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山で日の出を見る。

 クールな朝だった。起きた瞬間そのことが分かった。尿意をもよおしていた僕は僕の山にぶちまけに行くことにした。僕の山だ。国の山じゃない。半年前に逝った祖父が僕に遺してくれたのだ。何が欲しい、と彼は僕に聞いた。山が欲しい、と僕は言った。ということで山は僕のモノになった。簡単なことだ。

 半袖に短パンという出で立ちで、えっちらおっちらと山のなだらかな斜面を登っていく。夜明けの只中にある薄暗い森の中で草木は香り、彼らの呼吸が僕の頬を撫でる。額に汗がにじむ頃、僕は山の頂きにたどりついた。小さな山なのだ。古墳みたいと言ってもいいかもしれない。なんにせよ、周りは平地なのでちょっとした景色を見られる。地平線の向こうからゆらりと昇ってくる太陽など、記憶に刻まれてしまうほどだ。

 ああ、そうさ。幼い頃、祖父は僕をココに連れてきて日の出を見せた。きれいだろ、と彼は言った。うん、と僕は震えながら言った。寝起きのオシッコをしたかったのだ。祖父はそれに気がついた。朝日にションベンかけたくなるときもあるわなぁ、と笑い彼は社会の窓を開け、萎びた排泄器官をぽろんとだした。それからじょろじょろと土に水をやった。さあ、お前もやってみろ。僕もズボンをずり下げ、小さなソレからちょろちょろと放水した。そのうちにそよ風が僕の髪の毛をさらさらと撫で始め、胸の奥底にある遥か昔への郷愁を呼び起こした。出し切った後に、わっふう、と僕は叫んだ。それを聞いて祖父は、わっはっはっ、と笑った。そうやって物事は流れていった。

 僕は僕の山の頂上に居た。日は間もなく現われるところだった。在りし日のようにズボンをずり下ろす。あの時よりは成長しているはずのソレは祖父のソレに似ているように思えた。僕は尿道括約筋を緩める。尿道に水がつたわっていくのが分かる。そうして水位は先端に達し、弱酸性の液体は美しい弧を描いて外界へと出て行った。どっかの宇宙飛行士は(たぶん)こう言っていた。宇宙で何がきれいだったって? ションベンだよ。船外に、つまりほとんど温度を持たない大宇宙にションベンが放出されるとな、一瞬でキラキラした粒子となって散っていくんだ。その色合いは美しかった。この世の何よりも。

この裏山では僕もそんな気分になれる。

 ご機嫌な僕は不意に足音を聞いた。がさごそ、がさごそ、と。土が踏まれる音だった。そしてその足音は着実に僕の居る所に向かってきていた。イノシシだったらマズイなと僕は不安になった。というのもまだじょぼじょぼと尿を出していたからだ。まいったな、まったくと呟いてその音源を見やった。草陰から出てきたのは少女だった。

 地平線が紅く染まり始める。日差しは僕の姿を明瞭にしようと躍起になっていた。身を固めたままの僕は同じく棒立ちの少女を観察した。迷彩柄の長ズボンに、黒の半袖で、その身の丈に合わないリュックを両手で抱えていた。髪はお下げ。そんな彼女の視線は僕のソレに釘付けだった。空が明るくなると共に、表情が漂白されていく。白い喉元がこくりと動いた。僕は彼女の叫び声を聞いた。まったく、どうしようもない。

 少女は恐れるように後ずさりし、リュックを土の上に落とした。僕はその間に第三の足をしまった。

「見せるつもりは無かったんだけど、なんかごめんね?」と僕は言った筈である。だが、その声は彼女に届かなかったに違いない。轟音が僕らの周囲を埋め尽くしたのだ。

 周囲を見ると木々が倒れている所があった。その中心には背広を着込んだ会社員風の中年男性が立っていた。顔が死んでるという言葉がぴったりな感じの表情で我々を見やっている。事態を把握したのか、少女はその男を睨んだ。僕もいちおう睨むことにした。むむむっと。

 少女の盛大な舌打ちが聞こえたかと思うと男の姿が消えた。んで、少女は林の方へ吹っ飛んでいった。少女を蹴り飛ばした男はぱんぱんと服についた泥を払った。僕のほうへとゆっくり向かってくる。相変わらず焦点の定まらない眼でこちらを見ながらてくてくと近づいてくるのだ。僕はむむむむっとその様子を見るだけだった。

 ねずみ色の背広で身を包んだ男はぼんやりとした眼差しで僕を見てくる。見ていると風が僕の頬を殴った。煽られた僕は閉じゆく視界の隅で少女が鬼の形相で男に向かって行ったのを見た。男は彼女を受け止めた。それは音で分かった。鈍い音だった。

 僕が直視できるようになると、彼女はその細い剥き出しの右腕で彼の左胸を貫いていた。返り血が彼女の頬を濡らした。

 少女は右手を引き抜き、左足で死体となっただろう男を蹴飛ばした。どさりと男は地面に伏した。少女は溜息をつき、首を振った。大人びていて馴れた動作だった。殺人が目の前で行われたというのに僕はぼけっと突っ立ていた。少女は僕を睨んだ。

「アンタ、なにもの?」と少女は僕に近づきながら聞いてきた。

「僕? ナマケモノかな?」

 目の前に立った少女は僕の手を捕まえた。冷たく、小さな手だった。彼女は念じるように目を瞑った。それから豪快に舌打ちをして僕を睨んだ。

「シムが発動しない。まさかレーテの新作?」

「知らないし、あと言いにくいんだけどさ」

「なに?」

「まだ手を洗ってないんだ」

 少女は僕を思いっきり蹴っ飛ばした。

「ばか!」

「一般的にバカって言ったほうがバカだ。それになんだねキミは。それ初対面の人間に対する態度か?」

 少女は口を閉じ、眉根をぎゅっとよせてにらみつけてくる。ちょっとかわいらしい表情だ。僕はちょっと見ほれた。で、その頬についていた血が粒子のようにさらさらと風に吹かれていくのに気がついた。少女の後ろに視線を移す。背広の男の死体が光の粉となって舞っていくのが見えた。おいおい。

「どうゆーこと?」

 僕はそう言って少女に視線を戻した。が、そこにはもう居なかった。後ろで枯葉を踏む音がした。振り返るとスプレー缶のノズルが見えた。白い霧が噴射される。瞬く間に意識を刈り取られた。わっふう。

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