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心の声が聞こえる私が唯一思考を読めない鬼部長、その本音は「にゃーん♡」という猫の声にしか聞こえませんでした  作者: 水凪しおん


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第11話「彼の過去と猫の影」

 自分の恋心をはっきりと自覚し、そしてそれから逃げないと決めたものの、私と黒崎部長の関係が劇的に変わるわけではなかった。私は相変わらずの一営業部員で、彼は恐れられる鬼部長。ただ、私の彼を見る視線に、以前よりも熱がこもるようになっただけだ。


 そんなある日、思わぬところから、彼の過去に触れる機会が訪れた。


 新しい取引先の担当者として、私と黒崎部長は、あるIT企業のオフィスを訪れていた。商談は和やかな雰囲気で進み、契約も無事に締結。ほっと一息ついた雑談の時間でのことだった。


 相手方の担当部長である、相沢さんという柔和な男性が、黒崎部長の顔を見て、懐かしそうに目を細めた。


「しかし、黒崎くんがこんな立派な部長になるとはなぁ。俺が君と初めて会ったのは、まだ君が新入社員の頃だったもんな。時間が経つのは早いもんだ」


「相沢さんには、その節は大変お世話になりました」


 黒崎部長が、珍しく、少しだけ表情を和らげて頭を下げる。どうやら、二人は旧知の仲らしい。


「いやいや。それにしても、君は昔から変わらないな。真面目で、仕事ができて、そして、驚くほど口下手で不器用なところも」


 相沢さんは、カラカラと明るく笑った。私は、その言葉に、思わず耳をそばだてた。黒崎部長の昔の話。すごく、聞きたい。


「やめてください、相沢さん。部下の前です」


 黒崎部長は、少しバツが悪そうに咳払いをする。その様子がなんだか新鮮で、私はこっそりと口元を緩めた。


「ははは、悪い悪い。でも、本当にそうなんだよ、水無月さん。この男はね、昔から不器用で損してばっかりなんだ。本当は優しいやつなのに、それが全然表に出ない。むしろ、誤解されて敵を作ることの方が多いくらいでね」


 相沢さんの言葉に、私は心の中で大きく頷いた。分かります、と。その不器用さは、今も健在です、と。


「特に、あいつを亡くしてからは、一層、無口になっちゃってなぁ……。見ていて心配だったよ」


「あいつ……?」


 私が思わず聞き返すと、相沢さんは、ああ、と頷いた。


「昔、こいつ、猫を飼ってたんだよ。シロっていう名前の、真っ白な綺麗な猫でね。本当に、自分の子供みたいに可愛がってた。仕事でどんなに疲れて帰っても、シロの顔を見れば元気が出るって、いつも言ってたんだ」


 シロ。

 彼の飼っていた猫の名前。その響きが、私の胸にすとんと落ちてきた。


「でも、そのシロが、病気で急に死んじまってね……。あいつの落ち込みようは、見ていられなかった。俺が知る限り、あいつが人前で涙を見せたのは、後にも先にもあの時だけだよ。それからかな。あいつが、自分の殻に閉じこもるように、前にも増して無口で、ストイックになったのは」


 相沢さんの話を聞きながら、私は、隣に座る黒崎部長の横顔を盗み見た。彼は、黙って窓の外を眺めている。その表情は、いつも通り無表情に見える。けれど、その奥に、深い悲しみと、寂しさの影が揺らめいているように感じた。


 そして、彼の心の中から、か細く、そして切ない声が聞こえてきた。


(……シロ……会いたい……にゃ……)


 その声を聞いた瞬間、私の胸は、きゅっと締め付けられるように痛んだ。


 彼の心の声が「猫」なのは、ただ単に猫が好きだから、というだけではなかったのだ。彼にとって、猫は、心の支えであり、愛情を注ぐ対象であり、そして、失ってしまった、かけがえのない存在のシンボルだったのかもしれない。


 厳しい言葉で自分を武装し、仕事に没頭することで、彼は、その悲しみや寂しさから、自分自身を守っていたのではないだろうか。彼の不器用さや、優しさの根源に、ほんの少しだけ触れた気がした。


 シロという猫は、もういない。けれど、彼の心の中には、今もずっと、その猫の影が寄り添っているのだ。彼の心の一番柔らかくて、純粋で、そして傷つきやすい部分。それが、「猫の声」となって、私のところにだけ届いている。


 そう思うと、彼の心の声が、今まで以上に愛おしく感じられた。


 商談を終え、会社に戻る帰り道。私たちは、並んで歩いていた。


「あの、部長」


 私は、意を決して彼に話しかけた。


「部長は、猫、お好きなんですか?」


 私の言葉に、彼はぴたりと足を止めた。そして、少し驚いたように、私の顔を見た。


「……なぜ、それを」


「あ、いえ……なんとなく、です! 雨の日に子猫を助けていらっしゃったのをお見かけしましたし、それに、ほら、猫って可愛いじゃないですか!」


 私は、慌てて付け加えた。彼のプライベートに踏み込みすぎただろうか。不快にさせてしまっただろうか。


 しかし、彼の反応は、私の予想とは違っていた。彼は、ふっと、本当に僅かに、口元を緩めたのだ。


「……ああ。好きだ」


 はっきりと、そう言った。そして、少しだけ、遠い目をした。


「昔、飼っていたんだ。白くて、少し生意気なやつを」


 その声は、驚くほど、穏やかで、優しかった。


 その日、私は、彼の心の奥底にある、大きな悲しみの影と、それと同じくらい大きな、深い愛情の存在を知った。そして、いつか、彼のその寂しさを、私が少しでも癒せるような存在になれたら。そんな、おこがましいかもしれない願いが、私の心の中に、静かに芽生えていた。

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