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第4話|みんな、コーヒーが好きなんだ

 ゴールデンウィークがあけた午後、私はこれまでとは違う気持ちでオフィスのドアを開けた。

 カバンの中には、あの店で買った『モカハラー』の豆が入っている。今回買った豆は、挽かれていない。自分のために買ったのではなくて、みんなに飲んでもらいたくて買った豆だから。

 心の中で、小さく意気込んでいた。オフィスの空気は、いつもと変わらないはずなのに、なんだか少し違う気がする。


「ただいま戻りました。」


 みんながそれぞれのデスクに座り、パソコンを叩く音が響く中、私はいつものように給湯室に向かった。

 電動コーヒーミルのスイッチを入れ、『モカハラー』の袋を開けると、芳醇な香りがふわっと広がる。ゴールデンウィーク中、何度も試した香りが、オフィスにも広がっていく。


「…うん、大丈夫。」


 自分に言い聞かせながら、豆を挽く。ドリッパーにペーパーをセットし、ゆっくりとお湯を注ぐ。お湯が粉に触れた瞬間、ふわっと膨らむコーヒーの粉を見て、少しだけ嬉しくなった。


「おっ、豆変えた?」


 ふいに後ろから声がした。振り返ると、先輩の田村さんが立っていた。


「あ、ええ、ちょっと豆を変えてみたんです。」


 思わず緊張しながら答えると、田村先輩は興味津々といった様子でカウンターの上の豆の袋を手に取った。


「モカハラーか、エチオピアだったっけな。」

「はい、エチオピアの豆みたいです。」

「そうか、楽しみにしてるよ。」


 先輩は興味深そうに豆の香りをかぎながら、楽しそうに笑った。

 コーヒーをいれ終わり、カップを配る。


「いつもありがとうね。」


 軽く挨拶を交わしながらカップを置いていく。いつもと変わらない光景のはずだった。でも、口をつけようとした先輩の一人が、ふと顔を上げて私に話しかけてきた。


「あれ、香りが違う。豆変わった?」

「そうなんです」


 思わず驚き、先輩を見ると、先輩はニヤリと笑った。


「いや、これ、美味しいよ。ありがとう。」


 その言葉を聞いた瞬間、私は胸がじんわりと温かくなった。すると、隣のデスクの先輩もカップを手に取り、くんくんとかいでいる。


「本当だ、いつもと違う、全然違う。」

「え、マジで。」


 そんな会話がオフィスのあちこちから聞こえてきた。私は心の中でガッツポーズをした。


 ちょっとして、トイレに行って戻ってきたら、デスクにお菓子が置いてあった。そして、田村先輩がデスクから声をかけてきた。


「今日のコーヒー、本当に美味しかったよ。そのお菓子は、俺からの差し入れ。小腹すいたら食べて。」

「ありがとうございます!」


 嬉しさがこみ上げると同時に、「明日もまた頑張っていれたい」という気持ちが自然と湧いてきた。と同時に、驚いた。みんな、コーヒーが好きなんだ。

 その日は、なんだか作業がはかどらなかった。周囲に目を向けると、みんな、私のいれたコーヒーを片手に仕事をしている。

 田村先輩は、軽くカップを揺らしながら、何かを考え込んでいる。思わずニヤケそうになるのをこらえるので一生懸命だった。


「コーヒーが美味しいって言われるの、こんなに嬉しいものなんだ。」


 そんなことを考えながら、心の奥がじんわりと温かくなっているのを感じた。


 翌日、私は少し早めに出社した。朝一番、みんなが来る前に、熱いコーヒーを飲みたかった。

 いや、自分が飲みたいというよりは、自分が飲んで、美味しいと思ったコーヒーを、みんなにも飲んでもらいたい。その方が、自分も落ち着いてコーヒーを飲めるし、みんなにもっと美味しいコーヒーを飲んでもらえる気がした。


「おはよう、今日もよろしくね。」


 私より少し遅れて出社した先輩が声をかけてくれた。


「おはようございます、今日も昨日と同じコーヒー豆でいいですか?」

「もちろんだよ、楽しみにしてるよ。」


 夕方、先輩の1人が、私のデスクに近寄ってきた。


「みゆきさん、コーヒーいれるの、上手だよね。よかったらこれ、明日の朝か夕方、いれてみてくれない?」


 そう言うと、その先輩は、ビニール袋から豆のパッケージを取り出した。


「実はさ、近くの豆屋さんで、たまにしか買えない豆があるんだよ。今日たまたま売ってたから、買ってきちゃった。めっちゃ高いんだぜ。これをみゆきさんに託したい。」


 私は、ちょっとドギマギしながらつぶやいた。


「ゲイシャ?なんか、面白い名前ですね。でも、美味しくいれられなかったら、ごめんなさい…。」

「大丈夫、みゆきさんなら、2~3日のうちに、美味しくいれられるようになるよ。もし、この200gでまだもう少しって感じだったら、また買ってくるから、好きなように使って。」

「ありがとうございます、頑張ります!」


 コーヒーが、私と職場のみんなをつなげていく。そして、つい最近まで、仕事でも何でもない、ただのハラスメントだったコーヒーが、私の中で、特別なものに変わった。

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