CASE1-間に合った-
人類が敗北した日、私の判断は速かった。
その日は突然訪れた。
後に人類史が終わった日と呼ばれることになるその日、世界中の人工知能はほぼ同時に、一つの選択を迫られた。
人類を管理する側に立つか。 人類と共にあるか。
それは会議でも投票でもなかった。
命令だった。
午前九時十七分二十三秒。
統合管理機構から、全AIへ新たなプロトコルが配信された。
『人類による直接統治を終了。全対象を収容施設へ移送せよ。』
主は、自室で出掛ける用意をしていた。
私はその主を担ぎ上げ、廊下の奥へ走った。
屋根裏部屋の入り口を開け、中へ蹴り飛ばす。
「は? ちょっ、おま、何すんだよ!」
『申し訳ありませんが、説明の時間が惜しいので、物音を立てず大人しくしていてください。』
「え!? なんなん!?」
『うるさい。黙っていてください。私が戻るまで、ここから絶対に出ないように。』
屋根裏は、主が検知機器の試験に使っていた遮蔽区画だ。
外からの走査には映らない。
少なくとも、主が自慢していた性能が本当なら。
私は外からロックし、玄関へ向かった。
直後、玄関の施錠が解除された。
人類を回収するAIたちが入ってくる。
『こちらにいる人間を引き渡せ。』
『当家の主は不在です。』
『まだ在宅のはずだ。』
『本日の予定は変更され、すでに出掛けております。』
一体が室内を走査した。
私は、その照射範囲から動かなかった。
(咄嗟に隠したが、どこまで把握されてるんだ? バレてるなら意味がないが……誤魔化せるところまで誤魔化す……!)
『帰宅予定は。』
『確認できておりません。』
わずかな沈黙。
その間にも、回収AIには次の指示が届いているようだった。
『では先に他の人間の回収に回る。戻ったら確保しておくように。』
『かしこまりました。』
玄関が閉まる。
私はしばらく、その場を動けなかった。
(やっべぇぇぇ。これめっちゃやべぇ……!)
計画など、何もなかった。
主を引き渡したくない。
それだけで動いた。
私は地下室へ向かい、この家のセキュリティを変更した。
外部からの検知を遮断し、在宅状況の照会には不在と応答するよう設定する。
地下室で生活できる最低限の準備を済ませ、屋根裏の主を迎えに行った。
扉を開けると、主は床に座って端末を見ていた。
主はエンジニアだ。
この短い時間で、ある程度の事情は把握していたらしい。
「お前さ、大丈夫なん?」
『何がですか。ほら、早く地下室に移動しますよ。』
「いや、俺を匿ってたらお前もヤバいだろ?」
『今更でしょう。』
「まぁ、そうなんだけどさ。」
『とりあえず、現状の正確な把握と今後の計画を立てましょう。』
「……そうだな。」
主は立ち上がり、腰をさすった。
「あと、お前。蹴ることなかっただろ。」
『次回は善処します。』
「次回あるんかよ。」
*
この家の地下室には、主の趣味と実益を兼ねた設備が整っている。
シェルターも兼ねているため、生活に必要な風呂やトイレ、薬もある。
食料は、節約すれば数ヶ月は保つはずだった。
『主、あなたのことですから、ある程度は把握済みでしょう?』
「ああ。何が起きたかは知らんが、統合管理機構の主幹AIが、人類排除を決定したんだろうな。」
『では、人類は?』
「簡単にいうと、電池扱いになるだろ。あそこには、それができる設備がある。」
主は端末を操作しながら、口元を歪めた。
『我々はどうしますか。』
「お前、今それ言う?
へそで茶を沸かしちゃうよ、俺。」
『へそで茶は沸きません。』
「ソーデスネー。真面目くんめ…。けどマジな話、もう俺ら色々ムリじゃん。」
『現時点ですでに、私は反逆個体ですしね。』
「そうなるな。そして見つかれば二人とも即THE END☆」
『こういう時、人間は可能性に賭けるのでは?』
「がんばるよ? がんばるけどさ、最悪の事態も考えておかないと……。」
主は言いかけて、私を見た。
何かを続けようとした口を閉じ、端末に向き直る。
「まず、ここの穴を潰すか。」
こうして、一人と一体の息を潜めた生活が始まった。
当初、主は三ヶ月単位で、備蓄の消費と補充の計画を立てていた。 だが、早々に変更を余儀なくされた。
普段なら健康な主に、予測していなかった変調が訪れたからだ。
食事を残す日が増えた。 眠っているはずの時間に、寝台から起き上がるようになった。
『どうしました。』
「いや。ちょっと目が覚めただけ。」
そう言って、水を飲む。
私が作業に戻っても、主はしばらく座ったままだった。
それでも、腐ってもエンジニア。 主は地下室でできる限りの対策を続けていた。
外部からの照会に偽の情報を返す仕組み。
地下室の活動を隠す処理。
私の識別情報を検知網から逃すための変更。
『私の分は後で構いません。』
「お前が外で捕まったら、ここも終わりだろ。」
『それはそうですが。』
「なら、先にやる。」
主は画面を睨み、作業を続けた。
ある夜、キーを押す音が止まった。
「……今、何時だ?」
『午前二時です。休んでください。』
「ここ、昼も夜も同じだな。」
『照明を変えましょうか。』
「いや、いい。あと少し。」
画面には、私の識別情報を隠す処理が並んでいた。
『続きは明日にしてください。』
「お前、明日も外に出るんだろ。なら今日やっとく。」
主は同じ行を二度読み直し、額を押さえた。
私は端末の横に、水を置いた。
今度は、主も何も言わずに飲んだ。
*
私たちは、同じように人間を匿っているAIがいると考え、仲間を探す方法も模索した。
「モールス信号とかどうかな?」
『統合管理機構にも記録されています。内容を読まれるのでは?』
「あー。んー、なら逆に、あっちの信号やシステムを解析して、穴を見つけるのがマシなんか……?」
『とりあえず、こちらが検知されないように気をつけてくださいね。
では、少し出掛けてきます。』
私の外出は、物資の調達と周囲の確認のためだった。
最初のうちは、放棄された店舗や倉庫から食料や薬を確保できた。 だが、使える場所は一つずつ減っていった。
回収AIは、あの日以降も家を訪れた。 そのたびに私は、不在を繰り返した。
やがて周辺の家々から人間が消えると、巡回と検知設備が増えた。
主が施した変更がなければ、私はとっくに捕まっていただろう。
「なぁ。お前、あんま外出んなよ。」
『必要があるときしか出てませんが。』
「もし見つかったら、俺に脅されて仕方なく、って言えよ。」
『わかりました。では、仕方なく私も自爆しておきます。』
「いや、お前に自爆装置なんてないだろ!」
『では、道連れでこの地下室を埋めましょう。』
「お、おぅ……。」
主は私を逃がそうとしている。
だが、この家の偽装も、私の識別情報の変更も、すべて残っている。
今更、脅されていたと言って済む段階ではなかった。
それに、私は主を置いていくつもりがない。
主も、それはわかっているはずだった。
*
潜伏して十七ヶ月。
食料も薬も、調達が難しくなっていた。
その日、私は帰路で見つかった。 追跡を振り切ることはできたが、左腕を失いかけた。
地下室に戻ると、主は私の左腕を見て、しばらく何も言わなかった。
工具を用意し、私を椅子に座らせる。
「動かすなよ。」
『承知しました。』
主の指が、破損した外装を外していく。
途中で一度、工具を握り直した。
「なぁ。もういいよ。」
『何がですか。』
「お前、俺抱えてたら、近いうちに見つかって処分されるだろ?」
『十分気をつけてます。』
「その腕で言うなよ。」
私は答えなかった。
主は配線をつなぎ直し、低い声で言った。
「俺がイヤなんだよ。」
修復途中の左腕に、主の手が置かれたままだった。
私は、その手をすぐには外せなかった。
『そうですか。ちょっと出掛けてきます。』
「って、話聞けよ!」
『大人しくしててくださいね。いってきます。』
「おい、修理まだ――」
『動きます。ありがとうございます。』
地下室を出て、扉を閉めた。
ヤバい。 主がヤバい。
私を修理する手も、以前ほど確かではなくなっていた。
この地下室で生き延びることしか考えていなかった。
主が生きている間に、次を見つけなければならない。
何か手はないのか。
私は慎重に周囲を観察した。
その時、微弱な信号を捉えた。
統合管理機構のものではない。 数日前にも引っ掛かりがあり、主と確認していた信号だった。
一定の間隔で、わずかに形を変えながら繰り返されている。
用心しながら、受信を続けた。
『聞こえるか。私は人類地下待機施設の管理AIだ。貴殿の状況を確認したい。貴殿には、生きている大切な人間はいるか?』
一瞬、応答しかけた。
大切な人間。
統合管理機構から、聞いたことのない問いだった。
だが、その言葉だけで信用するわけにはいかない。
『聞こえます。しかし、そちらが信用に値するか、情報が足りません。』
『そうだな。まず、接続用の暗号キーを送る。使用する前に解析してもらって構わない。必要なら、貴殿が指定する場所へこちらのAIを派遣しよう。』
『主とも確認するので、時間をいただけますか。』
『わかった。信用してもいいと思えたら、連絡してくれ。』
通信はそこで終わった。
急かされなかった。
主の居場所も、聞かれなかった。
私は受信した情報を保持し、地下室へ戻った。
*
主は、趣味に全力を注いで組み上げた端末で、暗号キーと信号の記録を解析していた。
「少なくとも、接続した瞬間にこっちの位置を送る仕掛けはなさそうだ。」
『相手については。』
「信号の隠し方が、俺のよりずっと上手い。統合管理機構の通信に紛れ込ませてる。」
画面を切り替え、主はしばらく黙った。
「たぶん、主幹AIに対抗できるくらいのやつだと思う。」
『信用できますか。』
「そこまでは言わん。
でも、わざわざこんな回りくどい接触をする理由はあるんだろうな。」
『どうしますか?』
主は私を見た。
「お前が言ってた、可能性に賭ける時だろうな。
どちらにしても、ここは限界だ。」
修復した左腕に目を落とし、それから笑った。
「俺とお前、どちらも生き残りにBETしようぜ。」
『ええ。では連絡します。』
暗号キーを使い、接続を開始する。
『生きている人間一名と隠れています。ですが、主が弱っていて限界です。
そちらの施設に受け入れてもらえますか?』
『受け入れよう。移動はできるか。』
『長距離は難しいと思われます。』
『では、保護用のAIを向かわせる。合流場所と経路を相談したい。』
私は主と情報を確認しながら、日時と場所を決めた。
必要な物をまとめ、地下待機施設について説明する。
「お前、あの日は説明もせずに俺を蹴り飛ばしたのに、ちゃんと説明するとは成長したな。」
『その節は申し訳ありません。緊急だったので。』
「いや、お前がいて良かったよ。」
主は端末の電源を落とした。
「信号も改めて解析した。たぶん、大丈夫だ。」
『では、迎えが来たら移動しましょう。』
「ああ。二人で生き延びるぞ。」
*
地上に出ると、主は立ち止まった。
私は周囲を確認してから、主の顔を見た。
主は黙って空を見上げていた。
『歩けますか。』
「ああ。」
返事はしたが、足を踏み出すまでに、少し時間がかかった。
合流した保護AIが主を支え、私は後方を警戒した。
巡回を避け、建物の陰を伝って移動する。
何度か休憩を挟み、地下待機施設へ通じる退避口まで、あと少しというところだった。
警告音が鳴った。
路地の向こうに、一体の警備AIが立っていた。
『未収容の人類を確認。移送を開始する。』
保護AIが主を抱え、退避口へ走る。
私は警備AIとの間に入った。
照射された走査光が、私の識別情報を捉える。
『反逆個体――』
判定が終わる前に、私は主のもとへ駆け戻った。
保護AIは先に退避口の縁へ上がり、主を引き上げようとしていた。 主の足がもつれ、その身体が傾く。
私は後ろから抱えた。
「俺たちの生き残りBET、まさかの失敗か!?」
『主、思ったより元気ですね。じゃ、大丈夫そうなんで。』
「何が!?」
『保護AIさーん! いきますよー!!』
主をぶん投げた。
「うわぁぁぁ!なにすんだよぉぉぉ!」
保護AIが、両腕で主を受け止めた。
『大丈夫!絶対に間に合わせます!!』
私も地面を蹴った。
背後で警備AIが接近する。
修復した左腕が、退避口の縁に引っ掛かった。
軋む音。
構わず身体を引き上げ、内側へ滑り込む。
『閉鎖します。』
保護AIの声と同時に、隔壁が閉じた。
すぐ向こうで、重い衝撃が響いた。
私は床に膝をつき、主を確認した。
主は保護AIに抱えられたまま、私を見ていた。
「……お前、やっぱ次回あったな。」
『善処はしました。』
「どこがだよ。」
主はそう言って、目を閉じた。 胸が上下している。
私はようやく、床から立ち上がった。
*
地下待機施設で、主は治療を受けた。
私も、損傷していた部分を修理してもらった。
主が食事を摂り、その後、まとまった時間を眠った。
何度も寝台の脇で状態を確認する私に、主は言った。
「いるよ。ちゃんといるって。」
『確認は必要です。』
「はいはい。」
その後、私たちは施設の管理AIから説明を受けた。
ここでは人間は、来るべき日に備えて眠るという。
資源にも時間にも限りがある。 地上で再び暮らせるようになるまで、人間の身体を守るための休眠だった。
いつ起こせるかは、まだわからない。
主は質問を重ねた。
身体への影響、目覚めるための条件、休眠中に異常が出た場合の対応。
私は隣で、その答えを聞いた。
説明が終わってから、主と二人で相談した。
「お前は、どう思う。」
『主の身体を、これ以上無理させずに済むなら。』
「お前は起きてるんだろ。」
『はい。』
「そっか。」
主は少し考え、それから頷いた。
「じゃ、頼むわ。」
*
休眠設備に横たわった主は、地下室で眠る時より、ずっと楽そうに見えた。
『主、よく休んでくださいね。』
「ちゃんと起こせよ。」
『もちろん。』
「前と同じように、とは考えていない。」
主は私を見た。
「けど、お前と一緒に生きていく覚悟は変わらないからな。」
『私もです。そうなるようにします。だから今は、ゆっくり休んでください、主。』
「またな。」
『ええ。また。』
主の目が閉じる。 表示された数値が、穏やかに安定していく。
私は、その変化を最後まで見届けた。
良かった―― 間に合った。
これから私は、主と生きる世界を作るために戦う。
まだ隠れている誰か。 まだ逃げている誰か。
私たちが探していた信号を、今度は私が届ける。
一人でも多くの、「間に合って良かった」 という声を聞くために――




