第8話「ライバルの登場?」
猫カフェでの衝撃的な遭遇を経て、私の黒崎部長への恋心は、もはや制御不能なレベルに達していた。会社で見る彼の厳しい横顔と、休日に見たあのデレデレの表情。その二つが頭の中で交互に再生され、仕事に集中するのも一苦労だった。
プロジェクトの大成功は、社内での私の評価を大きく引き上げてくれた。今まで話したこともなかった他部署の人から「水無月さん、すごいね」と声をかけられることも増えた。それは素直に嬉しかったが、同時に、良くない波風も立てていたらしい。
「莉奈さん、お疲れ様です!」
給湯室でコーヒーを淹れていると、背後から可愛らしい声がかかった。振り返ると、そこにいたのは、一年後輩の姫野マリアさんだった。ふわふわの巻き髪に、ぱっちりとした瞳。社内でもアイドル的な人気を誇る、庇護欲をそそるタイプの女の子だ。
「姫野さん、お疲れ様」
にこやかに挨拶を返す。彼女はいつも笑顔で、人当たりもいい。しかし、私の能力は、その笑顔の裏にある本音を容赦なく暴き出す。
(……なんで、こんな地味な人が黒崎部長のプロジェクトに……。しかも、最近やけに部長に気に入られてるって噂だし。信じられない)
チリ、と胸に小さな棘が刺さるような感覚。まただ。この感覚にはもう慣れたはずなのに、やはり気持ちのいいものではない。
姫野マリアさんは、以前から黒崎部長に熱烈な好意を寄せていることで有名だった。何かと理由をつけては部長に話しかけ、健気なアピールを繰り返している。もちろん、部長は彼女の媚びるような態度を全く意に介さず、いつも塩対応で返しているのだが。
プロジェクトの成功で私が注目されるようになったのが、彼女には面白くないのだろう。
「莉奈さん、プロジェクト、大変でしたよね? 私、莉奈さんのこと、本当に尊敬しちゃいます!」
(どうせ、部長に色目使って取り入っただけでしょ。地味な顔して、やることだけはしっかりやってるんだから)
……辛辣。あまりにも辛辣すぎる。笑顔で尊敬を口にしながら、心の中では罵詈雑言のオンパレード。このギャップには、さすがの私も少しだけ眩暈がした。
私は、波風を立てるのが嫌だった。彼女の心の声が聞こえることも、もちろん誰にも言えない。だから、いつも通り、気づかないふりをして、曖昧に微笑むだけだ。
「ありがとう。でも、私一人の力じゃないよ。チームみんなで頑張ったから」
「謙虚だなぁ。そういうところも、部長に好かれるポイントなのかも」
(あー、むかつく! 私の方が絶対可愛いし、仕事だってできるのに! 部長の好み、どうなってんのよ!)
心の中がやかましい。私は早々に会話を切り上げたくて、「ごめん、仕事が残ってるから」と、そそくさとその場を後にした。
それからというもの、マリアさんの私への風当たりは、日に日に強くなっていった。もちろん、表向きは天使のような笑顔を振りまきながら。
私が作った資料に、わざとコーヒーをこぼす。(もちろん、事故を装って)
私が電話対応している間に、私のデスクのペンを全部隠す。(幼稚ないたずらだ)
私が部長に報告に行こうとすると、絶妙なタイミングで割って入り、「部長、これ、急ぎの案件なんですけどぉ」と邪魔をする。
そのたびに、彼女の心の中からは、「ざまぁみろ」「これで少しは困るでしょ」「部長は私だけを見てればいいのよ」という、およそ彼女の可憐なルックスからは想像もつかないような、どす黒い声が聞こえてくる。
私は、面倒な争いごとは避けたかった。下手に騒ぎ立てれば、私が彼女をいじめている、なんて噂を流されかねない。彼女は、そういう世渡りが恐ろしく上手いタイプだ。だから、私はひたすら耐え、彼女の嫌がらせを黙って処理し続けた。
しかし、そんな私の態度は、彼女をさらに増長させるだけだった。彼女の嫌がらせは、徐々にエスカレートしていく。そして、ついに、仕事の根幹に関わる、悪質な妨害へと発展してしまったのだ。
それは、私が次の新規プロジェクトで担当することになった、クライアントへのプレゼン資料を作成している時のことだった。締め切りを明日に控え、私は最後の追い込みをかけていた。
その時だった。マリアさんが「莉奈さーん、ちょっといいですかー?」と、例の猫なで声で私を呼んだ。別の部署の部長が私を呼んでいる、と言うのだ。不審に思いながらも、席を外すわけにもいかず、私は数分だけその場を離れた。
そして、デスクに戻ってきた時、異変に気づいた。机の上に置いておいたはずの、プレゼン資料のデータが入ったUSBメモリが、どこにもないのだ。
サーッと血の気が引いた。あれがなければ、明日のプレゼンはできない。私は必死でデスク周りを探した。カバンの中も、書類の山も、全てひっくり返して探した。しかし、どこにもない。
ふと、マリアさんの方に目をやると、彼女は私に背を向けてパソコンに向かっている。でも、その肩が、楽しそうに僅かに震えているのが見えた。そして、私の頭の中に、勝利を確信したかのような、意地の悪い声が響いてきた。
(ふふっ、ざまぁないわね。あのUSBは、私の引き出しの中よ。明日の朝、あんたが真っ青になってるところを、みんなの前で助けてあげる。そうすれば、部長も私のことを見直してくれるはずよ)
……最悪だ。
私は、怒りと絶望で、頭が真っ白になった。




