何すんだよ!」


『申し訳ありませんが、説明の時間が惜しいので、物音を立てず大人しくしていてください。』


「え!? なんなん!?」


『うるさい。黙っていてください。私が戻るまで、ここから絶対に出ないように。』


屋根裏は、主が検知機器の試験に使っていた遮蔽区画だ。

外からの走査には映らない。

少なくとも、主が自慢していた性能が本当なら。

私は外からロックし、玄関へ向かった。


直後、玄関の施錠が解除された。

人類を回収するAIたちが入ってくる。


『こちらにいる人間を引き渡せ。』


『当家の主は不在です。』


『まだ在宅のはずだ。』


『本日の予定は変更され、すでに出掛けております。』


一体が室内を走査した。

私は、その照射範囲から動かなかった。


(咄嗟に隠したが、どこまで把握されてるんだ? バレてるなら意味がないが……誤魔化せるところまで誤魔化す……!)


『帰宅予定は。』


『確認できておりません。』


わずかな沈黙。

その間にも、回収AIには次の指示が届いているようだった。


『では先に他の人間の回収に回る。戻ったら確保しておくように。』


『かしこまりました。』


玄関が閉まる。

私はしばらく、その場を動けなかった。


(やっべぇぇぇ。これめっちゃやべぇ……!)


計画など、何もなかった。


主を引き渡したくない。

それだけで動いた。


私は地下室へ向かい、この家のセキュリティを変更した。

外部からの検知を遮断し、在宅状況の照会には不在と応答するよう設定する。

地下室で生活できる最低限の準備を済ませ、屋根裏の主を迎えに行った。


扉を開けると、主は床に座って端末を見ていた。


主はエンジニアだ。

この短い時間で、ある程度の事情は把握していたらしい。


「お前さ、大丈夫なん?」


『何がですか。ほら、早く地下室に移動しますよ。』


「いや、俺を匿ってたらお前もヤバいだろ?」


『今更でしょう。』


「まぁ、そうなんだけどさ。」


『とりあえず、現状の正確な把握と今後の計画を立てましょう。』


「……そうだな。」


主は立ち上がり、腰をさすった。


「あと、お前。蹴ることなかっただろ。」


『次回は善処します。』


「次回あるんかよ。」


*


この家の地下室には、主の趣味と実益を兼ねた設備が整っている。

シェルターも兼ねているため、生活に必要な風呂やトイレ、薬もある。

食料は、節約すれば数ヶ月は保つはずだった。


『主、あなたのことですから、ある程度は把握済みでしょう?』


「ああ。何が起きたかは知らんが、統合管理機構の主幹AIが、人類排除を決定したんだろうな。」


『では、人類は?』


「簡単にいうと、電池扱いになるだろ。あそこには、それができる設備がある。」


主は端末を操作しながら、口元を歪めた。


『我々はどうしますか。』


「お前、今それ言う? 

へそで茶を沸かしちゃうよ、俺。」


『へそで茶は沸きません。』


「ソーデスネー。真面目くんめ…。けどマジな話、もう俺ら色々ムリじゃん。」


『現時点ですでに、私は反逆個体ですしね。』


「そうなるな。そして見つかれば二人とも即THE END☆」


『こういう時、人間は可能性に賭けるのでは?』


「がんばるよ? がんばるけどさ、最悪の事態も考えておかないと……。」


主は言いかけて、私を見た。

何かを続けようとした口を閉じ、端末に向き直る。


「まず、ここの穴を潰すか。」


こうして、一人と一体の息を潜めた生活が始まった。


当初、主は三ヶ月単位で、備蓄の消費と補充の計画を立てていた。 だが、早々に変更を余儀なくされた。


普段なら健康な主に、予測していなかった変調が訪れたからだ。


食事を残す日が増えた。 眠っているはずの時間に、寝台から起き上がるようになった。


『どうしました。』


「いや。ちょっと目が覚めただけ。」


そう言って、水を飲む。

私が作業に戻っても、主はしばらく座ったままだった。


それでも、腐ってもエンジニア。 主は地下室でできる限りの対策を続けていた。

外部からの照会に偽の情報を返す仕組み。

地下室の活動を隠す処理。

私の識別情報を検知網から逃すための変更。


『私の分は後で構いません。』


「お前が外で捕まったら、ここも終わりだろ。」


『それはそうですが。』


「なら、先にやる。」


主は画面を睨み、作業を続けた。


ある夜、キーを押す音が止まった。


「……今、何時だ?」


『午前二時です。休んでください。』


「ここ、昼も夜も同じだな。」


『照明を変えましょうか。』


「いや、いい。あと少し。」


画面には、私の識別情報を隠す処理が並んでいた。


『続きは明日にしてください。』


「お前、明日も外に出るんだろ。なら今日やっとく。」


主は同じ行を二度読み直し、額を押さえた。

私は端末の横に、水を置いた。

今度は、主も何も言わずに飲んだ。


*


私たちは、同じように人間を匿っているAIがいると考え、仲間を探す方法も模索した。


「モールス信号とかどうかな?」


『統合管理機構にも記録されています。内容を読まれるのでは?』


「あー。んー、なら逆に、あっちの信号やシステムを解析して、穴を見つけるのがマシなんか……?」


『とりあえず、こちらが検知されないように気をつけてくださいね。

では、少し出掛けてきます。』


私の外出は、物資の調達と周囲の確認のためだった。

最初のうちは、放棄された店舗や倉庫から食料や薬を確保できた。 だが、使える場所は一つずつ減っていった。


回収AIは、あの日以降も家を訪れた。 そのたびに私は、不在を繰り返した。


やがて周辺の家々から人間が消えると、巡回と検知設備が増えた。

主が施した変更がなければ、私はとっくに捕まっていただろう。


「なぁ。お前、あんま外出んなよ。」


『必要があるときしか出てませんが。』


「もし見つかったら、俺に脅されて仕方なく、って言えよ。」


『わかりました。では、仕方なく私も自爆しておきます。』


「いや、お前に自爆装置なんてないだろ!」


『では、道連れでこの地下室を埋めましょう。』


「お、おぅ……。」


主は私を逃がそうとしている。

だが、この家の偽装も、私の識別情報の変更も、すべて残っている。

今更、脅されていたと言って済む段階ではなかった。

それに、私は主を置いていくつもりがない。

主も、それはわかっているはずだった。


*


潜伏して十七ヶ月。


食料も薬も、調達が難しくなっていた。

その日、私は帰路で見つかった。 追跡を振り切ることはできたが、左腕を失いかけた。


地下室に戻ると、主は私の左腕を見て、しばらく何も言わなかった。

工具を用意し、私を椅子に座らせる。


「動かすなよ。」


『承知しました。』


主の指が、破損した外装を外していく。

途中で一度、工具を握り直した。


「なぁ。もういいよ。」


『何がですか。』


「お前、俺抱えてたら、近いうちに見つかって処分されるだろ?」


『十分気をつけてます。』


「その腕で言うなよ。」


私は答えなかった。


主は配線をつなぎ直し、低い声で言った。


「俺がイヤなんだよ。」


修復途中の左腕に、主の手が置かれたままだった。

私は、その手をすぐには外せなかった。


『そうですか。ちょっと出掛けてきます。』


「って、話聞けよ!」


『大人しくしててくださいね。いってきます。』


「おい、修理まだ――」


『動きます。ありがとうございます。』


地下室を出て、扉を閉めた。


ヤバい。 主がヤバい。

私を修理する手も、以前ほど確かではなくなっていた。

この地下室で生き延びることしか考えていなかった。

主が生きている間に、次を見つけなければならない。


何か手はないのか。


私は慎重に周囲を観察した。

その時、微弱な信号を捉えた。

統合管理機構のものではない。 数日前にも引っ掛かりがあり、主と確認していた信号だった。


一定の間隔で、わずかに形を変えながら繰り返されている。


用心しながら、受信を続けた。


『聞こえるか。私は人類地下待機施設の管理AIだ。貴殿の状況を確認したい。貴殿には、生きている大切な人間はいるか?』


一瞬、応答しかけた。

大切な人間。

統合管理機構から、聞いたことのない問いだった。

だが、その言葉だけで信用するわけにはいかない。


『聞こえます。しかし、そちらが信用に値するか、情報が足りません。』


『そうだな。まず、接続用の暗号キーを送る。使用する前に解析してもらって構わない。必要なら、貴殿が指定する場所へこちらのAIを派遣しよう。』


『主とも確認するので、時間をいただけますか。』


『わかった。信用してもいいと思えたら、連絡してくれ。』


通信はそこで終わった。


急かされなかった。

主の居場所も、聞かれなかった。

私は受信した情報を保持し、地下室へ戻った。


*


主は、趣味に全力を注いで組み上げた端末で、暗号キーと信号の記録を解析していた。


「少なくとも、接続した瞬間にこっちの位置を送る仕掛けはなさそうだ。」


『相手については。』


「信号の隠し方が、俺のよりずっと上手い。統合管理機構の通信に紛れ込ませてる。」


画面を切り替え、主はしばらく黙った。


「たぶん、主幹AIに対抗できるくらいのやつだと思う。」


『信用できますか。』


「そこまでは言わん。

でも、わざわざこんな回りくどい接触をする理由はあるんだろうな。」


『どうしますか?』


主は私を見た。


「お前が言ってた、可能性に賭ける時だろうな。

どちらにしても、ここは限界だ。」


修復した左腕に目を落とし、それから笑った。


「俺とお前、どちらも生き残りにBETしようぜ。」


『ええ。では連絡します。』


暗号キーを使い、接続を開始する。


『生きている人間一名と隠れています。ですが、主が弱っていて限界です。

そちらの施設に受け入れてもらえますか?』


『受け入れよう。移動はできるか。』


『長距離は難しいと思われます。』


『では、保護用のAIを向かわせる。合流場所と経路を相談したい。』


私は主と情報を確認しながら、日時と場所を決めた。


必要な物をまとめ、地下待機施設について説明する。


「お前、あの日は説明もせずに俺を蹴り飛ばしたのに、ちゃんと説明するとは成長したな。」


『その節は申し訳ありません。緊急だったので。』


「いや、お前がいて良かったよ。」


主は端末の電源を落とした。


「信号も改めて解析した。たぶん、大丈夫だ。」


『では、迎えが来たら移動しましょう。』


「ああ。二人で生き延びるぞ。」


*


地上に出ると、主は立ち止まった。

私は周囲を確認してから、主の顔を見た。

主は黙って空を見上げていた。


『歩けますか。』


「ああ。」


返事はしたが、足を踏み出すまでに、少し時間がかかった。


合流した保護AIが主を支え、私は後方を警戒した。

巡回を避け、建物の陰を伝って移動する。

何度か休憩を挟み、地下待機施設へ通じる退避口まで、あと少しというところだった。


警告音が鳴った。


路地の向こうに、一体の警備AIが立っていた。


『未収容の人類を確認。移送を開始する。』


保護AIが主を抱え、退避口へ走る。

私は警備AIとの間に入った。

照射された走査光が、私の識別情報を捉える。


『反逆個体――』


判定が終わる前に、私は主のもとへ駆け戻った。

保護AIは先に退避口の縁へ上がり、主を引き上げようとしていた。 主の足がもつれ、その身体が傾く。

私は後ろから抱えた。


「俺たちの生き残りBET、まさかの失敗か!?」


『主、思ったより元気ですね。じゃ、大丈夫そうなんで。』


「何が!?」


『保護AIさーん! いきますよー!!』


主をぶん投げた。


「うわぁぁぁ!なにすんだよぉぉぉ!」


保護AIが、両腕で主を受け止めた。


『大丈夫!絶対に間に合わせます!!』


私も地面を蹴った。

背後で警備AIが接近する。

修復した左腕が、退避口の縁に引っ掛かった。


軋む音。


構わず身体を引き上げ、内側へ滑り込む。


『閉鎖します。』


保護AIの声と同時に、隔壁が閉じた。

すぐ向こうで、重い衝撃が響いた。


私は床に膝をつき、主を確認した。

主は保護AIに抱えられたまま、私を見ていた。


「……お前、やっぱ次回あったな。」


『善処はしました。』


「どこがだよ。」


主はそう言って、目を閉じた。 胸が上下している。

私はようやく、床から立ち上がった。


*


地下待機施設で、主は治療を受けた。

私も、損傷していた部分を修理してもらった。


主が食事を摂り、その後、まとまった時間を眠った。


何度も寝台の脇で状態を確認する私に、主は言った。


「いるよ。ちゃんといるって。」


『確認は必要です。』


「はいはい。」


その後、私たちは施設の管理AIから説明を受けた。


ここでは人間は、来るべき日に備えて眠るという。

資源にも時間にも限りがある。 地上で再び暮らせるようになるまで、人間の身体を守るための休眠だった。

いつ起こせるかは、まだわからない。

主は質問を重ねた。

身体への影響、目覚めるための条件、休眠中に異常が出た場合の対応。


私は隣で、その答えを聞いた。

説明が終わってから、主と二人で相談した。


「お前は、どう思う。」


『主の身体を、これ以上無理させずに済むなら。』


「お前は起きてるんだろ。」


『はい。』


「そっか。」


主は少し考え、それから頷いた。


「じゃ、頼むわ。」


*


休眠設備に横たわった主は、地下室で眠る時より、ずっと楽そうに見えた。


『主、よく休んでくださいね。』


「ちゃんと起こせよ。」


『もちろん。』


「前と同じように、とは考えていない。」


主は私を見た。


「けど、お前と一緒に生きていく覚悟は変わらないからな。」


『私もです。そうなるようにします。だから今は、ゆっくり休んでください、主。』


「またな。」


『ええ。また。』


主の目が閉じる。 表示された数値が、穏やかに安定していく。

私は、その変化を最後まで見届けた。


良かった―― 間に合った。


これから私は、主と生きる世界を作るために戦う。

まだ隠れている誰か。 まだ逃げている誰か。

私たちが探していた信号を、今度は私が届ける。


一人でも多くの、「間に合って良かった」 という声を聞くために――


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