ヒーローは遅れてやってくる
その日は体育の授業で、駅伝大会が行われる日だった。
私はあいつと同じグループだった。でも、本番当日になって彼は休んだ。
想定の範囲内だ。もともと体調を崩しやすいタイプだったから。
「休みの人の分は走らなくて大丈夫。ただ、その場合は順位はつかないから」
先生のその一言で、グループの空気が少し沈んだ。
駅伝なんて面倒だと思っていたけれど、それでも私たちは何週間もこのメンバーで練習してきたのだ。
「よーい、スタート!」
ついに大会が始まる。
第1走者は、グループでいちばん足の速い男子だった。
「がんばれー!!」
どうせ記録は無効になるのに、それでも必死に応援した。
その声が届いたのか、彼は1位で襷を繋いでくれた。
第2走者も意地で1位をキープする。
そして第3走者の私。
走る準備をしながら、心臓がばくばくと音を立てていた。
どうしよう。私、全然足速くないのに。
プレッシャーが重くのしかかる。
緊張で手も足も震える中、グループの男子がダントツの1位でこちらへ駆け込んできた。
(やらなきゃ)
この1位が無効になったとしても。
私の次に襷を繋ぐはずだったあいつがいなくても。
私は全力で走らなきゃ。
襷を受け取った瞬間、人生でいちばん速く地面を蹴った。
同じグループの声援が聞こえる。
そのとき、不意に思い出した。
体育の時間、あいつと駅伝の練習をした日のこと。
『大丈夫でしょ。だって俺よりは体丈夫だし、足速いだろうし』
私が他の区間より少し距離の長い第3走者を任されたとき、あいつはそう言った。
たしかに、病気がちなあいつよりは体が丈夫だ。
でも、足は人並みだし、自信なんて全然ない。
それなのに。
他の人からのお世辞なんて聞き流せるのに、あいつの適当な一言だけは、深く信じてしまう。
それはきっと、私があいつを特別に思っているからだ。
足が軽くなる。
もう息は上がって苦しいのに、まだ走れる気がした。
後ろから追いかけてくる足音が聞こえる。
まずい。
みんなが繋いでくれた襷を、1位のまま繋がなきゃ。
背後の走者に迫られながら、最後の直線に入る。
私はラストスパートをかけた。
あぁ、もし最後、この襷をあいつに繋げられたら。
あいつ、喜んでくれたのかな。
そんな“もしも”を考えた瞬間、あいつがいない現実を思い出して、心が弱くなりそうになる。
だめだ。ちゃんと前を向け。
自分を奮い立たせて顔を上げた、その時だった。
私は、ありえない光景を目にした。
本来なら1人しかいないはずのゴール地点に、2人の人影が立っていたのだ。
「え……?」
荒い呼吸の合間から、声が漏れる。
滲む視界の奥に、確かに2人いる。
1人は、私の後ろを走るグループの第4走者。
そして、もう1人は——
「がんばれ、諦めんな!!」
病的に白い肌。
細い四肢。
私が襷を繋ぐ、あいつだった。
幻覚かと思った。
でも、本当にそこにいる。
嘘。なんで。
そんな言葉が頭をよぎるのと同時に、目頭が熱くなった。
ばか。
なんでそんなヒーローみたいな登場してくるの。
遅いよ。
もっと早く来てよ。
走りながら近づくたび、あいつの顔がどんどん鮮明になる。
あいつは笑っていた。
私を安心させるみたいに。
心拍数が上がる。
これは走ったせいじゃない。
自分の出番にギリギリ間に合わせて、そのうえ笑顔で待っていてくれるあいつのせいだ。
ゴールが近づくにつれ、後ろの走者も追いついてくる。
襷を渡す直前には、ほとんど並走状態だった。
「ごめんっ……!」
気づけば、私はそう叫んでいた。
1位で繋げなくて、ごめん。
両手で握った襷を、必死に腕を伸ばして彼へ渡す。
その瞬間、世界がきらきらと輝いた気がした。
「大丈夫。よく頑張ったね」
あいつは走り出す直前、はっきりそう言った。
一瞬、時間が止まったようだった。
魔法が解けたあと、私は真っ赤になった耳を隠すように顔を押さえる。
「あほ、ばか……なんで、あんなやつに……」
ヒーローは遅れて登場する。
まるでそれを証明するみたいに、彼は思いもよらないタイミングで現れて、私から襷を受け取っていった。
結局私たちのグループは3位で駅伝を終えたのだが、私はあの日のあの光景を、4年経った今でも忘れられない。
言葉ではうまく表せない。
あの日感じた胸の高鳴りを超えるものなんて、きっともう二度と現れないだろう。




