そして僕は目を覚ました。
日はもう暮れ始めている。長い戦いが終わりつつあった。風使いのシムを刺してから天野ハルコは周囲を見た。すでにゲートのまわりの木々はなぎ倒され、その合間に死んだシムたちが光の粉となりつつあった。中には死に掛けている一般人もいた。教団の一般信者だろう。自動小銃で武装した人間を一般信者と言っていいかは微妙なところだが。
「お、おまえはなぜここまでする」
「お? まだ生きてんのか。肺潰れてんのに。こりゃ首ごといかねえとさすがにかわいそうだ」
天野ハルコはそう言って、刀をその首に振り落とした。効果音はスパーン。
胴と首を切り離されたその男は足の先から少しずつ鱗粉を散らしていくように溶けていく。ハルコはその様子を確認してからゲートを越えて道を進んだ。先に行くと銃弾が幕となって飛んできた。ハルコはわずらわしそうに呟く。
「がっきーん」
こうしてすべての銃弾はハルコの身体を貫くことなく落ちていく。機銃を乱射していた信者たちはその様子を見て、くもの子を散らすように逃げていった。
ハルコは歩き続ける。そして『心臓』の全容を見えると寒気がした。異様な力場がそこを中心に渦巻いていた。『心臓』の前に一人の男が立っている。となりには一人の少女がいた。幼い少女だった。彼女が口を開く。
「ひさしぶり」
「あああ?」
「あなたはまたここで負けるの?」
そのことを聞いてハルコは思い出した。横に立っている男は宮野兄弟の弟の方、宮野ユタカだ。そしてそのとなりにはもっとも神に近いとされる少女がいつもいる。教団の女神、生島かなえ。
「……、あんたらが邪魔にくるってことは正解を引いたようだな。その箱をぶっ壊せば、あいつは大いに困るみたいだなあ?」
「そうね。彼は弱い心の人だから、ここが壊されると死んでしまうかもしれない」
「アイツが弱いだと? ただのクズだろが!」
ハルコは女神に切りかかる。効果音はズッパーン。
「聞こえないよ。もうアナタの回りには音がないもの。それがうちの今日一日のお願い」
ハルコの刀は少女の横にいた男に止められていた。ハルコは困惑する。
ハルコのシムは自分発した擬音通りの現実を具現するものだ。ズッパーンと言えばズッパーンと斬れる。鋼鉄だろうがなんだろうがいかなるものでも斬れるのだ。だが目の前の男は素手で刀を掴んでいる。斬られた様子はない。ハルコはその男の手を振り払い、再び斬りかかろうとする。そして土を強く踏んだときに気がついた。音がしない。
「そのままでさっきみたいに銃を撃たれたらどうするんだろうね。うちの仕事はここまでだけど」
生島はそう笑って、宮野ユタカの手を取り、どこかへと去って行った。
残された天野ハルコは呆然と立ち尽した。そして左のこめかみに冷えた金属が押し当てられたのに気がついた。ハルコにグロック17を押し当てている男が声を出した。
「聞こえてないかもだが、ボクをいっぱい殺してくれたお礼がしたくてね。いちおうクローンとは感覚を共有してはいる。分かるんかなキミに。問答無用で首をいくども斬られる感覚ってやつ。忘れられない、忘れられない、忘れられない、許せないほどに。だからキミは最高のシチュエーションで死んでもらうよ。振り返ってごらん、ああ聞こえないか。じゃあいいや」
男はグロック17の引き金を引いた。とても気軽に。
もし天野ハルコが振り返っていればなにが見えたのか。それは息を切らせて『心臓』の前にたどりついた我々の姿だ。
ハルさんは脳を飛び散らせながらくるくると地面に倒れた。その光景を見て僕の中に空白が生まれた。完全なる空白だ。すべての思考はつながることをやめた。呆然としている我々の間で、人形遣いの狂ったような笑い声が響いていた。天野ハルコは死んだ。その横で人形遣いは腹を抱えて笑い続けている。僕は歩き出して、人形遣いの前に立った。
「今から俺はお前を殺す」
「ぷふっ。ひゃあ、おもしろいな、これ以上笑わせないでくれ」
僕は拳をその男の顔へと殴りつけた。人形遣いは避けなかった。拳は当たった。そして人形遣いは霧散した。僕はそれでコイツも人形だと気がついた。『心臓』のほうから声がした。
「やはりアンタがいちばんボクの厄介だよ。座間チヒロ。ボクの大切な人形を消してしまう」
人形遣いは『心臓』の入り口に立っていた。
「お前は人を殺すときでも自分を使わないのか」
「使わないよ。リスクを負いたくないからね。愚問じゃないか? 座間チヒロ」
「ただ逃げたいだけだろ。人を殺したという重みから。お前はお前自身の重みを持てないほど弱いから人形を作るんだ。からっぽなお前はからっぽな人形で自分を慰めてる。重みから逃げ続けて、逃げ続けた結果がその能力だ。お前はそういう可哀想なやつなんだよ」
「いまからアンタはそのからっぽでカワイソウな人間に殺されるわけだが、なにか質問ある?」
「やってみろよ」
「ふひぃっ。おもしろいなあ。強がるアリを見てる気分。アンタさ、後ろ見てごらん」
僕は後ろを向いた。ミミが地面に座り込んで泣いていた。ひたすらに泣いていた。そのまわりに武装した少女たちが立っていた。アサルトライフルの照準をミミにあわせて。
さすがの僕もミミのほうへと駆け出したが、背後から左足を撃ち抜かれ、地べたに転がってしまった。近くまで誰かが寄ってくる。ごりっと後頭部に重たい何かを押し付けられた。
「よく見ろよ。アンタの大切な子が殺されるとこだ。母親と父親の死に様は見せてあげられなかったからね。同じくらい大切そうにしていた人間が死ぬとこを見せてあげよう」
僕はなにも考えずに後頭部にあった銃を掴み、引き寄せた。人形遣いは体勢を崩して僕にぶつかり霧散していった。
ミミのほうを見た。ちょうど野球帽を被った少年たちが武装した少女たちに金属バットを振りかぶっているところだった。バットは少女たちの頭を吹き飛ばした。仕事を終えた少年たちは僕の横を走り去っていき、『心臓』へと向かっていった。僕はその理由も考えずにうずくまるミミのそばへと足を引きずりながら近寄った。
「ミミ、しっかりしろ! 泣いたってハルさんは、ハルさんは戻ってこない」
ミミは僕の大声を聞いてもうつろに僕を見るだけだった。
「僕たちはもう戦うしかないんだ。アイツを殺して、ハルさんを弔おう。さあ、行こう、ミミ」
そう僕は言いながら、地面へとへたり込んでいた。左足のふくらはぎからの出血がひどかったのだ。震える身体をどうにか持ち上げながらミミの手を握った。
「なんでまた泣くんだよ」
ミミは涙をだらだら流し嗚咽を漏らしていた。
「だって、だってチヒロがそんなふうになって、お姉ちゃんも死んじゃったのは全部、全部わたしがチヒロのこと協会に言ったからっ」
「違うよ。ミミのせいじゃない。人形遣いのせいだよ。落ち着きなよ。ここで僕が死んでもそれは世界にとっていいことなんだろ。僕が望むのはそうだ、ミミ、思い出したよ、さっきミミと会ってさ」と言い掛けたとき僕は体温がいきなり低くなったのを感じた。言葉を出せなくなり、気が遠のいた。ここではないどこかへと意識は行こうとしていた。誰かがその細い腕で僕の頭を抱きしめた。こうして死ぬのも悪くないなと僕は思った。
「おいおい、まだ早いよ。チヒロくん」
シャカシャカシャカ、カシュッ、カシュッ。プシュー。
そして僕は目を覚ました。