表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

おやすみ、世界

作者: Y太郎
掲載日:2026/01/14

朝は、落下から始まる。


何もない空間に、身体だけを置き去りにされる感覚。

上も下も分からないまま、意識だけがずるりと沈んでいく。

もう慣れてしまった、浮遊感。


「……っ」


天井。布団。自分の部屋。

落ちていたはずの身体は、いつも通りベッドの上にある。


目覚めのたびに訪れるこの感覚は、もう何ヶ月も前から続いている。

重力はあるはずなのに、身体だけがそれを信用していないみたいだった。


髪をかき上げて、上半身を起こす。

その瞬間、視界の端で色が跳ねる。


洗面所の鏡に映った私は、いつも通り、壊れていた。


黒髪のはずの地毛に、蛍光色の緑とピンクが混じっている。

染めた覚えはない。

美容院にも行っていない。

ただ、ある日を境に、こうなった。


「……ほんと、意味分かんない」


声に出しても、答えは返ってこない。

どう見ても変な髪。でも今は、普通の髪の自分を想像できない。

それくらい、この髪に慣れてしまっていた。


支度を済ませ、家を出る。

空気は澄んでいて、朝としては完璧だった。


駅へ向かう途中、立ち止まる。

忘れるところだった。


空を見上げる。


雲を押し潰すように、空に固定された巨大な影。

北半球のどこからでも見えると言われる、もう一つの大陸。

落ちれば終わりだと、誰もが分かっているのに、何年も前からそこに浮かび続けている。


それが、この世界の日常だった。


「……おはよう、世界」


誰に聞かせるでもなく呟いて、歩き出す。



ハルトと待ち合わせをして、学校へ向かった。


同じ道を歩いているはずなのに、景色が違う。


「今日は建物、真っ白だな」

「昨日はちょっと緑っぽかったよね」


気にすることもなく、他愛ない話を続ける。

友達のこと、部活のこと、昨日見た動画のこと。

気づけば、学校に着いていた。


靴箱の前で立ち止まる。


「あれ……?」


自分の名前を探して、視線を滑らせる。

あるはずの場所に、ない。


「ねえハルト。私の靴箱、ここだっけ」


隣で靴を脱いでいたハルトが、ちらりとこちらを見る。


「どうだろうな。俺は昨日と変わってないけど……一個ずれてる気もするな」


「やっぱり?」


「でも、最初からそうだったんじゃないか?」


そう言われると、反論できなくなる。

自分の記憶が正しい証拠は、どこにもない。


「……まあ、そうだったかな」


そう言って、靴を入れた。


廊下を歩く。

いつも通り、静かだ。


「なあ」


少しして、ハルトが言う。


「廊下、長くないか?」


「急にどうしたの」


「さっきから歩数数えてるんだけど、もう三百歩超えてる」


「そんなわけないでしょ」


そう返しながら、前を見る。

確かに、教室が遠い。


「……うちの学校、廊下長いからじゃない?」


「にしても限度あるだろ」


しばらく歩いて、私も確信する。


「……長いね」


胸の奥が、少しざわつく。


怖くなって、無意識に歩調を速めた。

ハルトもつられて、駆け足になる。


次の瞬間。


教室の前に立っていた。


「着いた……?」

「異変だな」


あっさりした声だった。

私も、さっきまでの不安を忘れて、教室に入る。


「おはよー」

「廊下長かったね」

「駆け足じゃないと抜けられないらしいよ」


教室は、いつも通りだった。


先生が入ってきて、朝のホームルームが始まる。


「今日は廊下が長い。駆け足で通れ。走るなよ」


淡々とした注意。

どこか他人事みたいに聞き流す。


それでも、一日は進んでいく。



放課後、部活がなかった私たちは、一緒に帰った。


「今日の数学の小テスト、クソ問じゃなかった?」

「あれな。嫌がらせだろ」

「ね」


ぽつり、と雨が落ちる。

すぐに本降りになる。


「やば、傘ない」

「俺も」


そのまま、濡れながら歩く。


「そういえばさ」


雨音にまぎれて、私が言う。


「靴箱、帰るときは元に戻ってた」

「そうだったのか?」


少し考えて、ハルトは首を傾げた。


「違和感なかったけどな」


「……そっか」


「まあ、異変ってそんなもんだよな」


慣れた口調。


「そんなもん、かな」


自分に言い聞かせるみたいに、答えた。


分かれ道に着く。


「また明日な」

「うん、また明日」


一人になって、空を見上げる。


大陸は、朝と同じ位置にある。

――少し低い気もするけれど。


気のせいだと思うことにして、家へ向かう。


今日はもう外に出ない。

玄関の前で、いつも通り、呟いた。


「おやすみ、世界」


変わっていない。

そういうことにして、私は世界に背を向けた。


 読んでいただきありがとうございます!下から評価をお願いします!ブックマークも頂けたら嬉しいです!次回もお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
空に浮かぶ巨大な大陸や朝の落下の感覚といった異常が当たり前に存在している日常の描写に引き込まれましたし、髪の色が変わったり廊下の長さが伸び縮みしたりといった奇妙な出来事に対して主人公やハルトが淡々と順…
2026/01/15 02:00 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ