第1話|この会社は踏み台でしかない
「…はぁ。」
朝起きるたびに出るのは、あくびじゃなくてため息。
土日の朝だけ、あくびが出るのはどうしてだろう。もしかすると、不安や不満の無い時にしか、あくびって出ないのかもしれない。
目覚まし時計が鳴るよりも前に目が覚める。これはもう習慣。ベッドの上で、しばらく天井を見つめる。そして少ししたら、目覚まし時計が鳴って、起き上がる。
大学時代、私の未来は、もう少し楽しいものだと思っていた。安定した企業、ほどよい忙しさ、定時退社、友達との充実した時間、ステキなオトナ――そんな理想を描いていた。
現実は違った。就職活動では、書類選考すら通らないことが続いた。拾ってくれたのは、地元の小さな広告会社。地元の小さな広告会社といっても、なかなか面白い仕事も多そうだったので、親にも相談して、就職を決めた。
この会社は単なる踏み台。小さい会社だからこそ、難しい仕事にどんどん挑戦して、経験を積んで、とっとと転職しよう、そう思っていた。でも現実は、事務処理と雑務ばかりだった。
入社して早々、社長に言われた言葉を思い出す。
「みゆきさん、コーヒーいれてもらえる?」
最初は笑って「はい」と答えたけれども、気付けばまさかのコーヒー係。毎日のルーティンになるとは思わなかった。
朝、オフィスでは、毎日同じ光景が広がっている。パソコンのキーボードを叩く音、電話の呼び出し音。オフィス内は禁煙なので、どこかにタバコを吸いに行って、空になっている席もある。
「おはようございます。」
朝オフィスにつくと、私は黙々とお湯を沸かして、電動コーヒーミルで、コーヒー豆を挽く。粉と何が違うんだろう?と思うけれども、これは社長のこだわりらしい。ペーパーフィルターを用意して、人数分のコーヒーをいれる。
社長や先輩のコーヒーを準備する。デスクに運ぶと、誰もが当然のように受け取る。
「みゆきさん、いつもありがとう。」
「どう致しまして。」
軽くお礼を言われるけれども、たぶんお互い、ただのルーティン。受け取った先輩が、パソコンの画面を見ながら、コーヒーを一口すする。でも、あれは、まだ絶対に熱いはず。少しだけすすって、すぐカップを置く。
仕事中のコーヒーなんて、どうせ冷えるんだから、インスタントで十分じゃない?美味しいのが飲みたければ、テイクアウトした方が美味しいって。それでもこだわりたいなら、コーヒーなんて、自分でいれればいいじゃない。
心の中で何度つぶやいたことか。こんな単純作業をしても、転職に役立つスキルにはならない。思えば、入社してそろそろ1か月。この会社でちゃんとまともに教わったことと言えば、コーヒーの道具の使い方と、経理とかの入力の仕方ぐらいだった。
入社して2週間ぐらいから、カレンダーを見るたびに『転職』の二文字が頭をよぎるようになった。
昨日の昼休み、たい焼きを買って公園で食べた。ベンチに座っていると、近くの主婦たちの会話が耳に入ってきた。
さかのぼると、昨日は、誰かが「美味しい」と話していたラーメン屋さんへ行ってみた、そんな昼休みだった。
美味しかった。並ばずに入れたし、提供も早かった。量も多すぎなくて、ちょうど良かった。ただ、1つ問題があった。いろいろなものがスムーズだったから、昼休みが終わるまで、まだかなりの時間があった。
会社に早く戻っても損。というか、会社に早く戻ったら負けな気がする。なので、こういう時は、どこかで時間をつぶすようにしている。だから、昨日は、たい焼きを買って、公園に行った。
「たまには、自分以外の味で食べたいのよね」
公園で女性が放った言葉に、私はギクッとした。
そうだ、最近、自分のいれたコーヒーしか飲んでいなかった。そして、もはや、コーヒーが嫌いになりかけてた。今日は、誰かが丁寧にいれたコーヒーを飲みたい。そして、「コーヒーって美味しい」って思いたい。
『こだわりの喫茶店』とやらにでも行ってみよう。
そう思って、今日はチェーンの牛丼屋さんでサクッとランチを終えた。喫茶店は検索しておいた。近くに評価の高い喫茶店がいくつかあったので、そのうち、ちょっと落ち着いた感じの、こだわりの強そうな1つに行ってみることにした。